「自訟」解説ページ
画像は秋田の友人からのプレゼントで
わがふるさと俵津文楽の1コマです。
この画像を見るたびに、私は、
「田舎の同級生に迷惑をかけた」
という自責の念と、
「遠路この日のために馳せ参じてくれた同級生には満足していただけたであろうか?」
という思いのほかに、
「何か他にできることがあったのでは?」
と自訟(じしょう)せざるを得ない。
が、論語には、
「過ちを見て、自ら訟(せ)めるものを見ざるなり」
という孔子の言葉がある。
ならば、……?
ということで、
早速、『論語上』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の「公冶長第五」からの引用を主に、訓読(読下し文)とその現代訳、ならびに解説を読みやすく、わかりやすい形に加工してお届けします。
まずは、タイトルの条の訓読、すなわち読下し文です。
子(し)曰(い)わく、
已(や)んぬるかな。
吾(われ)未(いま)だ能(よ)く其(そ)の過(あやま)ちを見(み)て、
而(しか)も内(うち)に自(みずか)ら訟(せ)むる者(もの)を見(み)ざる也(なり)。
次に、その現代訳です。
孔子が言った。
あ~ぁ~、嘆かわしいー。
私は、過失の事実を見て、
「自分の責任である」と自ら認め、反省する人に出あったことがない。
続いて、吉川博士の解説です。
・「やんぬるかな」と訓ずる「已矣乎」の三字は、イイ、イイ、フ、という唐音で読めば、一層よくわかるように、深い嘆息の言葉であり、「論語」ではもう1か所、衛霊公篇第十五に、「已矣乎、吾未だ徳を好むこと、色を好むが如き者を見ざるなり」と見える。
・嘆息された内容は、くだくだしく説明するまでもあるまい。
・訟(しょう)の字は自責の意である。
おぉー、
困った~。
この条の現代訳を吉川博士は省略しておられる。
では、と他の書籍を見るも、この条自体が掲載されている書籍を持ち合わせていない。
そこで、気を取り直して「角川新字源」を見ると、
・【已】イ 意味⑥やみなん。やんぬるかな。絶望の意を表わすことば。「已乎やんぬるかな」
と、記載されてはいるが、「矣(い)」の字がない。
さらに検索していくも、次の通りでグリコ!、
【矣】イ 意味②句の中間に置いたり、他の助字と連用して、詠嘆の意を表わす。
「已矣乎」に遭遇することはできなかった。
残念!
しかし、
【自訟】じしょう ①自分で自分のあやまちを責める。〔論・公冶長〕
とあり、同義語として、「自責」という熟語と、
意味②として「みずからうったえる」
という記載は確認できた。
また、「已(や)んぬるかな」という言葉で、『論語下』中国古典選5 朝日文庫の事項検索をみると、
吉川博士の先の解説どおり、公冶長第五のこの条と、衛霊公篇第十五の条の、「已矣乎」のほかに、「子罕篇(しかんへん)第九」の条に、
「吾已矣夫」という漢文があり、
「吾(われ)已(や)んぬるかな」という訓読が付され、
「私は絶望のほかはない」
という孔子の言葉、現代訳が掲載されていた。
では、あなたにお伺いします。
あなたが、「已(や)んぬるかな」と嘆息するときは、どんなときで、
あなたは、そんな絶望の境地からどのような方法で脱出しますか?


同級生が集まる機会を作ってくれることが今からはありがたく思います。幼馴染の顔を見るとなんだかホットします。
人生80年!
でも、逢える機会は数えるほどだと思います。
本当にだんだん。
絶望からの脱出はやる気、希望、努力、時が解決すると思います。
何時も大志、大労、大和の教えを思って生活しています。
投稿: 宇都宮 繁敏 | 2009年5月 2日 (土) 10時23分
繁ちゃん、
コメントありがとう!
繁ちゃんは、80歳まで生きるー?
私は75歳ぐらいでいいけど~(笑)
「だんだん」というお礼の言葉を頂戴すると、
また、「ああすればよかった、こうすれば……」と思う。
しかし、過去は返ってこないし、過ちは、「大過」「小過」と易経にあれど、過ぎたことは戻ってはこない!
などといいつつ、残りの十数年を楽しみま~す。
長生きしたりして~(笑)
投稿: 仲 | 2009年5月 2日 (土) 20時15分