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2009年2月11日 (水)

濯濯(たくたく) Part4

Park0901035 製品を出荷した数日後には、いつもクレームに悩まされる東田。
そのせいか、東田の頂上は濯濯(ツルツル、テカテカ)と化しつつあった。

 そんな東田を気にかけていた上司のNさん、
クレームに関する東田と作業者との会話内容を友人のSさんに思わずポロリ。

 その話を聞いたSさん、
「作業者に意識がないからクレームが起こる」
と一言。

 その言葉を上司のNさんから聞いた東田は、
なにぃー、作業に意識を持ち込む?
なにを素人がっ!

 この製品が完成するまでのプロセスには、意識しなければならないことが10,000以上ある。
それら全てを作業者に意識させることは至難の技。

 意識を強要すれば、作業者は「あれもやらねばならない、これもしなければならない」という強迫観念に束縛されて動けなくなる。

 作業は「無意識レベル」で行うもの、
作業者が「四焉(しえん)(蔵→修→息→游)」の「息」、もしくは「游」の段階に達して、初めてクレームは減少する。

 いまは、四焉(しえん)でいうところの「蔵」の段階。
部下は多くの失敗を積み重ね成長する段階であり、クレームはつきもの。現に、東田も、上司のそのような暖かい視線や姿勢、思いやり、言動に守られ育ってきた。

 いまは、辛抱のとき、部下を暖かく養育するときと、ひたすら「忍と恕」という管理者としての心と、イライラや怒り、ときには情けないと思う1個人としての偽らざる気持ち、
そんな複雑な感情を併せ持ちながら、日々のやり繰りや対応・処置に追いまわされる毎日の東田。

 そんな東田さんを初めとした管理者の方々のために、
「牛山の木の譬え」の続きを、『孟子・(下)』 小林勝人(訳注) 岩波文庫と 『孟子』 金谷 治(著) 中国古典選9 朝日新聞社からの引用、すなわち良いとこどりにして、訓読(読下し文)と、その現代訳、ならびに解説を読みやすく、わかりやすい形に加工してお届けします。

 まずは、訓読(岩波文庫から)です。

(ゆえ)
(いやしくも)(そ)の養(やしな)いを得(う)れば、物として長(ちょう)ぜらることなく、
(いやしくも)(そ)の養(やしな)いを失えば、物として消(つ)きざることなし。
孔子(こうし)が「繰(と)れば則(すなわ)ち存(そん)し、舎(す)つれば則(すなわ)ち亡(うしな)う。
出入(しゅつにゅう)(とき)なく、其(そ)の郷(おるところ)を知るなし」と曰(のた)まえるも、
(これ)心の謂(い)いか。

 次に、その現代訳です。

それゆえに、
正しい養育さえすれば、どんなものでも成長しないものはなく、
養い方を間違えれば、どんなものでも尽き果ててしまう。
孔子が、「しっかりと持っていれば有るが、放っておけば亡(な)くなってしまう。
出るにも入るにも決まった時がなく、その居(い)場所もわからない」と言ったのは、
おそらく、これは心のことを指していわれたのである。

 続いて、金谷 治 氏の解説です。

・適切な養いさえ忘れなければ、どんなものでも成長する。養うことを怠れば、どんなものでも尽きはててしまう。それは山の木でも人の良心でも同じことだ。

・孔子のことば、「繰(と)れば則(すなわ)ち存(そん)し、舎(す)つれば則(すなわ)ち亡(うしな)う」というのは、何に本(もと)づいたものか今日では明からでないが、前々章の「求むれば則(すなわち)得られ、舎(なげや)りにすれば則(すなわち)失う」と同じで、自分の心がけ次第で存在させることもできれば無くしてしまうことにもなること、そして「いつともなく出たり入ったりして、どこに居るのかわからない」、良心こそそれだというのである。

・人としての高貴な善性、仁義に至る心を養い育て、良心を放って乱暴な生活に身を任せるような、濫伐(らんばつ)に似た行ないは慎まねばならない。

・牛山の木の巧みな譬喩(ひゆ)、孟子の弁論術もしのばれる一章である。

 なるほど!
クレーム品はつくらないという高貴な善性、すなわち、相手のため、顧客のためを思う心、顧客を思いやる愛の心を養い育てることが肝要なのに、
それを怠り、人が本来持っている良心を、
「忙しい」「難しい」「きつい・厳しい」「先行きや将来像が見えない」「上司や管理者が悪い」「アイツが悪い、前工程・後工程が悪い」「しゃーない、これが給与に見合った働きなんやから」とか、
果ては、「会社が悪い」「クレームをつける顧客が悪い」などなどという濫伐にも似た部下の言動を放置していては、いつまで経ってもクレームの山は尽きない。

 作業者一人ひとりの心がけ、クレームはつくらない、流出させないという意識と、相手・顧客を愛する心、大切に思う良心を呼び戻す、そんな意識さえ持ち続けていれば、クレームを無くしてしまうことも可能となる。

 意識の矢印を自分や自社の都合に向けるのでなく、相手・顧客に向ける、自分を愛するように相手・顧客を愛する。

 「いつともなく出たり入ったりして、どこに居るのかわからない」そんな自分の良心に、意識を向ける。

 「自分の良心は邪念や雑念に覆いつくされていないか、濯濯(ツルツル、テカテカ)と光り輝いているか」と常に自分の心に問いかける。

 「いま、ここで自分の良心、相手を愛する心は輝いているか?」と作業者一人ひとりが自分自身に聞いてみる。

 そんな視点と習慣を養い育てることが大切なのですね、
東田さん!

 東田は、自分の昔とった杵柄(きねづか)、すなわち職人・プロの立場から部下や対象・現象を見たのに対して、Sさんは一般的・素人的・客観的視点に立って現象や現状を見た。

 これは、名選手、必ずしも名監督ならず!
といわれる所以でもある。

 「いつともなく出たり入ったりして、どこに居るのかわからない」良心の存在を意識する。すなわち、意識の矢印を自分の心に向ける、それは相手を思いやるという自分の良心を思いこさせる。

 そして、相手の喜ぶ顔を見たいと思う心を養う、これは相手に意識の矢印を向けるということである。

 こんなちょっとした一言、視点を変える言葉や問いかけ・質問をしてくれる人の存在が大切。

 そんな信頼できる上司や、コーチと呼ばれる人が身近に存在していれば、東田の頭も濯濯と化すことはなかったかも!

 そこで、あなたにお伺いします。
あなたは、どのようにして客観的(一般的・素人的)・論理的立場に立って、相手や対象を見る目を養っていますか?

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