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2009年7月11日 (土)

兼人(けんじん)

Sanyasouten0905246 画像は秋田の友人からのプレゼントで、
エノモトチドリです。

 「おまえどう思う?」
と意見を求められるので、
「斯く斯くしかじか」と答える。

 すると、
「待ってました!」とばかりに
「それは、違う、可笑しい!」
と異を唱える。

 そして、反論のための、反論。自己主張を開陳し始める。

 そんな同僚・先輩や上司が、どこの会議の席上にも、
必ず存在する(必ずといっていいぐらい?)。

 また、
「今日は、無礼講。何を言ってもいい、許す。」
とおっしゃるので、つい、その気になって、
日頃の思い・考えを主張する。

 しかし、話題が自分にとって都合の悪い情報や意見・考えに及び始めた途端、

「おまえ、わしの顔に泥を塗る気かっ!」
「おまえは、そんな考えやからダメなんや!」
「おまえのような中間管理職が居るからうちの会社はうまくイカン、儲からんのやっ!」
と怒声でもって答える方も少なくない。

 そして、そんな方に限って、
「うちの会社はコミュニケーション不足や」
「コミュニケーションがよくない(悪い)」
「もっと、コミュニケーションについて学べ、学習せよ!」
と部下や社員に檄を飛ばす。

 そんな冗談にも似たような経験・体験
あなたにもおありでは?

 ちなみに、その人たちの名前は
「兼人けんじん」でも「兼人かねと」でもない。

ただ、「人を兼ぬ」、すなわち「人をしのぐ」人。

 単なる言いたがり、出たがり、出しゃばりと称される人々であり、
意識的、無意識的にしろ、周りの人々を意のままにしたい、
掌中に納めておきたい、
コントロールしたいと思っている人々である!
と私は考えているのですが…。

 そして、その構図は、
先輩・上司→後輩・部下へ
つまり、上→下、強い者→弱い者へという一方通行であり、
これは、上位者(と思っている人も含めて)の習性!
かもしれない。

 その証拠(論拠)として、先の解説ページに記載した

公西華こうせいかわく、
ゆうや問う、「聞けば斯すなわち諸(こ)れを行わんか」と。
わく、「父兄在ます有り」と。
きゅうや問う。「聞けば斯ち諸れを行わんか」と。
子曰わく、「聞けば斯ち之れを行え」と。
せきや惑う、敢えて問う。
子曰わく、
「求や退く。故に之れを進む。」
「由や人を兼ぬ。故に之れを退く。」

この論語の一条と、「『史記』の『弟子列伝』の年齢を信ずるとすれば、子路は長老、冉求は中年、公西華は若者である。」
という吉川博士の解説からも窺い知れる。

 では、その現象(人を兼ぬ。兼人)の要因、背後にあるものは何か?

それは、
・自分の存在感を示したい・誇示したいという思い
・老婆心
・育った環境
・自分のおかれた立場や周りの環境
・知識・見識・教養の程度

これらが、「兼人けんじん」、すなわち、「人を兼ぬ」人をつくり育てる。
正しくは、これらの1つ、または複数の要因が複雑に絡み合っての習性かもしれない。

 しかし、著名な映画監督であり、脚本家でもある「新藤兼人」氏が、
どんな思いや意図、経緯いきさつがあって「兼人かねと」と命名されたのか?
私は寡聞にして知らない。

 では、あなたにおうかがいします。
あなたが「兼人けんじん」、すなわち「人をしのぐ人(出しゃばり)」と思う(考える・感じる)人には、どのような特徴がありますか?

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