リンク集

« 多能鄙事(ひじにたのう) | トップページ | 鄙倍(ひばい) »

2008年5月 8日 (木)

「鄙倍」解説ページ

Mizubasyo0804222 画像は秋田の朋友からのプレゼントで、
刺巻の水芭蕉です。

 馬鹿がっ、!
知りもせんことを、
さも、知ったかぶりをするから恥をかくんやっ!

とは、Tさんが、Kさんの言動、浅慮を耳にして、
思わず吐き棄てたことばであった。

 事の次第は、こうである!
と、書き始めたものの残念!!

今日は、解説ページ記事の日につき、その続きを展開すると長文になりそう。

 で、その事と次第は週末までお待ちください。

 さて、先週の記事、「多能鄙事(ひじにたのう)」を書くにあたり、
『論語』 吉川幸次郎(著)  中国古典選5 朝日文庫の「事項索引」を利用し、「鄙事(ひじ)」という熟語のある掲載ページを見た。

 そこには、「鄙」のつく熟語として、「鄙事」「鄙倍を遠ざく」「鄙夫」と続いていた。

 これを見て、
おっ、これは「鄙」シリーズとしての「気づきと体験あれこれ」の記事が書ける!と思った。

 そこで、「鄙倍を遠ざく」という事項を見ると、『論語』 吉川幸次郎(著)  中国古典選3 朝日文庫 の「泰伯(たいはく)第八」に掲載されていることがわかった。

 で、早速、同書からの引用を主に、漢文は割愛して、読下し文とその現代訳、ならびに吉川博士の解説を、見易く、読み易い形に意訳・加工してお届けします。

 先ずは、訓読、すなわち読下し文です。

曾子(そうじ)、疾(やまい)(あ)り。孟敬子(もうけいし)、之(これ)を問(と)う。曾子(そうじ)(い)いて曰(いわ)く、
(とり)の将(まさ)に死(し)なんとするや、其(そ)の鳴(な)くこと哀(かな)し。
(ひと)の将(まさ)に死(し)なんとするや、其(そ)の言(げん)や善(よ)し。
君子(くんし)の道(みち)に貴(とうと)ぶ所(ところ)の者(もの)は三(さん)
容貌(ようぼう)を動(うご)かせば、斯(ここ)に暴慢(ぼうまん)に遠(とお)ざかる。
顔色(がんしょく)を正(ただ)しくすれば、斯(ここ)に信(しん)に近(ちか)づく。
辞気(じき)を出(い)だせば、斯(ここ)に鄙倍(ひばい)を遠(とお)ざく。
籩豆(へんとう)の事(こと)は、則(すなわち)有司(ゆうし)(そん)す。

 次は、その現代訳です。

危篤の床にある曾子は、見舞いに来た孟敬子に言った。
死に臨んだ鳥の鳴き声は、かなしい。
死に臨んだ人間の言葉は、優れている。
私も、いま、まさに、死を前にしている。
で、次のことをあなたに告げよう。
為政者として、礼(道)に対して尊重すべき効用は三つある。
第一は、体全体の動作が礼のおきてに適っていれば、他人が自分に加える諸種の暴力から遠ざかることができる。
第二に、顔の表情を礼によって正しくすれば、人から騙されないという状態に近づく。
第三に、言葉遣いが礼のおきてに適っているならば、鄙(いや)しい、道理に倍(そむ)いた、他人の言語を遠ざけることができる。
祭祀のことについては、掛りの者が、それぞれにいるわけで、彼らにお任せになれば、それでよろしい。

 続いて、吉川博士の解説です。

・曾子臨終の際の記録である。「曾子、疾(やまい)有り、孟敬子之を問う」。「問う」とは見舞いに行ったことである。

・孟敬子は、魯のくにの家老であって、孟武伯の子である。父の孟武伯が、孔子の友人の子であり、孟敬子は更にその子といえば、曾子の死が孔子の死よりも、ずっと後であったことは明らかである。

・「君子の道に貴ぶ所の者は三」、ここの君子の二字は、孟敬子が家老であることを考えれば、漠然たる紳士の意味ではなく、為政者、支配者の意味となる。

・また、ここの「道」という言葉は、道徳的な法則を意味すると思われる。

・暴慢、信、鄙倍を、他人の自己に対する態度として解したのは、古注によった。
新注では、立居振舞いを正しくすれば、自己の中から乱暴さがなくなり、顔色を正しくすれば、自己が真面目さに近づき、言葉遣いに気をつければ、自己の凡陋背理から遠ざかるとする。

・「鄙倍」の「倍」の字は、いずれにしても、「背」と同じであり、背理の意味である。

・籩豆(へんとう)の事とは、神や先祖を祭る場合、お供えを盛る器物としての籩(へん)、すなわち竹を編んでつくった「たかつき」であり、乾いた食物を盛るうつわ、豆(とう)、すなわち木でつくった「たかつき」であり、汁気のものを盛るうつわ、それらについてのことがら。
具体的には、いかなる祭祀には、何個の籩(へん)、何個の豆(とう)を、どこに、どうならべ、いかなるお供えをどう盛るかなどということ。

 う~ん、
暴慢から遠ざかり、信に近づき、鄙倍を遠ざける秘訣について、礼のおきてにはどのように記載されているのか?

 知りたい!

との思いに駆られ、頭を悩まされるところであっが、
自己の「顔色・言動を正せ!」
という新注に気づいて、やれやれであった。

 そこで質問です。
あなたは、暴慢から遠ざかり、信に近づき、鄙倍を遠ざけるため、いつも何に気をつけていますか?

    <「鄙倍」解説ページ  附録>

 訓読の難解な語句を「角川新字源」で検索すると、次のように記載されており、いずれも当該章の漢文が掲載されていた。

【鄙倍】ひばい:見識がせまくて道理にそむくこと。倍は背に同じ、そむく意。〔論・泰伯〕「出辞気、斯遠鄙倍矣」

【辞気】じき:ことばつき。口のききよう。語気。〔論・泰伯〕「出辞気、斯遠鄙倍矣」

【籩豆】へんとう:まつりや宴会に用いる器の名。籩は竹製で、果実などをもる。豆は木製で、塩からなどをもる。〔論・泰伯〕「籩豆事、則有司存」

 蛇足ながら、「凡陋背理」を同様に検索したが、
【背理】はいり:道理にそむく
と、記載されていたが、「凡陋」という熟語には遭遇できなかった。

 で、「凡陋背理」とは、「鄙倍」のことかな?と考えた。

« 多能鄙事(ひじにたのう) | トップページ | 鄙倍(ひばい) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「鄙倍」解説ページ:

« 多能鄙事(ひじにたのう) | トップページ | 鄙倍(ひばい) »

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ