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2007年12月13日 (木)

「川上之嘆」解説ページ

Snow 画像は、秋田の友達からのプレゼントです。

この雪が融けて川に流れたり、地下水となるのでしょうか。

最近は雨が少なく、愛媛県内の一部の地域では地下水が例年より、2,2mも減少しているとか。

さて、先週は朋友のコメントから、45年も前には、田舎の川でも白魚がとれていたことを思い出したのですが、その後、つい1年前頃までは、川沿いの散歩道を歩きながら、移りゆく四季の川の流れを見るとはなしに見ていたことを思い出すともに、、水面から季節を感じていた記憶もよみがえりました。

その記憶とともに、論語「子罕(しかん)第九」にある次のことばを思い出しました。

(し)、川上(かわのほとり)に在(あ)り。曰(い)わく、逝(ゆ)く者(もの)は斯(か)くの如(ごと)き夫(か)、昼夜(ちゅうや)を舎(お)かず。

それで、今週は、どのようなタイトルをつけようか?
「角川新字源」を検索すると、次のような四字熟語がありました。

【川上之嘆】せんじょうのたん:孔子が川のほとりに立ち、流水を見て、万物の移り変わってやまないのをなげいた故事。〔論・子罕〕「子在川上曰、逝者如斯夫、不舎昼夜」

【不舎昼夜】ちゅうやをおかず:夜ひるやすまない。〔論・子罕〕「逝者如斯夫、不舎昼夜」

この条の解説を、『論語』 吉川幸次郎(著)  中国古典選3 朝日文庫から引用すると、

いわゆる孔子の「川上の嘆」として、たいへん有名な一章である。川上の上とは、「うえ」ではなくして、「ほとり」であり、つまり孔子が、流れゆく川の水をまえにして吐いた言葉であるが、全く相反した二つの解釈がある。

過ぎ去る者は、すべてこの川の水の如くであろうか。昼も夜も、一刻の止むときなく、過ぎ去る。人間の生命も、歴史も、この川の水のように、過ぎ去り、うつろってゆく。

以上のように、悲観の言葉として解するのが、一つの説である。
<中略>
「逝く者は斯くの如き夫(か)、昼夜を舎(や)めず」とは、昼も夜も一刻も停止することのない宇宙の活動は、この川の水によってこそ、示される。それは無限の持続であり、無限の発展である。人間もそうした持続、発展のなかにいる。つまり、「学ぶ者の時時にして省察して、毫髪も間(おこた)り断ゆることなきを欲する」のだと、朱子はいい、程子もまた、これすなわち「易」の「君子は自ずから強(つと)めて息(や)まず」であるとする。

要するに詠嘆の言葉ではなく、人間の無限の進歩に対する希望の言葉と見るのである。
<中略>
私は、二説は、一方が正しくて、一方が正しくないと、いうのではなく、後に二つの説となって分裂したごとき思想、あるいは思想というよりもむしろ感情が、元来の孔子の言葉には、円満に含蓄されているのではないかと、考える。

われわれは時間のなかに生きている。そのために、無限の希望をいだきながら、希望はつぎつぎに裏切られつつ、老いにおもむき、死におもむくという、限定を受けているにはちがいない。しかしまた、時間のなかにいればこそ、われわれは個人としても、社会としても、進歩をもつのである。
<後略>

この件(くだり)は、コーチが見れば喜びそうな記述である。

だから、コーチをつけて、有限な時間を効果的に使いましょう。
人生の目的・目標を達成して、よりよき人生を楽しみましょう。

などと、いうかもしれない。

さらに、コーチが喜ぶ次のような記述もあった。

二つの説のちがいを、別の形でいえば、悲観の語と見る説は、「逝者」の二字を、「すぎゆく者」と読むのであり、希望の語と見る説は、「逝者」を、「すすむ者」と読むのである。

二つの見方は、それぞれに、それらの説の生まれた時代の、精神を反映する。

時代の潮流もさることながら、
自らの心のあり方、――自らの心・思考――次第で、悲観的になったり、希望の語となるのであれば、今日からあなたはどんな言葉を意識して使いますか?

などとコーチは訊いてくるかも知れない。

さて、それに対するあなたの答えは?
是非、お聞きしたいものですねー。

蛇足ながら、『論語』 吉川幸次郎(著)  中国古典選3 朝日文庫には次のような解説もありました。

・「逝者如斯夫」の「夫」は、感嘆の助字である。

・「不舎昼夜」の「舎」については、明確な訓詁がない。「昼夜を舎(す)てず」と訳したが、「舎(や)まざること昼夜なり」と訓ずる方が、いいかも知れない。

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コメント

時代、人生も川の流れの如く弛みなく変わっていくものです。
若いときは流れの如く身を任すのではなく、自分の夢、考えで流れに逆らって自分を確認し反省をし大人になっていけば好いと思います。
時代も人生も平和で楽しく流れて欲しいものです。

繁ちゃん、コメントありがとう。

達人は流石ですねー。
「昼夜を舎かず」を、たゆまぬ努力と訳すのですから。

そうですね、若いときは一所懸命流れに掉さしましたねー。

そういえば、学生運動の盛んな最中でもありましたね。
私は一心不乱に仕事をしていましたけど。

あれは何だったのでしょうかねー。

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