「文章 Part1」解説ページ
そんなもんは理想やっ!
CはどこまでいってもCやっ!
Aには成れん!
まぁー、Bの中か、上ぐらいまでは行くかもしれんけどな。
これが、初めて私が聞いた集団の原理といわれる言葉で、
当時は3:4:3の法則と教わった。
すなわち、10人いれば、
・上の3人が、Aグループに属する人で、利益を生み出す優秀といわれる人
・中の4人が、Bグループに属する人で、利益を生むでもなく、かといって、足を引っ張るでもない普通の人
・下の3人が、Cグループに属する人で、足を引っ張る人。すなわち利益を食いつぶす人。
ならば、下の3人を切る(除く)と儲かる企業・集団になるかというと、NO!である。
こんなふうに上司から教わった。
そして、これが、いわゆる8:2の法則であるとか、働き蟻の法則といわれるものである。と、いう言葉を耳にしたのは、随分後の話である。
爾来、人間性とか、人間学とか言われる書籍を読みふけった記憶がある。
しかし、未だに、人間の不思議については理解しがたい部分がある。
その一つが、先週紹介した、人の行動と思考パターンである。
これは、多くの調査と、検証を重ね、人のタイプを9種類や5種類、4種類などに分ける。
そして、その特徴を知って、その強みの部分を活かす、という考えで、チームビルディングの際の参考にもなる。
で、そんな調査や検証作業が困難な春秋時代、孔子はどのような態度を取ったかというのが今日のテーマである。
では、早速、いつもどおり、『論語上』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫 「公冶長第五」からの引用を主に、多少の加工を施して、訓読とその現代訳、ならびに吉川博士の解説をお届けします。
先ずは、訓読、すなわち読下し文です。
子貢(しこう)曰(いわ)く、
夫子(ふうし)の文章(ぶんしょう)は、得(え)て聞(き)くべき也(なり)。
夫子(ふうし)の性(せい)と天道(てんどう)とを言(い)うは、得(え)て聞(き)くべからざる也(なり)。
次に、その現代訳です。
子貢が言った。
先生の文章を、われわれは、聞くことができる
しかし、人間性と、宇宙の法則についての先生の議論は、聞くことができない。
続いて、吉川博士の解説です。
・はなはだ有名な章である。ことに孔子の学問は、がんらい即物的であり、抽象的でも思弁的でもなかったと主張する学者たち、すなわち清朝の学者たちが、もっともしばしば引く章である。
・文章の二字で、子貢が何を意味したかは、じつはよくわからないが、具体的な行動としてあらわれた文化的な意図を、ひろく指すものであり、いまわれわれがこの二字を使うときの、狭義の意味、すなわち言語文化というだけの意味ではなく、礼、楽、という文化的な行為を、ひろく二字の中に含むと思われる。
・性すなわち人間性の問題は、孟子以後の儒学の、好んで問題とするところである。しかし、「論語」の中で、それに関する議論は、「性は相近く、習いは相遠し」というのが、下論の陽貨篇第十七に、ただ一つのものとしてある。
・また天の字は、よりしばしばあらわれるが、やはり陽貨篇に、「天何をか言うや、しかも四時行われ、百物生ず」という遠慮ぶかい言及が「天道」の性質についての唯一のものであるように思われる。
吉川博士は、「文章」という文字について、「具体的な行動としてあらわれた文化的な意図を、ひろく指すものである」と述べておられるが、何のことか、理解できなかった。
で、『角川新字源』を検索してみると、次のように記載されていた。
【文章】ぶんしょう:③内にある徳が外にあらわれたもの。威儀・文辞など。〔論・公冶長〕「夫子之文章、可得聞也」
なるほど、文章とは、「内にある徳が外にあらわれたもの」
なんや~、納得!
では、内に徳のない人の場合は、外に何が現れるのか?
というお話は、また、次回をお楽しみに。
そこで、あなたにお聞きします。
「EQ」とは何か?
EQについて、あなたの知っていることをお聞かせください。


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