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2007年10月27日 (土)

回也不愚(かいやぐならず)

「回也不愚(かいやぐならず)」とは、孔子が「顔回(がんかい)は馬鹿ではない」と評した言葉で、論語の「為政(いせい)第二」に収録されいてます。
もう少し、詳しくいうと、「顔回(がんかい)は、わしと終日話していても、わしの言葉に逆らわない、馬鹿のように見える。しかし、その私生活の言動を観察すると、人をはっとさせるものが充分にある。顔回(がんかい)は馬鹿ではない。」と孔子は言ったのですね。

また、「論語読みの論語知らず」ということについて説明してください!
と、リクエストすると手が挙がらない要因として、
頭の中では分かっていても、自分の言葉で説明できるか不安である。
それに、みんなの前では恥をかきたくないという心理が働く。

それらを斟酌(しんしゃく)すると、いきなりの質問に対して、みんなの前で答えるという行為は勇気のいることである。

そんなふうに、先の解説ページでは紹介したのですが、これまた、論語読みの論語知らず!

その訳は、もうおわかりですね。

そう!
「能ある鷹は爪を隠す」ともいいますね。

挙手して発表しないという要因の1つに、
人前では「目立ちたがりたく無い」という思いがあるのかもしれませんね。
顔回(がんかい)のように。

実は、私にもそんなときがあったのです(正確には、あったらしいのですが)。

それでついたあだ名が「昼行灯」
それは30代の初めの頃。

何かの機会に同僚が吐露した一言。
「ホント、あいつは昼行灯やな!?」と。

因みに、その意味を「広辞苑」で検索すると、

ひるあんどん【昼行灯】日中に火のともしてある行灯の意で、ぼんやりしている人や間のぬけた人をあざけっていう語。

このように記載されているのですが、かつての同僚の一言は、
「回也不愚(かいやぐならず)!」すなわち、
「あいつは、平生は馬鹿みたいな振りをしているが、いざ鎌倉!というときには力を発揮する男。本当はできる奴なんだ!」という驚きと、
「それなら、日頃から実力を出し切ればいいのに!」という批判、それに、
「できるのに馬鹿みたいな振りができる男が羨ましい!」という羨望。
そんな複雑な心情が言葉になったようです。

ならば、「校(あらが)う人」などと評されるときも、そんな一面が露出した結果かも?

相手の感じたであろうと思われる推測を、もう少し詳しくいうと、
自分が想像していた以上に手強い奴!
ならば、今のうちにはレッテルを貼っておこう、
「校(あらが)う人」と。
そうすれば、自分の面子も体裁も保つことができる。
そのように対面した相手は考えたのかも。

また、これも若かりしときの苦い体験。
ある偉い人、上司に率直なFB(フィードバック)をしたことがある。
「公平さに欠ける!」と。

もちろん、相手は烈火のごとく怒って反撃を開始してきた。

それ以来、その人の前ではさからわず、全てを受け入れることにした。
そればかりか、「素晴らしい人!」と思うようにした。

そうすると不思議なものである。

視点を変えただけで、その行動も変わり、相手からも好感をもたれて待遇が変わった。
そんなふうに相手に期待され始めると昼行灯ではいられなくなる。

まるで、絵に描いたようなサクセス・ストーリーですね。

しかし、これが間違いの原(もと)
そのサクセス・ストーリーが間違いであったことに、59歳にして気づいた。

五十九非に気づいて、行動の変容が起きた、というか意識して実行を心がけていることが、

「知らないことを知る」努力をしよう。

そのためには、自分の意見や考えを主張する・相手に訊いてみる・皆に訊いてみる。
そのわけは、言わなきゃ・訊かなきゃ・やってみなきゃ・体験してみなきゃあーわからない。

その手段として、積極的に手を挙げて・発言して・訊いて・行動してみよう!
そんなふうに視点を変えたのです。
そして、その行動も。

再びのサクセス・ストーリーを現実のものとするために。

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