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2006年11月16日 (木)

「完璧」解説ページ

今週は「完璧」の由来について考えてみました。
既にご承知の方もおいでとは存じますが、詳しくは週末までお待ちください。

その前に予告として関係書籍、故事、伝記の紹介を引用してお伝えします。

●先ずは書籍の紹介です
(『史記一』 田中謙二・一海知義(著) 中国古典選18 朝日文庫より引用)

『史記』、はじめの名は『太史公書』(たいしこうしょ)、130巻。中国の歴代王朝が交替するごとに、つぎの王朝の歴史編纂官によって編まれる「正史」の、トップに位置する歴史の書物である。編者は漢の武帝朝の歴史編纂官――大史令であった司馬遷(しばせん)であり、いまからおよそ2050年のむかしに完成された。この書物が対象とするのは、太古より編者の眼前の時代まで、およそ2000年間にわたっている。『史記』はこのようにまず歴史の書物として誕生したのだが、すでに挙げた短いエピソードによっても、これは単なる歴史の書物ではないことは、読者も諒解されたであろう。(筆者注:『史記一』の開巻には解説があり、そこには一つのエピソードと原文の読み下し、その解説に続いて「今もなおそこらにいそうな特異な性格の典型を、『史記』の作者はいみじくも二千年のむかしに描破したのである」とあります)

『史記』は人間探求の書である。人間はいかに生きて来たかという「歴史」の形をかりながら、人間とはいかなる存在であるかを説きあかし、やがて読者に、人はいかに生きるべきかを静かにひとりで思索させる書物である。ここには、時間と空間を超越した普遍の人間、しかも強烈な体臭を発散し、切れば赤い血の滴る人間のさまざまな姿が、生き生きと描かれている。すでに数千年を隔てながら、『史記』が描く世界はなお昨日のごとくに新しい。

<後略>

と解説にあるとおり、この本(『史記一~五までの五冊』を読み始めると夢中になり、全てを読み終えた後には違った自分、洞察力に優れ、人生を見つめなおす新しい自分を発見することでしょう。

\412ーで読書の醍醐味を味わえるお薦めの一冊です。(廃版?単行本に変わった?残念!でも、マーケットプレスなら\58-とか!?)

●故事、ことわざの由来です
・「刎頚の交わり」(ふんけいのまじわり)
(『史記二』 田中謙二・一海知義(著) 中国古典選19 朝日文庫より引用)

<前略>

廉頗(れんぱ)これを聞くや、肉袒(にくたん)して荊(けい)を負(お)い、賓客(ひんかく)に因(よ)りて、藺相如(りんしょうじょ)の門に至り、罪を謝して曰く、「鄙賤(ひせん)の人、将軍の寛(かん)なること此(ここ)に至るを知らざりき」と。卒(つい)に相与(とも)に驩(むつ)みて、刎頚の交わりをなす。

(廉頗はこのはなしを聞くと、肌ぬぎになって荊の木の鞭を背負い、藺相如の客分を介して藺相如の門をおとずれ、罪をわびていった、「育ちのわるいわたくしめは、将軍がこれほどまでに心ひろい方とは知りませんでした。」
ついにふたりはたがいに友情をかよわせ、刎頚の交わりを結んだ。首をはねあっても後悔せぬほどの親友となったのである。

この前段に藺相如が家令たちを納得させた効果的な質問と、その答えに対する藺相如のことば、すなわち廉頗が罪をわびた藺相如の見解「公(国家)を優先して私を後にする」ことばがあるのですが、詳しくはこちら(『史記二』 田中謙二・一海知義(著) 中国古典選19 朝日文庫)をごらんください。(これも18年前なら\371で味わえたのですが廃版!?)

●伝記の紹介です
・「廉頗藺相如列伝」(れんぱ・りんしょうじょ・れつでん)
(『史記二』 田中謙二・一海知義(著) 中国古典選19 朝日文庫 「廉頗藺相如列伝」より引用)

「廉頗藺相如列伝」(巻八十一)は、いわゆる戦国七雄の一 ――趙(ちょう)国の将軍五人の伝記である。中心をなすものは、むろん標題に掲げる二将軍であり、さらにしぼれば、すでに論賛がしめすように、藺相如だといえよう。かれの「勇気」を廉頗との交渉にふれつつ描く。それはまず、和氏(かし)の璧(たま)を秦(しん)にとどける使節として、ついで澠池(べんち)の会盟における趙王の随員として、再度にわたり遺憾なく発揮される。しかし著者司馬遷(しばせん)は、この「勇気」をむやみにたたえるわけではない。「勇気」は武将が備えるべき必須の条件ではあっても、さらに優先するものとして「智慧」がある。というより、深く澄んだ智慧に支えられた勇気こそ、栄光をになう真の勇気だと、司馬遷は語るかのようである。だから真の勇者は、平生無事の際にはむしろその反対のごとくにさえ見え、真の勇気は、それが必要とあればはじめて満を持して放たれる。附伝された趙奢(ちょうしゃ)と李牧(りぼく)もまた真の勇者といえよう。かれらは人間愛にもとみ、部下をこよなく愛した。反対に奢(しゃ)のむすこ趙括(ちょうかつ)は、それを欠いたがためにみずから破滅の途をたどっていった。

<後略>

最後に趙は、秦の内部分裂をおこさせる姦計、謀略に会い李牧を失って秦に滅ぼされるのですが、その伝記に続いて「大史公曰く」と司馬遷が見解をのべて「廉頗藺相如列伝」は終了するのです。

筆者の記憶では、趙奢の息子、趙括は机上で戦略・戦術を語らせると父の趙奢より優れていた。しかし、彼、趙奢は趙王が彼の死後に息子を将軍にするであろうこと、またその息子趙括は必ず敗軍の将となり、罪が家族にも及ぶことを心配して、妻、趙括の母親に親子の縁を切るように言い残して他界した。果たして趙奢の予言どおりになった。

ここに、空理・空論だけ優れていても役に立たないこと。否、そのような指揮官、指導者がいると国は傾くこと、そのようなことが分かっていても自分の息子を変容させるのは困難であったこと。

つまり、子を換えて教える必要のあること。また企業は外からではなく内から破綻すること。および理論だけでは実戦に通用しないこと、否、余計な知識が身の破滅を招くことを歴史は教えているのであると思った。

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