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2011年12月 2日 (金)

「恂恂vs便便」解説ページ

1112013kouyou 画像は秋田の友人からのプレゼントです。

 さて、某社(仮にM社)の経営会議なるものに
私がその一員として参画するようになったのは
今を去る30数年前のこと。

 某社に入社(再就職)して4、5年後のことであり、
管理職を拝命したその月の定例会議であった(と思う)。

 ちなみに、私は某社には技能職、
つまり、職人として再就職したのである。

 で、当然のごとく(?)、寡黙であり、
ものが言えない人でもあった!?

(だから、記事を書いている? う~ん、それはどうかなぁ~(^^♪)

 そんな私を見てのことか、とある同僚〈仮にDさん〉は、
私を「昼行灯」と名づけた!

 その昼行灯が、何の因果か
経営会議なるものに参画することになったのである。

 経営とは何かも、
また会議のイロハのイの字も知らない昼行灯が!

 もし、私がそのときに、これから紹介する
論語の一章を知っておけば…。

 そんな思いを込めて、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 「郷党きょうとう第十」の第1章から引用を主に、ヒストリー(物語)のはじまり、はじまり~♪

 まずは、訓読です。

孔子こうし、郷党きょうとうに於いて、
恂恂如じゅんじゅんじょたり。言う能あたわざる者に似たり。
の宗廟そうびょう・朝廷ちょうていに在るや、
便便べんべんとして言い、唯ひとえに謹つつしめり。

 次に、その現代訳です。

孔子が郷里にいるときは
つしみ深く、ものを言えない人のようであった。
一方、君主の先祖のみたまやと政務をとり行なう場では、
はきはきものを言い、かつ、つつしみ深くおごそかであった。

 続いて、吉川博士の解説です。

・郷きょうといい党とうというのは、やかましくいえば地方組織の単位であって、五百軒の部落が「党」、また「党」が二十五よりあつまった一万二千五百軒が「郷」であると、「周礼しゅうらい」の「大司徒だいしと」などに見えたが、ここでは軽く、孔子が居住してその私的生活を営む地域、つまり町内というほどの意味である。

・恂恂じゅんじゅんは、古注に王粛おうしゅくを引いて、「温恭の貌かたち」、新注に「信実の貌」、また新出の鄭玄じょうげん注には、「恭順の貌」という。

・宗廟、すなわち君主が先祖の祭りをする霊屋たまや、そこで祭祀さいしがあるとき、君主の介添えをするのが、当時の重臣の重要な任務の一つであったが、かく宗廟のなか、また朝廷、すなわち、君主が政務を執行する場所、そうして孔子が重臣の一人として論議にあずかる場所、この二つのところでは、「便便として言う」、てきぱきと、ものをいった。

・「爾」の字は句末の助字、リズムを強める。

・孔子は五十代の中ごろ、魯の内閣の一員であった。

 んっ?
オフ(私的な場)が、恂恂如じゅんじゅんじょで、
オン(公的な場)では、便便べんべんとして言い、かつ謹しめ!?

 う~ん、若かりし頃のオイラは…。
さ~て、どうだったかなぁ~(^^♪

という話は、また後日のお楽しみ! 
です。

 では、あなたにお伺いします。

 あなたは恂恂(おっとり)派、それとも便便(はきはき〉派?
さて、どちらでしょうかぁ~(^^♪

 参考までに、残りの紙幅は吉川博士の語句の解説と
角川新字源』のそれとの相違(一致)点を見てみることに。

【恂恂】じゅんじゅん ①真心のあるさま。つつしみ深いさま。〔論・郷党〕「孔子於郷党、恂恂如也」

【便便】べんべん ①ことばつきのはきはきしているさま。〔論・郷党〕「其在宗廟朝廷、便便言。唯謹爾」

【郷党(黨)】きょうとう ①むらざと。周代の制度で、五百家を党、一万二千五百家を郷といった。②「論語」の編名。

【宗廟】そうびょう ①祖先のみたまや。 

【朝廷】ちょうてい 天子が政治をする場所。

 う~ん、
この勝負、吉川博士に軍配!

と、私は感じたのですが、
あなたのご意見・ご感想は…?

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