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2009年4月11日 (土)

「欺罔」解説ページ

Ranten0903095 画像は秋田の友人からのプレゼントです。

 「ええけん、わしの言うとおりしてくれやっ!」
「ぐずぐず言わんと、わしのいうとおりやってくれたらええんやがっ!」
とYさんは声を荒げた。

 ことの始まりは、Yさんが受注した製品を優先的に処理して欲しい、と現場の担当者に打診していたことに遡る。

 それを聞きつけた工場の責任者でもあり、犬猿の仲でもあるSさん、

「Yさん、そんなムリを仰っては困ります。」
「ものには順序というものがあります。」
「それに、こちらの都合や考え、予定も決まっています。」
「ですから、Yさんの都合だけを優先するわけにはまいりません。」
「それに直接、現場の担当者に指示・命令されたのでは私の立場もありません!」
と、正論らしきものを開陳した。

 俗にいう、営業と製造のバトル。

 そして、暫く二人の押し問答が続いた後、
Yさんは顔を真っ青にして、冒頭の言葉を発した。

 で、どうなった?
というこの続きはまた来週お届けします。

 今日は、冒頭のYさんが、もし論語を読んでいたならば……、という感慨も込めて、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の「雍也(ようや)第六」からの引用を主に、訓読(読下し文)とその現代訳、ならびに解説を読みやすく、わかりやすい形に加工してお届けします。

 まずは、訓読、すなわち読下し文です。

宰我(さいが)、問(と)うて曰(い)わく、
仁者(じんしゃ)は之(これ)に告(つ)げて、
(せい)に仁(じん)(あ)りと曰(い)うと雖(いえど)も、
(そ)れ之(これ)に従(したが)わんや。
(し)(い)わく、
(な)ん為(す)れぞ其(そ)れ然(しか)らんや。
君子(くんし)は逝(ゆ)かしむ可(べ)き也(なり)
(おと)しいる可(べ)からざる也(なり)
(あざむ)く可(べ)き也(なり)
(し)う可(べ)からざる也(なり)

 次に、その現代訳です。

 宰我がたずねた。
「仁の道徳をもつ人は、もし誰かが彼に対して
『井戸の中に人がおっこちている』と言ったら、
すぐそこに飛び込んで救いにいきますか?」と。
孔子は答えた。
どうしてそんなことがあるものか。
君子は、井戸のところまでは行くであろう。
が、井戸の中に飛び込んでその人を探すことはしないであろう。
君子を欺くことはできる。
しかし、ありもしないことをあるように言って君子をだますことはできない。

 続いて、吉川博士の解説です。

・「井に仁有り」を、古注は、「仁人井に堕つるなり」と説き、皇侃(おうがん)及び日本の写本では、本文をも井有仁者焉に作る。

・朱子の新注は、かく井戸の中に仁者がいるとするのは、余りに奇矯に過ぎると思ったのであろう、井有仁焉の仁は、人に改むべきであって、誰か人間が、井戸の中におっこちている、と告げられたとする。

・問いは奇矯であるけれども、孔子の答えは、たいへんしっかりした答えである。

 さらに、吉川博士は、訓読の意味についても次のように逐一、説明を加えておられる。

・何ん為れぞ其れ然らんや、そんなばかなことはない。

・その知らせを受けた君子は、井戸のところまでは行くであろう。つまり「逝(ゆ)かしむ可きなり」。

・しかし井戸の中まで入って、その人をさがすことはしないであろう。「陥しいる可からざるなり」。つまり、つねに善意によって動こうとするけれども、思慮分別を失った過度の行為はしない。

・いいかえれば、道理にかなったことで、君子を「欺く」ことはできる。常識に外れたことをもちかけても、かれを「罔」、欺瞞することはできない。

 ちなみに、「角川新字源」を検索すると、

【欺瞞ぎまん・欺騙ぎへん】=【欺誑】ぎきょう あざむく。たぶらかす。いつわる

【欺罔】ぎぼう/ぎもう=【欺誣】ぎふ あざむく。だます。誣・罔は、ありもしないことをあるように言うこと。

【陥】カン 意味②おとしいれる(おとしいる)。だます。〔論・雍也〕「君子可逝也、不可陥也」

と記載されていた。

 おぉー、
ならば、思慮分別を失い、激昂したYさんは君子にあらず!
小人?

という話は来週でしたねっ。

 では、あなたにお伺いします。

 あなたが、この人は、君子にあらず!
と思う人には、どんな言動がありますか?

  < 「欺罔(ぎぼう)」解説ページ  附録>

 本文中の条について、『論語現代に生きる中国の知恵』 貝塚茂(著) 講談社現代新書を見ると、貝塚博士は次のような解説を付しておられた。

『論語』の中に、「欺くに道を以ってすれば欺かる。それ君子なり。」ということばがあります。
井戸に人が落ちたときに、そんなことがあるものかというのは君子ではない。
それはたいへんだととんでいくのが君子だ。
しかしその中にすぐとびこむことはしない。
<中略>
人を助けるにも正しい助け方をする。自分が犠牲になって助けるということは必ずしもいいことではない。自分が一緒に死んだってしょうがないのですから。人が助かればいいのですから、まず手段を考えることです。
<後略>

 う~ん、
この貝塚博士の解説は、字面だけを見ると批判を浴びそうでもある。

造次(ぞうじ)(とっさの場合)は、手段を考える暇もなければ、
いてもたっても居られないこともある。

 また、とある創業者のように戦略的に費用対効果を無視した戦術をとる場合もある。
んんっ、
果たして、その創業者は論語を知っての行動であったろうか、はたまた、すべて計算づくでのことであったろうか。

 たしかに、君子とはいい難い人々の中には、手段や最適な解・選択肢を探す余地さえも奪うような言葉を発する人もいるにはいるのではあるが……。

 えっ、
それが本文中のYさん?
かどうかは、来週をお楽しみに~。

 蛇足ながら、貝塚博士が仰る、「欺くに道を以ってすれば欺かる。それ君子なり。」ということばを、『論語』の「事項索引」および、「語句索引」に求めたが遭遇できませんでした。

残念 !!!

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