リンク集

« 利と義 | トップページ | 先進 »

2007年2月 9日 (金)

「先進」解説ページ

今週は、先日の日曜日に四国で初めて、松山で開催された「スペシャル・コーチング・プログラム」に参加して、新たな気付きと体験を得ることができました。

そのような体験も含めて、週末に本文記事の投稿を予定しておりますので、ご高覧いただけると嬉しいです。

それで、ここでは例によって週末記事の解説を予告編として少々。

先ずは書籍の紹介です。
●『論語について』 吉川幸次郎(著) 講談社学術文庫アマゾンへ
論語を中心に、孔子の人間性、思想とかを取り出して、その当時の日本人に欠けていたもの、当時の日本文化の大きな短所であるようなものを特に取り出して来て、その文化への一つのアンチテーゼ(反対命題・主張)として提出しようとする意欲の強い人、そのような吉川氏が昭和41年にNHKの「古典講座」において1ヶ月にわたり「論語」を語ったものを主に、論語についての講演、月報などへの投稿記事を収めた書籍であり、手軽に論語と孔子、それに吉川氏の想い、考えを知ることのできる一冊です。

続いて語句の簡単な説明です。
●先進篇
「論語」20篇の後半、いわゆる下論の最初の篇で、「子(し)(い)わく、先進(せんしん)の礼楽(れいがく)に於(お)けるは」で始まる最初の2字をつまんで篇名としたことは例のとおりですが、この篇の特徴として、弟子たちに対する孔子の批評、あるいは比較の言葉を述べたものが多く、この最初の章も先進の礼楽(礼儀と音楽)と後進の礼楽の比較のことばで始まっています。

●子夏(しか)と子張(しちょう)の考え、行動の違い
親の喪が明けて孔子に謁見(えっけん)した子夏は、孔子のリクエストにより、軽く琴を爪弾き「先王礼を制す、而して敢えて過ぎざるなり」(喪が明ければ、平生の生活に帰るのが先王の定めた礼の掟ですから、それに外れないように努力する)と言った。
次に、子張が同様の立場にあったとき、ちゃんと型どおり琴を弾いた上、立ち上がって「先王礼を制す、敢えて至らずんばあらず」(先王の定めた礼の掟の線まで到達せずにはおれません)と言った。
という、巧妙な説話が「礼記(らいき)(五経の一つ。周末から秦(しん)・漢にかけての儒者(じゅしゃ)の、礼に関する説を収録した書物)、「檀弓(だんぐう)(戦国時代の魯(ろ)の人。性は檀、名は弓。礼に詳しかったので、礼記の編名になっている)篇の一条にあります。

●過(す)ぎたるは猶(な)お及ばざるがごとし
弟子の子貢(しこう)が、「子張(しちょう)と子夏(しか)のどちらが、よりすぐれていますか?」とたずねたのに対して、孔子は「子張は全ての行動が過度であり、子夏の方は全てに控えめである。」と答えた。そこで子貢は「それでは、子張の方が優れていますか?」と訊(き)いた。それに対して、「過度の者が持つ不完全さは、控えめな者が持つ不完全さと同じである」と孔子が答えたことばが出典のようです。

●人の己(おのれ)を知らざるを患(うれ)えて
論語の学而篇にある、「子曰、不患人之不己知、患不知人也」という章は、「人の己を知らざるを患えず、人に知られざるを患えるなり」という解釈と、後半の部分を「人を知らざるを患えるなり」とする2通りの解釈があり、週末の記事は前者の解釈に従ったものです。        

« 利と義 | トップページ | 先進 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「先進」解説ページ:

« 利と義 | トップページ | 先進 »

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ