「比周(ひしゅう)」解説ページ
画像は秋田の友人からのプレゼントです。
「元気ですか?
そちらは空梅雨から一転して豪雨で大変だと思います。
被害は無いですか?
秋田は晴天で昨日がんばって森吉山(1454m)に登りました。森吉山のサイトへ
八合目までゴンドラに乗り、一時間半かけてやっとの思いで頂上にたどり着きました。
色々な花が咲き乱れ満足な一日を送りました。
ただ、チングルマの群生は花が終わり残念でした。」
「近況」というタイトルに、このようなメッセージを添え7月9日に送っていただきました。
「色々な花が咲き乱れ」ていた画像も同送されていましたので、後日、順次ご紹介します。
さて、「比周(ひしゅう)」とは?
この熟語はご存知でしたか?
『論語上』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫 「為政篇」には、
子(し)曰(い)わく、君子(くんし)は周(しゅう)して比(ひ)せず、小人(しょうじん)は比して周せず。
君子は友情に富むが、仲間ぼめはしない。小人はその反対に、仲間ぼめはするが、真の友情をもたない。
それが、この条の、大体の意味のようであって、周の字を、古注では忠信、すなわち
忠実の意味に解し、新注では、普徧と訓じている。
君子と小人の違い、すなわち比と周についてこのように解説されていました。
しかし、何か今一納得できない!
一知半解の域を出ません。
そこで、『論語現代に生きる中国の知恵』 貝塚茂樹(著) 講談社現代新書を見てみた。そこには、
「りっぱな人は心から仲のよい友とはなるが、徒党・派閥はくまないものだ。小人、つまりつまらぬ人間は徒党をくむが、心からのほんとうの友にはならないものだよ。」と。
君子と小人の違い、すなわち比と周の意味がこのようにわかりやすく掲載されていたので納得した。
それでも、「比周」という熟語をどこかで聞いた(見た)記憶があったので、「角川新字源」を開いてみた。
【比周】ひしゅう
①親しくする。転じて、仲間を組んで悪いことをする。[左伝・文十八]「頑嚚不友、是与比周(がんぎんを友とせず、これと比周す)」
②比は、私心で親しむこと。周は、正しい道で交わること。[論・為政]「君子周而不比、小人比而不周」
このように記載されていました。
そして、この比周についての気づきと体験については明後日お伝えします。
<比周 附録>
●『論語上』の解説には,比と周について「新注では、普徧と訓じている。」の後に続いて次のように書かれていました。
普徧と訓ずれば、友情の輪をおだやかにひろげる、ということになるであろう。周は公的であり、比は私的である、とも新注に見える。君子の友情は理性的であるに対し、小人の友情は感情的である、ということにもなるであろう。
●『論語現代に生きる中国の知恵』の解説では比と周について、
一般に中国では、政党とは小人が比して周せず、利権を中心として集まった悪人どもと観念されています。進歩といわず、保守といわず、政党なぞは君子のともがらのたずさわるもけがらわしいものだというのが通念でした。政党には派閥がつきものだということは、中国人はとっくに知っていたのです。
そんなふうに書かれていたのですが、今回、愛媛県から参議院選挙に出馬した新人は、政党の公認を受けず無所属とのこと。
さては、この論語の意味を熟知してのことでしょうか?
それに、最近の若者の政党離れといわれる現象はこの意味を解してのこと?
それとも、彼ら若者の感性がなせることでしょうか?
●「角川新字源」によると
・「比」は、人がふたりならんでいるさまにより、「ならぶ」、ひいて「くらべる」意を表わす。
・【周而不比】しゅうしてひせず:広く公平に親しみ交わって、かたよることがない。
このように記載されていました。
コメント
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森吉山のサイトまで作って貰い。逆に森吉山のサイトを検索し色々と知ることが出来ました。
仲の方が秋田県人に成りますね、少しはインターネットを検索すればいいのですが興味が無く知識もさっぱり、でも心は秋田県人です。
投稿: 宇都宮 繁敏 | 2007年7月13日 (金) 12時00分
繁ちゃん、コメントありがとう。
森吉山は景色のすばらしい所のようですね。
ネットに表示されている森吉山の景色もいいのですが、
繁ちゃんの撮影したものの方が素晴らしい!
それにしても、「灯台下暗し」とはよく言ったものですよね。
私も愛媛県のことには、あまり詳しくない状態です。
繁ちゃんは心だけでなく、言葉も完全に秋田県人ですよー。
んんだっ!んんだっ!!
投稿: 仲 | 2007年7月13日 (金) 15時40分