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2006年10月12日 (木)

学びて時に之を習う(partⅠ)解説ページ

今週は、幾多の失敗と迷いを繰り返しながらも、漸く念願の楽しみに辿り着いた喜びを、『論語』の有名な条をかりてお届けします。

その予告として用語の解説ページをリリースします。

ご安心ください!今回もまたまた、失敗談があります。
お楽しみに!

成功、上手く言った話は楽しいので、直ぐ忘れるのですが、失敗をした経験は、いつまでも心のどこかに残っており、何らかの形で外に出す必要があるのです。

外に出すことにより、軽くなって、次の行動を起こすことが可能になるのです。

以下は「朝日文庫 中国古典選3 『論語』 吉川幸次郎(著)」より引用したものです

論語:孔子およびその弟子たちの言行録であり、孔子を中心として行われた対話の記録であることを、おもな内容とする。その点からいって、『論語』という書名を大ざっぱには、対話篇と訳してよいであろう。すくなくとも「語」の字は、対話という意味を持つ。一世紀にできた漢字典、「説文解字」(せつもんかいじ)には「直(た)だ言うを言(げん)といい、論難を語(ご)という」ただし論(ろん)の字については、説がわかれる。現存最古の図書目録であり、キリスト紀元ごろに編集された『漢書』(かんじょ)の『芸文志』(げいもんし)では、孔子の没後、弟子たちが討論編集したものだから、『論語』というとする

―――論語なる者は、孔子、弟子と時の人とに応答し、及び弟子の相い与(とも)に言いて、夫子(ふうし)に接聞せる語なり。当時、弟子各おの記す所ありしが、夫子の既に卒するや、門人相い与(とも)に輯(あつ)めて論じ篹(あつ)む。故にこれを論語と謂う。

学而篇:『論語』の開巻は、子曰、学而時習之、不亦説乎。「子(し)曰(い)わく、学(まな)びて時(とき)に之(こ)れを習(なろ)う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからず乎(や)」と、始まる。学而(がくじ)とは篇の名であるが、『論語』二十篇の篇名のなづけ方は、大変無造作である。すなわち各篇の初めの章のなかから、二字ないしは三字をつまみとって、一篇の名とするのであって、この篇では、はじめの章の第二句、学んで時に之を習う、学而時習之、の、二字をとって、篇名とする。

雍也篇:子曰、雍也可使南面「子(し)曰(い)わく、雍(よう)や南面(なんめん)せしむ可(べ)し」と、始まる。雍とは、弟子の仲弓であり、低い階級から出た弟子であるが、ここは、この弟子を南むきにすわって政治をする地位、つまり、大名、また極端なある説では、天子、その地位についてもよい人物だと、激賞したのである。その真意がどういうことであったか、はかりにくいほど、強烈な言葉である。雍也の也は、一字の固有名詞のあとにかるくくっつく接尾語として、これまでにもときどき「論語」にあらわれた。

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