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2006年10月26日 (木)

「学んで思わざれば則ち罔し」解説ページ

「CTP」(コーチトレーニングプログラム)を学んでいるうちに「論語」と「陽明学」それに「CTP」にも共通の部分があることに気づきました。

今週末はその体験、気づきの話を記事にしました。お楽しみに!

また、解説ページの記事を書くに当り、私淑する安岡正篤翁の『伝習録』を再読して、若き日の情熱と元気を取り戻しました。その『伝習録』の中から、陽明学の真髄ともいえる「事上磨錬」と「知行合一」を引用させていただきました。

●事上に磨く
問ふ、静時は亦(ま)た意思の好きを覚ゆれども、才(わずか)に事に遇へば便(すなわ)ち同じからず、如何(いかん)。先生曰く、これ徒に静養を知って、克己の工夫を用ひざればなり。かくのごとくにして事に臨まば、便ち傾き倒れんとす。人は須(すべから)く事上に在って磨くべく、方(まさ)に立(得)ち往(とどま)らん。方に能(よ)く静にも亦た定まり、動にも亦た定まらん。

(陸澄)問う、「私は静かな時には心のはたらきもよいと思いますが、何か問題に出あいますと、同じようには参りません。何故でしょうか。」先生曰く、「それはただ静養を知って、己に打ち克つ修行を行わないからである。ちょうど温室の花と同じことで、そのような状態で事件に臨んだなら、外力に圧倒されてしまうのであろう。人間はいろいろな事件と取り組んで自己を磨かねばならぬ。そうすれば自然に確立して、静時にも安定するし、動中にも安定するであろう。」

程朱(程伊川、程明道の二程子と朱子)の学では動・静一如とするが、同時に静を根本と見、心の静・不動を保つこと、いわゆる定静を説き、静座澄心を重んじる。王陽明もその静を重んじるが、同時にこの事上磨錬を説く。これは動的修養といわれるものであって、陽明学の積極的な一面を示す。陽明学が実際的であり、行動的な性格を持つのは、事上磨錬を説き、知行合一を説いて、生活そのものを修養の場とするところにあるということができる。

●知と行
知は行の始め、行は知の成るなり。聖学はただ一箇の功夫。知行は分つて両事と作すべからず。

知ることは行うことの始めであり、行うことは知ることの実成であって、それは一つの事である。聖人の学問はただ一つの工夫あるのみで、知ることと行うことを分けて二つの問題としないのである。

『伝習録』 安岡正篤(著)中国古典新書 明徳出版社より引用

●為政篇(いせいへん)
篇のはじめの、「為政以徳」(政(まつりごと)を為(な)すに徳を以ってす)の句の二字を取って一篇の名としたこと、他の諸篇とおなじい。「子曰わく、政を為すに徳を以ってせば、譬(たと)えば北辰(ほくしん)の、其の所に居て、衆星の之に共(むこ)うが如(ごと)し。と始まる。

道徳による政治が、いかにすぐれているかを、比喩によって説いたものである。
比喩はこうである。北辰とは、北極星のこと。北極星は、じっとその場所にいるだけだが、他の多くの星どもは、それを中心として旋回する。道徳による政治の、人人に対する関係も、その如くであって、人人は、あるいは、万事は、それを中心として、円満に進行する、というのが、大体の意味である。

『論語』 吉川幸次郎(著)中国古典選3 朝日文庫より引用

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コメント

 早速拝見しました。
 元気で仲らしく(勉強家)前向きの生活ですごいと思います。ボケないためにもがんばってください。
 私もハローワーク通いです。午前中は主夫、午後はプールで遊んでいます。秋田は紅葉真っ盛りです。今は立山旅行が楽しみです。

繁、ありがとう!
時々は後ろも見ますが、前を向くのとチャレンジが好きです。

女房は「六十になって夢を語る!?」と呆れていますが、これからです。
ディケア・ハウスと墓場行きは20年先送りです。

「秋田の紅葉」を独り占めにしないで公開されては如何でしょうか!?

皆さんの幸せのためのも!
良ければお手伝いをしますけれど、、、、。

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