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2007年1月27日 (土)

浸潤の譖、膚受の愬

Ran32007122 画像は、秋田の友人から「昨日の蘭展の写真です。これからの日曜、祭日は蘭展、雪割草展、山野草展と催し物三昧で楽しみです。」
というメッセージと共に送っていただいたものです。

さて、タイトルをご覧になり、思い出したくもない、苦々しい想い出がある方もおありかと存じます。
また、そのようなご経験がなくとも、「論語」を読まれた方はご存知でしょうが、多くの方にはあまり聞きなれない言葉と思い、「新字源」で検索してみることにしました。

先ず、始めに
【浸潤】(しんじゅん)「しだいにしみこむ」という意味のあとに、
【――之譖】(――のそしり)水がしだいにものにしみこむように、だんだんと深く信じられるようになるそしり。〔論・顔淵〕「浸潤之譖、膚受之愬不行」

と、あったので続いて

【譖】(シン。セン)を調べると、
●そしる。そしり。〔論・顔淵〕「浸潤之譖」。うったえる(訴)うそのうったえをする。ざんげんする。同義語:讒(ざん)。さかしらごと。
●いつわる。まことでない。同義語:僭(せん)

とあり、【譖潤】(しんじゅん)じりじりと影響を生じるそしり。水がしみこむように、知らず知らずのうちにしみこむ。という熟語も表示されており、同義語として「浸潤」と、ありました。

ここまで読まれてお気づきの通り、「浸潤の譖」(しんじゅんのしん)とは、あまりよい言葉ではなさそうですが、さらに、その次の熟語を検索すると、

【膚受】(ふじゅ)学問などをうわべだけ受け入れ、身についていないこと。とあり、異なる意味、使われ方として
【――之愬】(――のそ。――のうったえ)膚身(はだみ)にこたえるような痛切なうったえ。一説に皮膚に垢(あか)が知らないうちにたまるように、しだいに人を害するそしり。〔論・顔淵〕「浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂明也已矣」と、ありました。

どうやら、どちらも芳しくない言葉のようです。

そこで、出典である「論語」の顔淵篇(がんえんへん)詳しくは解説ページへを、調べてみると、弟子の子張(しちょう)の「明(めい)」とは?という問いに対して孔子の答えた言葉で、『論語』 中国古典選4 吉川幸次郎(著) 朝日文庫から引用して紹介をすると、

子張、明を問う。子曰わく、浸潤(しんじゅん)の譖(しん)、膚受(ふじゅ)の愬(そ)、行われず。明(めい)と謂(い)う可(べ)きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われず。遠(えん)と謂う可きのみ。

弟子の子張が「明」とは?すなわち、人物を識別するについての聡明さ、洞察力について質問した。
孔子の答えは、水がものを、人の気づかない間に、だんだんと浸してゆくように、日数をかけて君主の心にくいいる巧妙な讒言(ざんげん)と、皮膚にしみ込むほこりのように、知らぬ間にしみ込む讒言。
君主のそばには、そうした巧妙な讒言、讒言中傷とは気づかれにくい讒言中傷が渦巻きやすいものであるが、それが作用しない状態、それこそ人を知る「明」、といい切ってよろしい。
浸潤の譖、膚受の愬が行われなければ「明」であるばかりでなく「遠」(遠大な到達)といってよろしい。

とありました。お分かりいただけたでしょうか!?
皆さんの中にもこのようなご経験をされたリ、見聞きされた方もいらっしゃっるのでは!?

実は、筆者もあの賢明、聡明と信じて疑わなかった方が、一人の取るに足らない人間の発することば、あることないことを誇張、誇大化して毎日言う「うったえ」により、疑心暗鬼に陥り、適切な判断を誤られ、「この人にして!?」という失望と安心感を覚えた経験があります。

そのように取るに足りない者の嘘(うそ)、誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)も毎日聞かされれば、どんなに賢明、聡明といわれ、洞察力に優れた人であっても信じてしまう。

だから、「明」であるためには、人を知って、そのような人を近づけない!というのが聖人の教えのようであり、古代の聖王の堯(ぎょう)と舜(しゅん)詳しくは解説ページへは賢人を抜擢して、佞人(ねいじん。口の達者な人。へつらい者)ばらを遠ざけた、と聞きます。

この言葉と事実を知って、人を見る目を養い、人を知って、皮膚に香気がしみこむように薫染(くんせん)を受ける。
コーチを雇ってよい影響をうける。

孔子の時代はいざ知らず、情報の発達した現代の人、管理者、経営者は多くの悩みと問題、未完了感を抱えています。
でも、自分のことは自分では気付かないものです。また、自分だけは大丈夫!そんなことは無い!と過信をしているものです。

自らを省みて、多くの選択肢の中からコーチを雇い、自分の気付いていないこと、うすうすは気付いていても行動に移せないこと、問題、未完了感は、大きくならないうちに無理なく、適切な処置をすることがお勧めです。

<ここだけの話 その1>
この記事を書くきっかけは、「全て順調に行きだした。公私共に充実してきた。今、この自分を見て両親が一番喜んでいる」というクライアントさんのさりげない一言、晴れ晴れとした笑顔とその言葉を聞いたときでした。

「よかった!コーチングを通じて、いくらかでも人のお役に立てた。」

「自分と将来を変えることは可能であるが、相手と過去は変えることがきない。」と、いわれているが、相手を変えようとせず、相手のためになる、気付きを与える質問をし続ける、視点を変えることにより、水がしみこむよう、また、香気がしみこむように、そんな影響を与えることもできるのだ。

プロセス・コーチングを継続することにより、クライアントと「コーアクティブ(協働的)」な関係を築くことは可能なんだ!?という気付きがあったからです。

<ここだけの話 その2>
「記事の3分の2が語句の説明、本文にも解説が増えてきた」と、コーチから指摘を頂いた。
流石!福家コーチコーチオンラインのHPへ鋭い。
簡単に記事を書くひとつのパターンに気付いたが、それは本来、「解説ページ」に記載すべきものであることには気付かなかった!

なるほど!という気付きとともに最近の記事は「教条的」、「知識」を伝えるだけのものに変化していないか!?ということにも考えが及んだ。

そもそも、インターネットは知識を伝えるメディア。それに対して、「体験と気付きのあれこれ」をお伝えしよう、「体験と気付き」からの考え、想い、気持ちをお伝えしよう。と、5ヶ月前から書き始めたのであるが、、、、、。

んっ!?これ、この考えはギャラップ社のいう「私はどこに向かっているのか?」と貴方は自問します。と解説のある「FOCUS/目標志向」か!?
ならば、秋田の友達のコメント、仲は「目標志向」結果のとおり!というのは正解!?

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