苟合(こうごう)
さて、「苟合こうごう」とは、
論語の「子路第十三」第八章から抽出した熟語です。
より詳しく(やさしく?)申し上げれば、
孔子が衛の国の荊けいという貴族の経済生活を評して、
「彼は身分に応じた経済生活をしている」と言ってほめた後、
その彼の発言を引用して述べた次の言葉の中にありました。
始有曰、苟合矣(始はじめ有あるに曰いわく、苟いささか合あつまる。)
少有曰、苟完矣(少すこしく有あるに曰いわく、苟いささか完まったし。)
富有曰、苟美矣(富さかんに有あるに曰いわく、苟いささか美よし。)
えっ、
この漢文の中、いやっ、論語全487章(数え方によっては全492章)の中からどのようにして、「苟合こうごう」という熟語を発見したんや!?
ですかー。
はい、
それは企業秘密!(笑)
さ~て、どのようにして発見したものか、記憶が曖昧なもので…。
なに!?
ボケが始まったんちゃうかー?
ですかー。
さもありなん(いかにも、ごもっとも)! (笑)
閑話休題(それはさておき)
その「苟合」についてですが、
故吉川博士は、「苟いささか、合あつまる」と読み、
「『苟』」の字は、まあ、いささか、どうにか、の意である。」
「『合』の字は新注のごとく、『聚あつまる也』と訓ずるがよかろう。」
と述べておられる(『論語中』 吉川幸次郎(著) 中国古典選4 朝日文庫)。
そこで、
いつもどおり、『角川新字源』にてその熟語の意味を調べてみた。
【苟合】こうごう ①努力によらずして、偶然、一時的に財産などが集まる。②道義によらないで、いいかげんに人とうまを合わせる。
んんっ、違う!?
この『角川新字源』に記載されている「苟合」の意味と、
吉川博士のおっしゃる苟合、すなわち、「苟いささか聚あつまる」とは、似て非なるものである! と一人の私は思い、
別の一人の私は、「ニュアンス(言葉・意味の微妙な特色・感触)の違いはあれど、言わんとするところは同じである!」と思うのである…。
が、この熟語(苟合)については、いつもどおりの、〔論・子路…〕という出典(関連事項の参照)を表す記載が『角川新字源』にはない。
そこで、同書(『角川新字源』)にて、「苟完」「苟美」という熟語はないものかと検索するも残念!
その記載がない。
う~ん、
と頭を抱えながら、再び、この章の漢文に目を落として、上(章のはじめ)から順に熟語を検索してみた。
その結果、次の熟語を検出した。
【公子】こうし ①諸侯や貴族の子。②天子・諸侯の庶子。
【富有】ふゆう ①財産を多くもつ。物を多くもつ。〔易・繫辞〕「富有之謂大業」
ちなみに、この易の繫辞けいじ伝の訓読は、
「富有ふゆうをこれ大業たいぎょうと謂いう」。
意味は、
「天はあらゆるものを包括して富有である。それを大きなしわざとよぶ。」
(『易下』 中国古典選2 (繋辞上伝 273ページ) 本田 斉(著)より:筆者補足)
②富の点で…をもつ。〔中庸〕「徳為聖人、尊為天子、富有四海之内」
蛇足ついでに、この中庸ちゅうようの訓読は、
「徳は聖人たり、尊そんは天子たり。富とみは四海しかいの内うちを有ゆうし、」。
意味は、
「徳の点から言えば聖人であり、地位の尊たかさから言えば天子であり、富の点で言えば四海の内、すなわち天下を領有しているし、」
(『大学・中庸下』 中国古典選7 (中庸 第十七章 92ページ)島田虔次(著)より:筆者補足)
うーん、残念!
いずれの熟語も、論語のこの章とは無関係!?
んっ、
タイトルを「富有ふゆう」とすべきであった!(かな?)
おぉ~、そういえば!
先ごろ(4日ほど前に)政権を放擲ほうてき(ほうり出す)した人がいた…。
たしか、彼の辞任の弁は、「自らの不徳のいたすところ」、つまり「自分に徳が足りないゆえに…」であったと記憶しているが…。
いや、いや、よそう!
「天下国家を論じる」のは、小生の任でもなく、また趣味でもない!
ましてや、
オイラは「聖人」「天子」でもなく、もちろん、四海之内(天下。国家)など有してもいない。
さらに、
個人的には「財産」「物」ともに、無縁の生活でもあるしー…。
それに、
この章の熟語も「苟いささか、合あつまった」ことでもあるし…(笑)。
もう1つの熟語、「富有」に目移りしていては、
「富さかんになる」ばかり!
それにも増して、またまた肩がこる~(笑)。
では、あなたにお伺いします。
あなたが、「苟いささか美よし」、すなわち「どうにか、立派になりました。」と誇れるものを1つ、紹介してください。
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