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2008年11月 6日 (木)

「執鞭之士」解説ページ

Tamagawaonsen08101306 画像は秋田の友人からのプレゼントで、
八幡平です。

 「おいっ、あれ持って来い」
「これ、やっとけっ」
「それからなー、……。」

などという言葉を聞く機会は少なくなった
と、思うのですがいかがですか。

 その要因は、
・上司と部下の信頼関係の欠如
・上司の自信のなさ
・部下の忍耐力不足
・育った環境の違い
・受けた教育の違い
・etc

 しかし、とある所では、未だに耳にする言葉であり、
情景でもある。

 その場所・場面とは…、

と、興に乗りかけたところで残念!
紙幅の都合でこの続きは今週末にお届けします。

 で、今日は、タイトルの熟語が存在する章を、『論語』 吉川幸次郎(著)  中国古典選3 朝日文庫 の「述而第七」から、訓読(読下し文)とその現代訳、ならびに吉川博士の解説を、同書からの引用を主に、読みやすく、わかりやすい形に加工を施してご紹介します。

 まずは訓読、すなわち読下し文です。

(し)(いわ)く、
(とみ)にして求(もと)む可(べ)くんば、
執鞭(しつべん)の士(し)と雖(いえど)も、吾(わ)れ亦(また)(これ)を為(な)さん。
(も)し、求(もと)む可(べ)からずんば、
(わ)が好(この)む所(ところ)に従(したが)わん。

 次に、その現代訳です。

孔子が言った。
富というものが追求してよいものならば、
御者といういやしい仕事でも、私は甘んじて従おう。
が、もし、富というものが、追求されるべき条件を持たないならば、
私の好きなように、理想のために生きたい。

 続いて、吉川博士の解説です。

・富にして求む可くんば、という最初の句は,二様に読める。
 ① 経済的に余裕のある生活、それを追求することが不道徳でないならば、という一般的な条件としても読め、
 ② 富者たることを求めてもよい条件に、その社会があるならば、とも読める。
いま、いずれとも定めない。真意は両者の中間にあるかも知れない。

・敦煌(とんこう)から発見された漢の鄭玄(じょうげん)注の残巻は、この条のあたりから始まっている。
 
 しかし、この条のところは、なお紙が半分やぶけており、「孔子聘(まね)きに諸国に応ずるも、能(よ)く□□見(ら)るる莫(な)し、……道の終(つい)に行う可(べ)からざるを知り、故に此(こ)の言を発す。……」云々という注の文句が、紙の破れ残った部分に見える。

 おぉー、
流石、
吉川博士!

両者の中間に真意があるかもしれない。
で、いまはどちらにも軍配を挙げない、ということばに私はうまい表現手法やなー、と思わず感心した。

 と同時に、タイトルの熟語について、「角川新字源」はどのように記載しているのだろうか?という興味をもって検索してみた。

【執鞭之士】しつべんのし: 御者。むちをとって、貴人の馬車をあやつる者。転じて、いやしい仕事に従う者。
〔論・述而〕「富而可求也、雖執鞭之士、吾亦為之」

 では、貝塚博士は?
と、『論語現代に生きる中国の知恵』 講談社現代新書を見ると、

・孔子は富貴な生活、幸福な生活を正面から排斥したのではない。
・孔子の生きた時代は不正な手段でしか富貴が得られなかったのでこれを断念した。
・正当な手段で富貴が得られる社会をつくることが、孔子の理想であったかもしれない。
・そんな理想社会で富貴になれないのは、むしろ人間として恥ずべきだと孔子は考えていた。

 このような解説が付されていた。

 そこで、あなたにお伺いします。
ファンドなどは正当な富といえるでしょうか、それとも不当な富とお考えでしょうか。
あなたはどちらに軍配を挙げます?

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