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2006年11月 2日 (木)

「之れを沽らん哉」解説ページ

今週の初めに友人から、「秋田は紅葉真っ盛りです。」と、コメントをいただきました。

「素晴らしい景色を独り占めにしないで公開しては!?」とリクエストをしたら八幡平の秋(ふけの湯&大沼の風景写真)を送っていただきました。 

素直にリクエストをしてみるものですね!

リクエストをするときに気をつけたいことは、相手のタイプに合わせた言い方、リクエストの仕方をすること!が、大切です。

お礼も忘れずに!

繁ちゃんありがとう。

でも、公開できませんでした。

ごめんなさい。
残念!

さて、今週は「之れを沽(う)らん哉(かな)」です。

何を沽るかについては週末までお待ちください!

●子罕篇:「子罕言利與命與仁」(子、罕(まれ)に利と命と仁とを言う」と始まる。意味は、孔子のめったにしかいわないものが、三つあった。一つは利益。二つには運命。三つには最高の道徳である仁。この三つのものについて語ることは、まれであった。そう読むのが古注の説であり、また新注の説である。なぜこの三つをまれにしか語らなかったかといえば、三つともあまりにも重大な問題であるから、軽率には口にしなかったのだと、やはり古注と新注の説が一致する。

ただ、以上のように読むと、それと矛盾する事実が、すぐ気づかれる。「利」とは「義」と対立する概念であって、「義」すなわち道理よりも、利益効果を重んずる態度であるが、そうした態度についての言及が、「論語」の中にはほとんどないというのはよいとして、「命」すなわち天が人間にあたえる運命もしくは使命についての言及は、ときどきあり、「命を知らざれば、以って君子と為る無きなり」という重要な言及が、「論語」の最後の一章(堯曰篇ぎょうえつへん)としてあるということさえある。しかしそれはなお、まれな言及であるといえるであろうが、最後の「仁」に至っては、「罕に言う」どころか、「論語」のなかで、もっともしばしば「言」われている話題である。

しかしながら、それに深くこだわるのは、表面的な矛盾にこだわるものであって、孔子の言行には、この条の記者が感じたように、三者についての言及が、まれであると感ぜられる面があったのであろうと、私はそう考えている。

『論語』吉川幸次郎(著)中国古典選 朝日文庫より引用


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