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2009年4月 4日 (土)

「造次顚沛」解説ページ

Ranten0903093 画像は秋田の友人からのプレゼントです。

 「オレは、な、おふくろが偉かったんや」
「まるで、男のようなひとやった」
「こんなことを言うんやっ。」
と、Wさんが心のうちを語り始めた。

 そして、Wさんの次の言葉は、
「『あんた、楽に、大学へ行かせたんと違うんで!』
『苦労に苦労を重ねて、ワタシらはアンタを大学まで行かせたんよっ。』
『それを忘れんといてやっ!』と言うんや」
「ふつう、そんなこと言うか、言わんやろ?」

と、クローズクエスチョンを使って私に聞いてきた。

 私の返事を待つ間もなく、
「オレは、なー、それが頭から片時も離れたことがなかった。」
「ほやからなー、……」

と、Wさんの問わず語りは続くのであるが、
残念!

 この続きは、「また来週お届けします。

 で、今日は、「片時も」というWさんの発言からの気づきと体験あれこれを。

 まず、「片時」ということばを辞書で検索すると、「ちょっとの間」とあった。

 そして、タイトルの「造次顚沛(ぞうじてんぱい)」が、同様の意味であることを知った。

 そんなわけで、「造次(ぞうじ)」と「顚沛(てんぱい)」と言う熟語が配置された条を、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の「里仁第四」から、引用を主に、訓読(読下し文)とその現代訳、ならびに解説を読みやすく、わかりやすい形に加工してお届けします。

 まずは、訓読、すなわち読下し文です。

(し)(い)わく、
(とみ)と貴(とうと)きとは、是(こ)れ人(ひと)の欲(ほっ)する所(ところ)(なり)
(そ)の道(みち)を以(も)って之(こ)れを得(え)ざれば、処(お)らざる也(なり)
(まず)しきと賤(いや)しきとは、是(こ)れ人(ひと)の悪(にく)む所(ところ)(なり)
(そ)の道(みち)を以(も)って之(こ)れを得(え)ざれば、去(さ)らざる也(なり)
君子(くんし)は仁(じん)を去(さ)りて、悪(いず)くにか名(な)を成(な)さん。
君子(くんし)は食(しょく)を終(お)うる間(あいだ)も、仁(じん)に違(たご)うこと無(な)し。
造次(ぞうじ)にも必(かなら)ず是(ここ)に於(お)いてし、顚沛(てんぱい)にも必(かなら)ず是(ここ)に於(お)いてす。

 次に、その現代訳です。

富貴は誰しも望む(欲しがる)ものである。
が、しかるべき方法で得たものでなければその地位に安住しない。
貧賤は誰もが忌み嫌うものである。
しかし、仮に、徳と才を兼ね備えていたとしも貧賤を得る場合もあり、そのときはこれを忌避しない。
君子(紳士。立派な人)は、仁(人間への愛。人道の根本)を嫌がり、避けて、どこにその名誉を完成するのか!
君子は、食事を終える間も、仁から心が離れることはないし、
突然の出来事に遭遇したときも、きっと仁のなかにいるのであり、つまずき倒れる場合にも、きっと仁から気が離れることはない。

 続いて、吉川博士の解説です。

・富、貴、また貧、賤、は、いまのわれわれの意味で理解してよろしい。

・しかるべき方法(其(そ)の道(みち)を以(も)って)とは、儒家には元来、地位はその人の特性と才能とに応じて与えられるとする思想があり、徳性と才能によって、富貴を得たとするならば、それはその道を以ってするものであるが、そうでない場合は、其の道を以ってせざるもの、しかるべき方法によらないものである。その場合は、あぐらをかいて居すわらない。

・逆に、貧と賤は、誰だっていやなものであり、元来の法則としては、徳性と才能のないものが、貧賤であるべきだが、この法則に外れて、貧賤なるべからざるものが、貧賤を得る場合もある。その場合は、貧賤を忌避しない。

・要するに紳士の目標は仁、すなわち人間への愛である。

・紳士は、「終食之間」、すなわち一度飯を食いおわる間も、仁から違(とおざか)らない。
造次(ぞうじ)、なにか突然なことが起こった場合にも、きっと仁のなかにいるのであり、顚沛(てんぱい)、すなわち急につまずいてたおれる、というのは比喩的な意味であろうが、そうした場合にも、きっと仁のなかにいる。

 う~ん、
君子とは、むずかしいぃ~

 君子は、富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも、アクシデントのときも、イレギュラー時に於いても、また、風の日も雨の日も、火のとき灰のときも、片時も仁から離れることがない。

 ゆえに、現代ではそのような人に遭遇する機会は希少価値。

 が、冒頭に紹介したWさんは、ご母堂の一言を肝に銘じてエリートへの道を一路勇往邁進したのであった、という話はまた来週でした、ねっ。

 ちなみに、タイトルの語句を「角川新字源」で検索すると次のように記載されていました。

【造次】ぞうじ あわただしい。また、その場合。とっさの場合。双声の語〔論・里仁〕

【顚沛】てんぱい ①つまずきたおれる。②うろたえる。③とっさのとき。〔論・里仁〕「造次必於是、顚沛必於是」

 また、「広辞苑」には、冒頭においてもご紹介したように、「片時」と同じ意味が、次の通り確認できました。

ぞうじ・てんぱい【造次顚沛】[論語里仁]とっさの場合とつまずき倒れる場合。転じて、わずかのま。

 そこで、あなたにお伺いします。

 あなたは、造次顚沛(わずかの間)に於いても、あなたの心から離れないものには何(どんなこと)がありますか?

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