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2007年6月 7日 (木)

「切磋琢磨」解説ページ

5007052602画像は、秋田の友達からのプレゼントで、山野草展から抽出した1枚です。

先週の記事で、思わず、「切磋琢磨(せっさたくま)する。」と書きました。

この言葉に最初に出会ったのが、50年ばかり前?ラジオのホームドラマでした。

たしか、「切磋琢磨とはどんな意味?」という子供の質問に、
父親が、「それは、切磋さんと、琢磨さんが云々」と切り出したものの説明できなかった。

そこでで始めて、父親は、自分がその意味を理解していないことに気づいた。

そんな展開であった?という記憶が残っています。
それで、この言葉の出典を知りたい!と考えました。

そして、この4字熟語は、たしか論語の中にも在った?と思い、巻末の事項検索を見てみました。
結果、その章は、「学而(がくじ)第一」にあることが分かりました。

それで、例によって、その章を『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫から引用して、読み下し文とその意味、解説を以下にお伝えします。

子貢(しこう)(い)わく、貧しくして諂(へつら)うこと無く、富んで驕(おご)ること無きは、何如(いかん)
(し)曰わく、可(か)なり。未(い)まだ貧しくして楽しみ、富んで礼を好む者に若(し)かざる也(なり)

子貢曰わく、詩に、切(せっ)するが如(ごと)く、磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く、磨(ま)するが如しと云(い)うは、其(そ)れ斯(こ)れを之(これ)れ謂(い)う与(か)
子曰わく、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。諸(こ)れに往(おう)を告げて来(らい)を知る者なり。

子貢、貧乏はしているが、卑屈でない、金を持ってはいるが、傲慢でない、というのは、いかがでしょうか
孔子、よろしい、いけなくはない。しかし、貧乏でありながら楽しみ、富んでいてしかも礼を好む者には、及ばないであろう。

子貢、「詩経」の詩に、いやが上にも磨きをかける、という意味の句がありますが、それはこのことを、指すのでしょうか。
孔子、お前こそ詩のわかる人間といってよい。何となれば、与えられたものから、与えられていないものを、お前は、ひきだし得たのだからお前は。

こんな注釈の後に「詩経」の詩の第一章を紹介し、詳しい解説があるのですが、詳細を割愛し、大要を転載すると、

子貢は、師の教訓と符合するものとして、詩の言葉を思い浮かべ、咄嗟にそれを引き、師の教訓に、詩の美しい言葉で、同意し、且つ強調したのである。

「詩経」の古い注釈である「毛伝(もうでん)」を見ると、骨に対する加工が「切」、象牙に対する加工が「磋」、玉(ぎょく)に対する加工が「琢」、石に対する加工が「磨」となっている。

子貢は、もとの詩の意味を少しずらせて、貧乏な者が、卑屈でないだけでなく、生活を楽しみ、また富める者が、傲慢でないばかりでなく、礼を好むという条件を加えること、それは、ほんらい美しい材料である獣骨、象牙、玉、石を、いやが上にも美しく磨き立てるのと同じだとして、詩経の2句を引いたのである。

この子貢の詩の引用に対して、孔子は、喜んで、賜(し)(子貢の本名)よ、お前とこそは詩の話ができる。
お前は、わしの与えた教訓に対して、すぐに、詩の句を引用して、詩に新しい命を付与したぞお前は。

そのような解説の後に、(前略)「このように既に与えられたものに満足せず、積極的に、次なるもの、次なるものをと、求めていく精神こそ、儒家の積極主義として、私の愛すものである。」という吉川幸次郎氏の言葉が書かれていた。

これこそ、切磋琢磨!?

我々世代は、「あいつにだけは、負けるな!」「ライバルより少しだけでも前に行け」、「次のことを考えよ、先を読め」「一所に止まるな」「次の展開を読め、思考せよ」「1を聞いて、10を知る人間に成れ」などと、ことあるごとに恩師から、そんな競争・向上心を植えつけられて育ったものである。

これって、もしかして、「儒家の積極主義的精神」から来たもの!?

戦後、儒家的精神は喪失した、といわれてはいたが、まだまだ我々世代の指導者には残っていたんだ!
と考えたのですが、如何でしょうか?


<「切磋琢磨」解説ページ 附録>

子貢が引いた「詩経」の詩は、今日の河南省の北部、淇(き)県にあった衛(えい)の国の民謡、すなわち「衛風(えいふう)」の第一篇、「淇奥(きいく)」の詩の第一章である。

そのような紹介がありましたので、『詩経』 白川 静(著) 中公新書を開いてみました。

すると、「衛風の淇奥(きいく)は『四書』の1つである『大学』にも引用されていて、よく知られているものであるが、それは領主讃頌の詩である。文徳の優れた君子を慕う意が歌われている。」

とありましたので、『大学・中庸上』 島田虔次(著) 中国古典選6 朝日文庫を見てみました。

そこには、前出の2冊の文庫本とは、漢字や解釈に多少の異同はあるのですが、以下に同書からの読み下し文と大要を引用しながらお伝えします。

詩に云う「彼(か)の淇澳(きいく)を瞻(み)れば、菉竹猗猗(りょくちくいい)たり。斐(ひ)たる君子(くんし)有り。切(き)るが如く磋(みが)くが如く、琢(う)つが如く磨(と)ぐが如し。瑟(しつ)たり僴(かん)たり、嚇(かく)たり喧(けん)たり。斐たる君子有り、終(つい)に諠(わす)る可(べ)からず」と。

切るが如く磋くが如しとは、学(がく)を道(い)うなり。琢つが如く磨ぐが如しとは、自ら修むるなり。瑟たり僴たりとは、恂慄(じゅんりつ)なり。嚇たり喧たりとは、威儀なり、斐たる君子有り、終に諠る可からずとは、盛徳至善(せいとくしぜん)、民の忘る能(あた)わざるを道うなり。

●淇澳(きいく):淇の川の曲がり角。澳は隈(くま)

●菉竹猗猗(りょくちくいい)たり:緑竹が猗猗(美しくて多くあるさま)としてみごとにおい茂っている

●斐(ひ)たる君子(くんし):文(あや)のある君。すなわち学問教養の滲み出ている君子

●切磋琢磨:切は、獣骨や象牙を切る。磋は、それをみがく。琢は、玉や石をのみで形をつける。磨は、それをみがく。

骨器、角器を作るものは、まず切ってから磋(みが)き、玉器、石器を作るものは、まず琢(う)った上で磨(と)ぐ、つまり仕事に、精緻に仕上げていくプロセスがあるように、君子が学問に努めたり(切磋)、自修(琢磨)して人格の向上に努力するたとえ。つまり、切磋琢磨は、「盛徳至善」に到達するための手段であり、プロセスである。

●「瑟たり僴たりとは、恂慄(じゅんりつ)なり」とは、戦(おのの)き懼(おそ)れ慎むこと。(瑟は厳密、すなわち真面目で集中的。僴は武毅、すなわち剛直。恂慄とは、中に存する厳敬。)

●「嚇たり喧たりとは、威儀なり」とは、畏(おそ)れるべく、また模範とすべき意義を外面に備えていること。(嚇たり喧たりは、宣著(あらわ)にして盛大な貌(かたち)。威儀とは、外に著われる輝光。)

●「盛徳至善、民の忘る能わざるを道うなり」とは、人間誰もが理想とするところ「盛徳至善」の君子(聖人)を仰いで、忘れることができない。(盛徳とは立派な徳のことで、君子の身につけられた点でいい、至善とは道徳上の最高の理想であり、君子が把握した理が究極的であった点をいう。)

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コメント

切磋琢磨:仲同士が競い合い、励ましあって共に向上する。これだと思っていました。
切は、獣骨や象牙を切る。磋は、それをみがく。琢は、玉や石をのみで形をつける。磨は、それを磨く。1字毎に解釈すればこんな意味が有るかと感心したり、一途に邁進すること、いままでの解釈が少し変化してきました。

繁ちゃん、いつもコメントありがとう!

「切磋琢磨」の意味については、私も繁ちゃんと同じように考えていました。

でも、これだけだと50点、半分みたい?のようです。

「切って、磋(みが)く。琢(う)って、磨く」。
職人がそのようなプロセスを経て、立派な器をつくるように、
人間も「学問をして知識、見識を身につけた後に、人格、徳を養う」。
そのようなプロセスを経て「盛徳至善」に到達する。

これを付け加え、始めて100点満点!らしい。

今回の記事も引用が多く、また長すぎて、理解しにくかったですね。

反省!しています。

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