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2008年1月17日 (木)

「既往」解説ページ

 あなたは、相手・対象と一体化していませんか?
という内容の記事を書いて、新春早々に友人・知人へ配信し、その記事に対するフィードバックをお願いした。
その結果、ある方から次のような言葉を頂戴した。

「成長して欲しい」部下への指示はシンプルに、
できるだけ情報を削ってガイドラインっぽく『本質』のみを与え、指示された部下とともに結果を検証して、改善点を見出す。

もちろん、指示する側はそのシンプルな指示によって、その部下がどんな結果や成果を得ることができるかを想定しておくことが最低限必要ですが。
 
「そうだったんですか私はこう受け止めました。」
「いいんだ、ほぼ私の希望どおりだ。なるほどそういうやり方があったのか」
「そうなんです。ここの点はわからなかったので、『私なりに』こうしてみました」
「『私なりに』ってのがいいじゃないか。私も今度はこう言うように気をつけるよ。ありがとう。」
 
このような会話を交わすことが出来るようになると、指示する側・される側双方ともに得るものが多く、楽しんで仕事が出来る!と、夢のようなことを思いつきました。

実に素晴らしい!

彼は、私が書いた記事の中から、「リクエストは断られるもの」という文言を見て、

「巷に氾濫している広告は見てもらえないもの」
「シンプルで『潔い』ものが情報過多な他の広告に比べて人々の意識に『刻まれる』」

という、佐藤可士和(さとうかしわ)氏の主張を思い出した。

そして、部下への指示はシンプルに、エッセンシャル(本質)のみを伝え、詳細・具体的な事柄については相手に考えさせる。

そんなマネジメントスタイルを実践することによって、
自ら考えて主体的に行動する社員を育てる。

また、そのプロセスを通してお互いに学ぶ、
つまり、協働ということに気づいた。

年明け早々からこんな嬉しい体験がありました。

その感動を記事にしようと論語の事項検索をして、遭遇したのが「八佾(はちいつ)第三」の章にあるタイトルの熟語です。

では、早速、その章の訓読と現代訳を『論語』 吉川幸次郎(著)  中国古典選3 朝日文庫からの引用を主にお届けします。

哀公(あいこう)、社(しゃ)を宰我(さいが)に問う。宰我(さいが)、対(こた)えて曰(い)わく、夏后氏(かこうし)は松(まつ)を以(も)ってし、殷人(いんひと)は柏(はく)を以ってし、周人(しゅうひと)は栗(くり)を以ってす。曰(い)わく、民(たみ)をして戦慄(せんりつ)せしむ。子(し)、之(こ)れを聞きて曰(い)わく、成事(せいじ)は説(と)かず、遂事(すいじ)は諫(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず。

これを現代訳に直すと、次のようになる。

哀公(あいこう)という若い君主が、「社」について宰我(さいが)に尋ねた。
宰我(さいが)はこたえていった。「夏(か)王朝では松の木、殷(いん)王朝では柏の木で、現在の周(しゅう)王朝としては、栗の木を御神体としてあがめています。栗の音はリツですから、人民を戦慄させるためです」。

この話を耳にした孔子はいった。「できてしまったことは、いいわけがつかない。やってしまったことは、あらためようがない。過去のことは、とがめだてしない」。

しかし、先に紹介した私の友人は、「できてしまったこと、やってしまったこと、済んでしまったこと」に対して「とがめだてをしない」という上を行く、
つまり、事実を認め、受け入れて、ほめてやるのである。

そこで、思わず「実に素晴らしい!」という前述の言葉が口をついて出た。

そこで、質問です。
あなたは、新春早々、どんな素晴らしい出来事や感動、気づきがありましたか?

<「既往」解説ページ 附録>

参考までに、『論語上』 中国古典選3 朝日文庫には吉川博士の次のような解説も付されていました。

・哀公(あいこう)とは、魯(ろ)の君主であった定公(ていこう)の子で、孔子58歳のとき幼年で即位した。

・社(しゃ)とは樹木を神体とする土地の神である。

・孔子の言葉の意味は、「何という馬鹿な返答を宰我(さいが)はしたものか。君主に殺伐を教えるようなものである。しかし、過ぎ去ったことはしようがない、以後は気をつけるがいい、という意味であったと、される。

・音を同じくする言葉は、意味の上でも、何ほどか連絡があるのは、中国語のつねである。栗(りつ)という植物も、実のひきしまった植物であるから、戦慄の慄と、リツという音を同じくするのかも知れない。

さらに、「この字が、戦慄とまではいかなくても、敬栗、すなわち敬虔の縁語となる場合は、他にもある。」とあったので「角川新字源」を検索してみたが「敬栗」という熟語には遭遇できなかった。

因みに、「成事」、「遂事」、「既往」という熟語を「角川新字源」で検索すると、それぞれ次のように記載されていた。

【成事】せいじ:①すでになしとげた事。できてしまった事。〔論・八佾〕「成事不説、遂事不諫」

【遂事】すいじ:①すんでしまった事。なしとげた事。まだ成しとげられてはいないが、やりかけていまさらやめられない事がら。〔論・八佾〕「遂事不諫」

【既往】きおう:すでに過ぎ去った時、また、過ぎ去ったときの事。〔論・八佾〕「既往不咎」

また、文中にある佐藤 可士和(さとうかしわ)氏の象徴的な言葉は、次のURLで確認できます。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/060131/index.html

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