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2006年11月12日 (日)

山中の賊、心中の賊

明日日記(未来日記)を書いた。
今日のゴルフの月例会の成績はワンアンダーであった。

コーチングはゴルフにも効く!?
以下の文章、内容を思い出してそのような未来日記を書いた。

<前略>

コーチの質問は、新しい、そして別の視点を私に与えました。
気がついていないことや思ってもいないことは、当然行動に移せません。質問されるたびに自分で考えるようになります。それは、それまでの自分の考え方だけではなく、ほかの考え方ややり方というものに注意を向けるチャンスをもたらしました。教えてもらっているという実感はほとんどありません。自分で考えて、自分で判断し、自分から行動してみる、そしてその結果を自分で評価する―――このプロセスで私が学んだことです。

<中略>

と言うわけで、一週間の間、コーチはグリップについてもバックスイングについても一切教えてくれませんでした。時々質問したり提案したりする程度で、フォームを直してもくれません。その時のコーチはプロゴルファーではなく、プロのコーチだったのです。

<中略>

当時私のゴルフの腕前は95前後でした。練習はそれ以前も以後もあまりしない方ですが、このワークショップから帰ってきて5ヶ月後にハーフ39で回りました。スコアは90前後になりました。何よりも、ゴルフ場で今自分が何をしているのか、何をしようとしているのか、前よりもずっと広い視野で見ることができています。ゆとりが持て、それがゴルフを楽しく感じさせてくれているのです。

<後略>
『コーチング・マネジメント』詳しくはこちら 伊藤 守(著) ディスカバー社より引用

1打ごとに落ち着いて、考えてショット、パットをすればよいのだ。

アドレス時に、目標を定め、肩の力を抜いて8分目の力で振る、狙い通りボールは真直ぐ飛ぶ。カップに入る。右のOBゾーンも左のバンカーも、池も、グリーン上の傾斜も大丈夫!と。

また、常に「学習者のレーン」に入っているか?
OBを打つのでは!?チョロるのでは?トップするのでは?カップに蹴られるのでは?等々「批判者の落とし穴」に陥っていないか?
「批判者のレーン」から「学習者のレーン」にスイッチングできているか?

先日読んだ『QT 質問思考の技術』詳しくはこちら(ディスカバー社)から気付きを得て、その場、その時に応じた状況で自分自身に質問をすれば月例会での優勝も夢ではない!

現に1度ではあるが、月例会コンペでの優勝経験もあるではないか!
アイアンの当りも戻ってきたことだし、、、。と考えた。

それでも最近のスコアからは控えめにネットベースでワンアンダーの未来日記を書いた。

現実は13オーバーであった。

その最大の要因は
「心中の賊を破るは難し」!自分の心に負けたのである。

王陽明が横水の賊を治めた時、門弟子の楊驥(ようき)に与えた有名な語、

「山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し。区区が鼠竊(そせつ)を剪除(せんじょ)するは何ぞ異とするに足らん。もし諸賢心腸(心腹)の寇(あだ)を掃蕩(そうとう)して以て廓清(かくせい)平定の功を収めば、これ誠に大丈夫不世の偉績なり」

『王陽明研究』詳しくはこちら 安岡正篤(著) 明徳出版社より引用

「山賊を討ち破るのはやさしいが、自分の悪い心を退治するのは難しい。私のような取るに足りないものが、鼠のようなこそ泥を平らげたのは特に取り立てて言うほどのことでもない。賢明なあなた方が心臓や腹のような重要な場所に起こる害、内部から起こる除去しにくい敵。すなわち心の敵にうち勝って、世の乱れを払い清め平定に成功すれば、これは真に立派な人物の世にまれな大手柄である」(注:筆者の勝手な解釈)

他人や困難な障害に勝つことは何ぞ異とするに足らん。簡単なことであるが自分に克つことは難しい!と、王陽明は言っているではないか。また、何かの席でもその話をしたではないか。
ところがいざ、実際の自分は「心中の賊」に屈していたのである。

難しいライにも、ライバルの何気ない一言(山中の賊)には対応できるものの、良いライ、チャンスのときに「心中の賊」が騒ぎ出すことを失念し、力んで大地と格闘を繰り返していたのである。

それにゴルファーなら皆、自宅に帰って今日の奮戦記(反省記録)をつけているらしい。
薦められて、その気になりつつも誘惑(心中の賊)に負けての未着手と未完了感が残っていたのである。

でも、コーチングを学びだしてゴルフが楽になった。

冷静で余裕のある自分。競技をしながら景色を眺めている自分がそこにいることに気付き始めたのである。

やっぱりコーチングはゴルフにも効く!コーチングを学びだして「心中の賊」のいくらかでも退治できた!と、考えられるようになった。

後は事上磨錬のみ!?

<山中の賊、心中の賊 附録>
王陽明の「事上磨錬」、「知行合一」、「山中の賊、心中の賊」。と、くれば「大学」の八条目の「致知」と「格物」、有名な「致知格物」について、朱子との相違点を明確にしたくなるのが人情というものです。

朱子の説では知は後天的な知識、格はいたる。物は客観的な事物と解し、自己の知識を最大限に広めていく(致知 ちをいたす)ためには、事物の理をきわめるべきだという。
一方、陽明の説では知は先天的な良知、格はただすと解し、物とは自己の意思の発現した事物をさし、自分の生まれながらにして有する良知つまり天理をさとる(致知。ちにいたる)ことがすなわち万物を正す(格物。ものをただす)ことであると解する。

(『新字源』詳しくはこちら 角川書店より引用)

ご覧のとおり、違いが明確ですね!

朱子の、事物の理を窮めて知識を最大限に推し極めねばならいということは知識が広博になり過ぎて収拾がつかなくなる。何をどのようにして良いか分からなくなる。そこで陽明は心即理詳しくはこちらの立脚点から、朱子の説を排斥して致知格物に対しては上掲の具体的解釈を下したのです。

これは、コーチングでいうところの「ラージチャンク」(大きな塊)と「スモールチャンク」(小さな塊)というところでしょか。

チャンクを小さくする。すなわち課題、問題を具体的行動レベルにまでに落とし込むと動きやすくなります。
陽明学が行動の学問と言われる所以(ゆえん)がこの解釈からもご理解いただけるかと存じます。

さて、ここだけの話
「交渉の達人」、師と仰ぐ方からメールをいただきました(筆者からの働きかけに応じていただいたのですが!)
それによると、「出家をするつもりか!?」「マインドコントロールを考えているのか!?」とのお返事でした。

勿論、冗談半分でしょうが、往々にして「コーチング」は宗教的と見られたり、「マインドコントロール」をされるのでは?と誤解される場合があります。

先の「「致知格物」の解釈についても朱子と王陽明には見解の違い、異見があります。
コーチにもいろいろな意見、考えをお持ちの方がいらっしゃいます。

でも、コーチは「ICF(国際コーチ連盟)倫理規定」を満たし、自己基盤の確立した者のみが認定を得られるのです(勿論、スキルも重要な要件です)。

確かに「聞く」、「質問する」スキルに優れたコーチがそのスキルを悪用すれば「マインドコントロール」も可能でしょうが、「ICFの倫理規定」と「コーチの自己基盤(ファウンデーション)」によりクライアントは守られているのです。

勿論、コーチにも守秘義務があるので「交渉の達人」、師と仰ぐ方の了承を得て、この記事を書いています。

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