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2009年7月16日 (木)

「恕」解説ページ

Sanyasouten0905247 画像は秋田の友人からのプレゼントです。

 小学生同士の喧嘩の仲裁に、
「己おのれの欲ほっせざる所ところを、人ひとに施ほどこすこと勿かれ」
といって、割って入った小学生(同級生)がいた!
という話を地方紙の読者投稿欄で見た私は、

ホンマかいな~?
という疑念を抱くとともに、、

おぉー、
なるほど!
と、幼児教育の効果に感嘆した。

 で、その論語の条をと『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選4 朝日文庫を見た。

 すると、その言葉の出てくる条が、
「仲弓仁を問う」で始まる「顔淵第十二」の条と、
「衛霊公第十五」にもある。

 かの小学生は、果たしてどちらの条を念頭にその言葉を引用したのか?
それは詳らかではなかった。

 で、迷った挙句に、今日は「衛霊公第十五」の条の訓読(読下し文)と現代訳、ならびに著者の解説を同書から引用し、読みやすく、わかりやすい形に加工してお届けします。

 まずは、訓読、すなわち読下し文です。

子貢しこううて曰わく、
一言いちげんにして以って身を終おわるまで之れを行おこのう可き者ものり乎
わく、
れ、恕じょ
おのれの欲ほっせざる所ところを、人ひとに施ほどこすこと勿かれ。

 次に、その現代訳です。

子貢が尋ねた。
「なにかひとことで、一生涯肝に銘じて実践すべき言葉というものがありますか?」と。
孔子は答えた。
「それは、おもいやりであろうか」
「自分の嫌がることは他人にしないことだね」。

 続いて、吉川博士の解説です。

・「恕」とはおもいやりである。

・句末の助字「乎」、音コが二度見える。はじめの方は、簡単に疑問句の末尾にそわるものであり、「其恕乎」の方は、それは思いやりであろうか、と断定をひかえた語気である。

・恕の内容として、「己所不欲、勿施於人」。この八字は、顔淵第十二の仲弓に対する答えとしても、見える。

仁斎は、「恕」の道徳の要点を、念のために丁寧に告げたのがこの八字だとし、徂徠は、「恕」の内容は丁寧にいわなくてもわかっているのに、この八字があるのは、後人の書き足しが、正文にまぎれ込んだとする。

徂徠の説は、仁斎に細かな点でも反撥しようとしての、思いすごしのように思われる。

 う~ん、
困ったー。

この条のことばについて吉川博士は、どちらの条の解説にも、
「有名な条」であるとは記しておられない。

なのに、小学生は時宜にかなったことば、つまり論語の一条を発したという。

 そして、その事態を耳にした担当教員が、当該小学生のご両親に次のように尋ねたという後日譚までついていた。
「お宅ではどのような教育をしておられるのですか?」と。

 ここまで、掲載されていた一文を見た私は少し首を捻った。
同時に、さもありなん!
と自らの体験からそのようにも感じた。

 ちなみに、この言葉を「角川新字源」で検索すると次のように記載されていた。

【己所不欲、勿施於人】おのれのほっせざるところひとにほどこすことなかれ 自分がこのまないことは、他人に対して行ってはならない。〔論・衛霊公〕

 また、タイトルの言葉を同書で検索すると

【恕】ジョ ショ なりたち 「心と、音符如ジョ→ショ(ゆるやかの意→舒ショ)とから成り、心ゆるやかに相手をゆるす、ひいて、思いやる意を表わす。一説に、会意形成で、わが心の如ごとくする意という。」とあり、

また、その意味として、吉川博士の解説にもある「おもいやり」は、意味③に「おもいやり。いつくしみ。」とあり、そのほかには、「①ゆるす。②おもいやる。④あわれむ。」なども記載されていた。

 では、あなたにおうかがいします。
あなたは思いやり派、それとも自分中心派?

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