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2007年1月21日 (日)

温故知新

このタイトル、「おんこちしん」。または、「古きをたずねて新しきを知る」。という言葉は一度は見聞されたかと存じます。

筆者の記憶が確かであれば中学生時代かと!?
失礼ながら、その記憶も、「歴史上のことを知って現代に生かす」という意味ぐらいにしか習っていらっしゃらないのでは!?

ちなみに、「おんこちしん」と、「新明解国語辞典」にて検索すると、「昔のことをよく調べ、新しい物事に適応すべき知識・方法を得ること」と、載っていました。

また、「角川新字源」には、【温故】として、「前に学んで知ったことを復習する。温は「たづぬ」と読み、引き出す意。また、「あたたむ」とも読む。【――知新】――ちしん(ふるきをたずねてあたらしきをしる)前に学んだことを復習して新しい知識を得る。[論・為政]「温故而知新可以為師矣」とありました。

それで、例によって『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫解説ページの「為政篇」解説ページを見てみると

(し)(い)わく、故(ふる)きを温(たず)ねて新(あたら)しきを知(し)る、以(も)って師(し)と為(な)るべし

温故知新ということが、教師の資格となっている。温とは、肉をとろ火で炊きつめて、スープを作ることだという。故とは過去の事象、歴史の意味といってよいであろう。歴史に習熟し、そこから煮詰めたスープのような知恵をまず獲得する。そうしてかく歴史による知恵を持っているばかりでなく、あるいは、持っていることによって、新らしきを知る、現実の問題を認識する、それでこそ、人の教師となれる。人の教師となるほどの人物は、そうでなければならない。

という解説がある。

過去の事象、歴史による知恵を現代に活かす。と、いうことであれば、今年の干支(えと)丁亥(ていがい。ひのと・い)から推測すると景気は後半に後退する。
と思われるが果たして如何!?
昨年の丙戌(へいじゅつ。ひのえ・いぬ)までは干支の意味するとおりではあったが、、、、、、。

これについては、明年分ることであり、過去と相手を変えることは不可能ですが、将来と自分を変えることは可能であり、その備えだけでもしておくのが「温故知新」の教えか!?と思う。

さて、「温故知新」という箴言(しんげん)にのみ気を取られて、脇道にそれた感があるので本題に戻すと、この章の後半の句、すなわち、「可以為師矣」(以って師と為るべし)という言葉の意味について考えたとき、2千数百年前の教え、「論語」が現代にも充分通用する書籍であるということをご理解いただけるであろう。

そこで、これ(ここまでの話)をコーチとしての立場から考えると、クライアントが、「メンターコーチ」すなわち、良き指導者、師といわれる人を求めていることに思いをいたせば、「温故知新」と共に「以って師と為るべし」という言葉を知って、学ぶことが肝要であるかと思う。

また、この章の全体「故きを温ねて新しきを知る、以って師と為るべし」という言葉は、
コーチの養成期間3年の間に「聞くスキル」と「相手のためになる、効果的な質問をつくるスキル」をじっくり煮詰めて身に付けること。および、コーチングの歴史と現状を知り、温め直しながら、すなわち、生涯学び続けながら実践を繰り返すことの大切さにも気付きがおよぶ箴言である。

<温故知新 附録>
1.『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫には、

古きを知りて、今を知らざる、これを陸沈(りくちん)という、歴史を知って現実を知らないものは、陸沈、陸上での溺死だ。今を知りて古きを知らざる、これを盲瞽(もうこ)という、現実を知って、歴史を知らないものは、盲(めくら)だ。故きを温ねて新しきを知りてこそ、以って師と為(な)る可(べ)し、古きも今も知らずして、師と称するは何ぞや。

という、後漢解説ページの思想家、王充(おうじゅう)解説ページの言葉を紹介している。

「温故知新」に関する記事はこの王充の言葉のみで充分である、と思うが如何でしょうか!?

<ここだけの話!>
「温故」には、前に学んだことを復習する。という意味があることを知ったとき、それまでの未完了感。躊躇した思いは消えた。

その未完了感。躊躇していた思いとは、
先週書いた論語最終章の記事、「知人」すなわち、「無以知人也」(以って人を知る無き也)という句よりも、その直前の句、「不知言」(言を知らざれば)という言葉に「知言」(ちげん)の出典があることを知った。

それは、「知人」の記事を投稿後に、「知」に関するより多くの言葉を知ろうと「角川新字源」で「知」を検索中に知った。

そこには
●道理にかなったことば。(左伝解説ページ・襄14)「秦伯以為知言」
●人のことばを聞いて、その是非善悪を判断する。(論・堯曰)「不知言、無以知人也」

という、2つの意味と、その出典が記載されていた。
すなわち、復習(予習?)をすることにより、「知言」という言葉を知った。

それをどのように公表しようか?
と、未完了感を残していたときに、「復習」という言葉に出会い、天佑(てんゆう。天の助け)か!?と楽天的に解釈をして、ご紹介することにした次第です

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コメント

こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブロクを
つくっています。
終戦直後の文芸春秋の吉川幸次郎も
とりあげています。
よかったら寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611

kemukemuさん こんにちは。
コメントありがとうございました。

ブログ拝見しました。
素晴らしいものを見せていただきました!

50年以上も前に見た紙芝居と当時の映像が脳裏に浮かんできて、暫く余韻に浸っておりました。

また、私は、吉川幸次郎氏については、たまたま購入した中国古典選の全38巻が氏の監修だったので、後日、吉川氏の『論語について』という文庫本を買ったときに1904年のお生まれであること。
それに、「中国の書物だけ読め」と狩野博士に教えられたことを知りました。

ですから、終戦直後の文芸春秋の記事は吉川氏が41歳頃に書かれたもののようです。
貴重なものをご紹介頂きありがとうございました。

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