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2008年9月13日 (土)

「不如楽之者」解説ページ

Kinugasasou08072206  画像は秋田の友人からのプレゼントで、
キヌガサソウです。詳しくはこちら

 「あんた、今、ええ顔してるわ~」
「中学校のときは、怖くて近寄り難かったー、ホント!」
というTさん。

 「そうよー、○男さんは勉強はできたけど好きにはなれなかった」
「それが今は好好爺になって……」
と、のたまうKさん。

 んんっ、
いま、ここのオレは輝いているか?
魅力的か?
と、自らに語り掛けたり、
鏡の向こうの自分に問いかけることを習慣化すると、
女性が好む顔になる?

 ホントに~?

ということで、その真相を孔子に聞いてみた!
と、いっても、論語の章にその原理を探ってみたまでですが……。

 では早速、その章について、『論語』 吉川幸次郎(著)  中国古典選3 朝日文庫 の「雍也第六」から、引用を主に、多少の加工を施した訓読と現代訳、ならびに吉川博士の解説を紹介します。

 まずは、訓読、すなわち読下し文です。

(し)(いわ)く、
(これ)を知(し)る者(もの)は之(これ)を好(この)む者(もの)に如(し)かず。
(これ)を好(この)む者(もの)は之(これ)を楽(たの)しむ者(もの)に如(し)かず。

 次にその意味、すなわち現代訳ですが、
無用!のようですねっ。

 いやっ、
説明・解説が必要!ですか?

 では、吉川博士の解説をご覧ください。

・有名な条であり、人々のよく知る条である。そうして人々が、普通に解しているように解してよろしいであろう。

・「知る」とは、そのものあるいはその事柄の存在を知ることであり、この段階では、対象は、全然自己の外にある。

・「好む」とは、対象に対して特別な感情をいだくことである。対象はまだ自己と一体でない。

・「楽しむ」とは、対象が自己と一体となり、自己と完全に融合することである。

このように吉川博士は述べておられる。

 う~ん、
さすがー、
深いぃ~!

とは感じたものの、先に紹介した「述而第七」詳しくはこちらの、

多く聞き其(そ)の善(よ)き者を択(えら)びて之(これ)に従い、
多く見て之(これ)を識(しる)すは、
知るの次ぎ也(なり)

という「知る」と比較すると浅い!違う?
と、違和感を覚えた。

 で、そのもやもやを解消しようと、「知」「好」「楽」と手当たり次第に「角川新字源」を検索してみたが、この条に関する記載も熟語の存在も確認できなかった。

 では!と、「論語現代に生きる中国の知恵」 貝塚茂樹(著) 講談社現代新書の解説を見てみると次のように書かれていた。

学問でも芸術でも、努力してやっているとか、好きでやっているというだけでは足りない。そのことが本当におもしろくなければならない。小説なら小説を書いて、それがおもしろくなければだめだということでしょう。
孔子は、最高の境地はそういうものだ。楽しむという境地にならなければだめだということをいっています。

 おー、
なるほど!
道理でー。

 「知」とは、努力段階、
一所懸命、努力して知識を詰め込んでいるだけの人は、傍(はた)から見ると怖くて近寄り難い。

 しかし、いま、ここを楽しんでいる人、いま、ここが面白い!
と、心底感じている人の顔は、周りから見れば、輝いて魅力的である!

 う~ん、
この論理?
原則的な思考・推察は、あなたのお役に立ちそうですか?

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