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2007年9月28日 (金)

「力不足也」解説ページ

Photo画像は秋田の友人からのプレゼントで桃洞滝です。

別名、女滝ともいうらしい。
そして、彼はここへ行きたかったとか!

彼の行きたかった理由がなんだか分かりそうな気がするのですが、、、、。

次のようなコメントとともに送っていただきました。

元気で遊んでいますか。

先週は田沢湖、白神山を散策しました。

今週は森吉山周辺を散策しようと一泊して目的の桃洞滝に向かいましたが
先日の水害で土砂崩壊、道路の欠損で通行止めで行けず。

次に安の滝(滝百選)に向かいましたがここも滝の間近で通行止めで一日中あっちこっちで災害視察に成ってしまいました。

9月29日から秋田わか杉国体が開催に成ります。
友人、知人等で参加される方はいませんか。
参加される方がいれば是非秋田に応援しに来てください。

災害視察とは、上手い表現である!と思った。

彼はあちこちで通行止めに合って、どんな気持ちになったのでしょうか?
そんなに気の長い人ではなかったのでイライラしたかも!?

しかし、文面からはそんな様子は見えないし、、、、、、。
歳月とは人を変えてしまうものかも!?

よく考えると、通行止めで行けないはずなの、何で画像が届くの?
さては、昨年の記録、or徒歩で桃洞滝まで行った!?

力不足也(ちからたらざるなり)とは縁遠い人!
行くと決めたらたとえ火の中水の中、そんな歳ではないはずなの、、、。

さて、そんな訳で今週は力不足也(ちからたらざるなり)

その章を『論語上』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の「雍也(ようや)第六」から、訓読を引用しながら、また、その訳と解説を要約してお伝えします。

冉求(ぜんきゅう)(い)わく、子(し)の道を説(よろこ)ばざるに非(あら)ず。力(ちから)足(た)らざる也(なり)。子曰わく、力足らざる者は、中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す。今(いま)(なんじ)は画(かぎ)れり。

冉求(ぜんきゅう)がいった。私は、先生の方法をうれしく思わないではありません。
ただ、先生の方法を実行するには、私の力量が不足なのです。
孔子はいった、本当にお前の力量が不足ならば、やってみて途中で挫折して引き返すはずだ。
お前の場合は自分自身で自分の限界をはじめからきめてかかっている。

・冉求(ぜんきゅう)、字(あざな)は子有(しゆう)で孔子の弟子の一人。
・食わず嫌いは、懶惰(らんだ。意味は、めんどうくさがる。なまける。)と同義語であることを、この条は痛烈に指摘する。しかも孔子の言葉の、いつものおだやかさは、失われていない。

力不足也(ちからたらざるなり)は、私の逃げ口上、つまり体(てい)の良い断り方。
それに対する相手からの返事は、女画(なんじはかぎれり)と。

ただ孔子の返事と違うところといえば、その相手の言葉は、おだやかさなどとは縁遠いものであった。

そんな若かりしときの私の気づきと体験は、また土曜日にお届けします。
お楽しみに!

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コメント

桃洞滝は2度行ってます、写真は2年前紅葉の時の写真、駐車してから片道45分程の川沿いの平坦な散策、渓谷を観ながら気楽に行ける所。
私の性格をよく知っていますね(幼馴染だもん)、でも年と共に円く、長く、腹が立たなく成って段々と神(鬼神)に近く成っているのかな。此れからも神には成らずこの世で楽しみたいと思います。

繁ちゃん、コメントありがとう。

やっぱり!
秋田は気温が下がってきたとはいえ、この景色は早すぎる!?
という観察眼が働きました。

オレもまだボケてはいない!(笑

ホント、繁ちゃんは仏様に、いやっ、繁ちゃんちは神様でしたね。
繁ちゃんは顔からして神様に近づきつつありますよ。

私は依然としてガキにかえりつつありますけど。(笑)

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