達
画像は秋田の友人からのプレゼントです。
「先日、栗駒周辺を散策して来ました。ワタスゲ、イワカガミが見ごろでした。
暖冬のわりには山の草花は一週間ほど遅れていました。」という言葉と共に6月25日に届きました。
さて、先の解説ページでは、「人間力」という言葉を聞いて六然(りくぜん)ですか?と問合せをしたのですが、ヒットしなかった(返事がなかった)。
ならば、「達」か!?
と考えて、論語の中から子張(しちょう)と孔子の問答を引用してお伝えしたのですが、
達、聞、という2つの概念はどう訳すべきか。しばらく、「達」は社会人としてもつ自由さ、「聞」は有名人であること、としよう。
この吉川幸次郎氏詳しくはこちらの解説について「角川新字源」を持ち出し、それぞれの「なりたち」と「意味」を抽出し、比較したのですが、それが一知半解の要因になったことに加え、あまりにも繁雑になりすぎた。
それで、「もう少し分かりやすい記事を書け!」というFB(フィードバック)を朋友から頂戴した。
そして、このFBから気づきを得た。つまり、パラクライン(相手の言葉から気づき)が起こった!
「人間学」といえば、安岡正篤翁!
「人間力」について知りたければ、安岡正篤翁に訊けばいい!と思い、
『人物・学問』 安岡正篤(著) 明徳出版社を引っ張り出してきた。
すると、
「英雄と学問」という章のなかで、「河井継之助詳しくはこちらは人物である。」といい、「人物というもの」についての見識を披露しておられる。
河井継之助をご存知ないかたのために、そこに書かれていた別の言葉を紹介すると、
人物とは、「シナに行っても、ドイツに行っても、英国に行っても、必ず人物として尊重される人」と言っておられる。
では、人物といわれる人に成るために必要なプロセス、
すなわち、どのように切磋琢磨をすれば人物といわれる人になるか?ということについて要約すると、
「気を養い⇒節操を身につけ⇒胆識ができ⇒学問修養をして⇒深みを加わえる」
そうすることによって、人間のうるおい、深さ、その人の真の個性がでてくる。
それで初めて、どこに行っても必ず人物として尊重される人になる。
こんな人、つまり人間のうるおい、深み、真の個性のある人が、「人間力のある人」と考えたのですが如何でしょうか?
そして「達」=社会人としてもつ自由さ、ということについては、
節操を身につけ、胆識というものができてはじめて自由な器量人といわれる人になる。
そこから、さらに学問修養を積んだ結果、韻致(風流なおもむき)ができ、芸術作品と同じような人間ができる。
そして、さらに薀蓄(うんちく)だとか、造詣(ぞうけい)という深みを加えると「人間力のある人」に到達する。
このように考えると、「達=社会人としてもつ自由さ」と言う解説と「人間力」についても納得できた。
ひとりの女性は、「○○さんは人間力のある人」という表現をされたのであり、これで彼女の話も了解。
しかし、もう1人の女性は彼女自身が「人間力のある人に成る」ということであったので、未解決。
そこで、再度、安岡正篤翁の「人物というもの」をもとに彼女の現状を推測すると、
社会人としてもつ自由さの域には達していた。
つまり「達」のレベルには到達していた。(と思う。)
器量がよい(容貌が美しい)かどうかは別にして、主体性があリ、自由であった。それだけ落ち着きがあり、安定していた。
そして、音楽を好み、(余談であるが孔子も音楽を好んだ)1つの旋律、リズムがあった。
どこかリズミカルなところがあった。
それに今なお、学問修養にも取り組んでいる。
んっ、ということは、さらに修養(道を修め徳を養い、人格の完成に努める)を積んで、深みを増せば、「人間力」のある人物になる。
彼女はまさに達人であり、学問修養を積んで(切磋琢磨をして)、深みを身につけようとしている。
「人間力のある人」になろうとしている。
それで、その意思表示をしたのか!?
ならば、六然についても既にいくらか、その域に達しっている!?
凄い!
完敗!と思った。
そうは思ったものの、振り返ってみると、彼女のどこかに、まだひっかリ、わだかまりのようなものが残っているのを感じた。必ずしも融通無碍の域に達しているとは思えなかった。そんなふうに感じた。
そして私は、「人間力のある人」よりも「人間的な人」が好き!
んん、これって、もしかして負け惜しみ!?
<達 ここだけの話>
先の解説ページでは、
「達」のなりたちとして、「とおりぬける、ひいて“とどく”意を表わす。」という「角川新字源」に記載されていた意味を紹介したのですが、自らの体験からそのとおり!言い得て妙であると感じました
これは、知識としては学んでいても、また、指示命令型の企業に籍を置いていたのでは、気づきも起こり得ぬ体験ですが、
難儀して目標を達成しても、ゴールに到達しても、そこには何もなかった。
それは、次のゴールを目指すための場でしかなかった。
「五十九非を知って、六十化そう」という目的のためのために計画し、達成した私の3つの目標は「六十化す」ための1つの通過点でしかなかった。
そして、やればできる、夢はその気になって追いかけ、しっかりしたサポートシステムがあれば達成できるもの、という気づきと、喜びしかそこにはなかった。
そこは、やればできるという自信と次の目標、ゴールを目指そう!という気づきを手に入れるためのところでしかなかった。
<達 附録>
●六然とは、
・自処超然(みずからしょすることちょうぜん)
・処人藹然(ひとにしょすることあいぜん)
・有事斬然(ゆうじざんぜん)
・無事澄然(ぶじちょうぜん)
・得意澹然(とくいたんぜん)
・失意泰然(しついたいぜん)
その意味は、(安岡正篤 『百朝集』 福村出版より要約)
自分に捕らわれず(解脱の境地)、人に対しては、いつも和やかに好意を持って接し、何か事あれば、活気に充ちて敏速に行動して処理し、事がなければ、いつも水のように澄んだ状態でいて、得意のときも、あっさりとした状態でおり、失意のときも、ゆったりと構えて動じない。
●胆識(たんしき)とは、義利を弁える見識を身につけ、外物の誘惑や脅威に対して毅然として動じず、所信を実行する力
●【薀蓄】うんちく①積みたくわえる。②学問・知識をたくわえる。また、その学問・知識
●【造詣】ぞうけい①学問が深い奥底に到達すること。また、その境地。造も詣もいたるの意。②場所に到達する。おとずれる。
●「河井継之助」についてより詳しくお知りになりたい方には、司馬遼太郎の名著、『峠』アマゾンへは如何でしょうか?
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