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2007年4月26日 (木)

「辞」解説ページ

Photo画像は、「八郎潟の直線道路です。」という言葉と共に、秋田の友人から送っていただきました。

さて、今週は論語「衛霊公(えいれいこう)」篇の中から教条的で、短い「子曰わく、辞は達するのみ。」という一条を紹介します。

この条を理解するには、「辞」と「達」という言葉について知っておいた方がよい!?と思い、「新字源」でその意味を調べてみました。
それによると、
●【辞】①ことば、言語②文章③つげる④ことわるetc

●【達】①とおる②とどく。たっする。とどけるく③とげるetc
とありました。

そのことばの意味を知って、『論語』 吉川幸次郎(著) 朝日文庫の解説を見ると、

「辞」を、一般の言語、乃至(ないし)は文章、の意味に理解し、意思を伝達できればそれでよろしい、と読むのが普通の説である。

という文章が、より理解できました。
そして、同書の解説では、その後に異説をも紹介して、さらに、

一般に有名なのが普通の説である。普通の説によってこの条を読み、言語の質直さを尊んだとしても、孔子の考えが、一方的にそうであるのでなく、適度の装飾をも、よい言語、よい文章の条件として尊んだという資料がある。

それは、「言は以って志を足し、文は以って言を足す。言わざれば誰か其の志を知らん。言の文無きは、行われて遠からず」、つまり、言語は心理の充足であり、装飾は言語の充足である。言語でなければ真理は理解できないが、装飾のない言語は、遠くまで普及しないという「左伝」に見える言葉である。

との解説があり、「辞」は意思を伝達できるだけのもの、つまり「質」とともに「文」、かざり、装飾も必要であるということについて以下のように結論付けている。

言語乃至(ないし)は文章についても、内容と表現が釣り合って、文質彬彬(ぶんしつひんぴん)たることが、後世の儒家の文学論ないしは文章論の中心となるごとくである。

として、最後に「易」の「乾」の卦の「九三」の「文言伝」の一説、
「辞を修めて其の誠を立つ」、ということばを紹介し、

言葉をととのえて、誠実さを打ち立てる。それが文章についてのまた1つの道徳として、考察に加わることもある。

と、解説をしているのですが、少々理解に苦しむので、『易』 本田 斉(著) 中国古典選1 朝日新聞社を開いてみた。すると、

「脩辞立其誠。所以居業也」という漢文の後に、
「辞(じ)を脩(おさ)めその誠(まこと)を立つるは、業に居るゆえんなり。」と、読み下し文を付して、
「一言の虚偽もないようにして誠意を立てるのが、外向的な、修業の手段である。」

という解説をつけて、孔子の言葉を紹介している。

そして、「文言伝(ぶんげんでん)」とは、同書の冒頭にある解説ページでは、

64卦(か)のうちで最も重要な乾(けん)・坤(こん)の2卦を特に詳しく解説するもの。文はかざるの意。乾坤の偉大な徳をたたえるには、かざりあることばでなければならぬからだという。

と記されていた。

「辞」、すなわち言葉、文章を伝えるには、事実、つまり体験、経験だけを記すのではなく、俚諺(りげん)、教訓、解釈(自分の思ったこと、感じたこと、考えたこと)をも表現するとより相手に伝わりやすい、ということに気付いたのですが、如何でしょうか!?

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