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2009年10月 2日 (金)

「隣里郷党」解説ページ

 「○○のMです。」
という声が私の背後から聞こえた。

 「えっ、なに!? よりによって、こんな所でー」。、
聞き覚えのある固有名詞に一瞬驚いた私。

 その声の主はこのセミナーのためだけに、100km弱の道のりをも遠しとせずに参加していたのである。

 かと思えば、その彼より遠くの地からの参加者もいた。

恐るべし、車社会!

 その偶然の出会いに刺激を受けて、今日は「隣里郷党」というタイトルの語句が掲載されている一条を、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の「雍也第六」から抽出して、その訓読(読下し文)と現代訳、ならびに吉川博士の解説を読みやすく、わかりやすい形に加工してお届けします。

 まずは、訓読、すなわち読下し文です。

原思げんし、之れが宰さいり、
れに粟ぞく九百きゅうひゃくを与あとう。
す。
わく、
いな、以って爾なんじの隣里郷党りんりきょうとうに与あたえん乎

 次に、その現代訳です。

孔子が弟子の原思(原憲げんけん)を、とある知行所(領地)の奉行に任命した。
そして、その報酬(手当)として、こめ900斗(9石6斗7升9合)を与えた。
が、原憲は多すぎるといって辞退した。
これに対して、孔子は次のように言って諭した。
多すぎると思うなら、余ったこめはおまえの村里の人々にやればいいではないか。

 続いて、吉川博士の解説です

・この条も、金の使い方についての教えであり、前の条詳しくはこちら(「粟五秉」解説ページ)と連続して、一条とする本もある。

・原思げんしとは、弟子の原憲げんけんを、字あざなによって呼んだのである。

・「之れが宰為り」とは、孔子が魯の司寇となったとき、当然の待遇として受け取る採邑、つまり知行所、その奉行を原思に、委嘱したのであるとされている。

そのとき、原思に、孔子は、奉行の手当として、粟こめ九百を与えた。

・九百というだけで、単位が示されていないが、古注に引いた孔安国は九百斗と解し、それを徂徠はさらに、日本の八石零八升、一年分では九十七石と換算している。

換算した八石八升を、徂徠が月給であるとした根拠は明らかではないが、何にしても、それは多すぎる額と感じたので、原思は辞退した。

・ところが孔子は、いった。「毋いな」、いやいや、とその辞退をおしとどめたのである。
「以って爾なんじの隣里郷党に与えんか」、余分は、おまえの隣近所に分けてやれば、いいではないか。

・前の条では、たいへんけちなように見えた孔子が、この条では、たいへん気前がよい。

経済生活も、人間の生活の、重要な部分である以上、そこにも人間の善意は、過不足なく表現されねばならぬ、というのが孔子の考え方である。

・なお、原思、すなわち原憲については、これは孔子死後の話であるが、
衛の宰相となった子貢しこうが、美美しく供まわりをととのえて、露地の奥に原憲をたずねたところ、原憲はぼろぼろの着物をまとって出て来た。

君は病めるかと、子貢がたずねたところ、何をいう、「病」とは道を学んで行う能わざることをこそいう、僕は貧乏であっても、「病」ではないと、答えたので、子貢ははじ入った、という話が、「史記」の「弟子列伝」に見える。

その通りの事実があったかどうかは、別として、原憲が清貧の士であったことが、孔子のゆたかな給与の、原因であったかも知れない。

・文法的な問題として、「子曰わく、毋いな」と、おしとどめた、とするのが普通の読み方であるが、「以って爾の隣里郷党に与うる毋からんや」、あるいは、「以む毋くんば、爾なんじの隣里郷党に与えんか」というような読み方も、清儒にはある。

・また隣里郷党は、ここでは漠然と使われたものであろうが、厳密にいえば、五軒の家が隣、その五倍つまり二十五軒が里、郷は二千五百家、党は五百家である。

 この条については、孔子の考え、つまり個別指導を重視した教えの一条であるという解釈も成り立つし、事実そのような表現、解釈をしておられる方も目にする。

 ちなみに、タイトルの熟語を「角川新字源」で検索してみると次のように記載されているのみであった。

【隣里郷党】りんりきょうとう 郷村。村里。周代に、五家を隣、五隣を里、四里を族、五族を党、五党を州、五州を郷といった。

 お気づきのとおり、〔論・雍也〕「以與爾隣里郷黨乎」という、いつもの表示がない。

 これはひょっとして、吉川博士の解説にもあったとおり文法的な問題、つまり「毋いな」の扱いについての読み方に起因するのかな? などと考えた私。

 しかし、隣=5軒、里=25軒、郷=2,500家、党=500家
という吉川博士の解説と「角川新字源」の記載内容が一致! 
めでたしめでたし(^_^)/~。

 しかし、「900斗とは、徂徠は8石8升であるという」
この記述がまたまた悩みの種である~(笑)。

 蛇足ながら、「角川新字源」に記載されている内容や表をもとに、私が換算した数値は、900斗=9石6斗7升9合となり、徂徠説の約1.2倍にあたる。

いまだに、瑣末なことにこだわる私であった~(笑)。

 そこで、あなたにお伺いします。

あなたが、「重要なこと!」と、考える範囲はどこからどこまでですか?

つまり、どこからどこまでが、あなたにとっては重要なことであり、
どこからが瑣末なことですか。

その境界線、基準は何です?

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