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2008年6月12日 (木)

「狂簡」解説ページ

 うちの会社の一人ひとりは非常に素晴らしい!
しかし、生産性は低い。

それはどうしてやろうか。
何が足りないと思う?

 こんな質問を頂戴したら、あなたならどうします?

この企業に足りないものは何だと思いますか。

実は、その答えまでもが論語には書いてあるのです。

 では早速、その答えを、『論語』 吉川幸次郎(著)  中国古典選3 朝日文庫 「公冶長(こうやちょう)第五」からの引用を主に、多少の変更や他の書籍も参考にしながら、漢文は割愛し、訓読と、その現代訳、ならびに吉川博士の解説をお届けします。

 先ずは、訓読、すなわち、読下し文です。

(し)、陳(ちん)に在(あ)りて曰(いわ)
(かえ)らん与(か)、帰(かえ)らん与(か)
(わ)が党(とう)の小子(しょうし)、狂簡(きょうかん)にして、斐然(ひぜん)として章(しょう)を成(な)す。
(これ)を裁(さい)する所以(ゆえん)を知(し)らず

 次に、その現代訳です。

孔子が陳に滞在中に言った。
故郷の魯のくにに帰ろうか。
吾が郷党の青年たちは、理想・情熱、良心的な主義・信念を持って立派なところがある。
しかし、この善い素質を持ちながら、具体的に人格行動を大成する方法を知らない。

 続いて、吉川博士の解説です。

・陳とは国名であり、いまの河南省の南部の濮陽(ぼくよう)県を主都とした小国である。

・孔子は56歳のときに、魯の執政の位を去り、以後69歳で再び故国に帰るまで、あちこちの国を歴訪したが、陳にも2度ばかり滞在している。「史記」の「孔子世家」は、この条をいずれの滞在のときにも引いているが、のちの滞在のときに発せられたとするのが、ふさわしいであろう。

・「帰らん与(か)、帰らん与(か)」とは、放浪をやめて国に帰りたい、というのであり、同じ言葉を重ねた言い方であるのは、「帰らんと欲する意深き也」と、皇疏(皇侃(おうがん)の「論語義疏(ぎそ)」)にいう。

・「吾が党の小子」は、直訳すれば、うちのむらの若者たち、ということになる。

・党とは、「周礼」の「大司徒」に、五家を比(ひ)となし、五比を閭(りょ)となし、四閭を族となし、五族を党となす、と見え、つまり五百軒のむらを党とするのが原義であるが、ここでは、うちのむらの若者ということで、故郷魯のくにに残して来た若い弟子たちをさす。

・彼等は「狂簡」、すなわち、郷党の若者たちは意気さかんにとびあがり、「斐然(ひぜん)として章(しょう)を成(な)す」、はなばなしく文化活動をしているが、「之(これ)を裁(さい)する所以(ゆえん)を知らず」、元気さかんなだけに、どうきまりをつけてよいかが分からず、迷っている。だから私が帰って、彼らに方針を与え、彼らを指導しよう。

 以上が吉川博士の解説の引用である。

 これに対して、安岡正篤翁は、『朝の論語』 明徳出版社で次のように述べておられる。

斐然は立派なといふ形容で、章は「あや」「いろどり」、美しい表現です。簡は簡略・簡単の簡で、単純の意です。なるほどみなそれぞれ生地は好いが、これをどういふふうに仕立て上げるか、せっかくの美しい反物を見事に裁って好い服に縫ひ上げるかという裁縫を知らない。

このような比喩を使っておられる。

 こちらの方が、私にはすんなりと入りやすく、今回の現代訳は、『朝の論語』 安岡正篤(述) 明徳出版社からの引用を主とした。

 蛇足ながら、タイトルの熟語と「斐然」を「角川新字源」で検索すると、それぞれ次のように記載されていた。

【狂簡】きょうかん:志が大きく、行ないがぞんざいなこと。〔論・公冶長〕「吾党之小子、狂簡、斐然成章、不知所以裁之

【斐然】ひぜん:あやがあり美しいさま。〔論・公冶長〕「斐然成章」

 さて、ここで質問です。
結局、冒頭の企業に足りないものは何だったのでしょうか?

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