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2007年4月12日 (木)

「夢」解説ページ

070405tawarazu147今週は、「夢」という語句で「論語」の章を検索してみました。
そうすると、『論語上』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の「述而篇」に、
「子(し)曰(い)わく、甚(はなは)だしいかな、吾(わ)が衰(おとろ)えたるや。久(ひさ)しいかな、吾(わ)れ復(ま)た夢に周公(しゅうこう)を見ず。」
とありました。

そこで、例によって同書からその解説を引用してお伝えしますと、

私もずいぶん老人になった。肉体がよほど衰えたにちがいない。なんとなれば、以前は、私が最も理想とする人物である周公を、よく夢に見た。しかしいまは、周公の夢を見なくなってから、ずいぶんになる。

と紹介されていました。

それで、これはコーチングでいうところのモデリングである!?
と考えました。

と、同時に、安岡正篤翁が、「論語をみると、われわれが日常遭遇する現象や問題がことごとく原理的に説明されている。こんなことまで触れていたか、こんな問題まで出ていたかと、驚くばかりである。と、『論語の活学』 安岡正篤―人間学講和 プレジデント社アマゾンへの開巻第一に述べられている通りである、と感心したものです。

そこで、今週は「夢」についての気付きと体験、その本文記事を週末に投稿することに決めました。

その前に、孔子が敬慕した周公とはどのような人物であったか?ということを

『論語上』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の解説と、「新字源」から引用してみることにしました。

●『論語上』の解説では、

孔子から5~600年前(紀元前1100年ごろ)、周王朝の創業に当たって、王朝の政治と文化の方針、またそれらの組織を定めた周公姫旦(きたん)であって、文王姫昌(きしょう)の子、武王姫発(きはつ)の弟。

礼の諸儀式、またはそれに伴う楽(がく)、全てはこの偉人が制定したものとされ、周王朝のみならず、人間の文化の方向を定めた偉人として、孔子が仰ぎ慕っていたことが、この条(冒頭のことば)によって最もよく示されている。

●「新字源」には、

名は旦(たん)。文王の子で武王の弟。武王の子の成王を助けて周の制度文物を定め、周王朝の基礎を築いた。
孔子の理想とした聖人。
(陝西(せんせい)省岐山(きざん)県)を治めたので周公という。

とありました。
それで、次に周公について筆者の知る範囲のことを付け加えますと、

●「易」の爻辞(こうじ)(卦(か)の中のそれぞれの爻、すなわち陽爻(―)もしくは陰爻(‐‐)の棒にかかる文句で、その判断の中の微妙なシチュエーション(場面、局面、状況)を示す)を作成した人であるとも、

●「一度(たび)(もく)するに三度(たび)髪を握り、一度(たび)(はん)するに三度(たび)(ほ)を吐(は)く」。すなわち、おちおち頭を洗い、飯を食うひまがないぐらい賢者を迎えるのに熱心な人であった。
とも伝えられている偉人です。

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