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2012年2月25日 (土)

「九夷」解説ページ

Ranten1202093 画像は秋田の友人からのプレゼントです。

 電気も水道も、またバス停もない山中に、
未成年の頃、私は1年間ほど居た。

 「えっ、何でや!?」
「そこで、お前は何をしよったんや!?」

とおっしゃるあなたの問いに答えるその前に、
以下の論語の一章を!

 早速、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の
「子罕しかん第九」 第14章からの引用を主に、始まり、はじまり~♪

 まずは、訓読です。

、九夷きゅういに居らんと欲ほっ
るひと曰わく、
いやしきこと之れを如何いかん
わく、
君子くんしれに居らば、何んの陋いやしきことか之れ有らん。

 次に、その現代訳です。

先生(孔子)が「東方の未開地(九種の異民族の地)にでも
住もうか…?」と漏らした。
それを聞いたある人が言った。
「むさくるしさをどうなさいますか?」と。
孔子が答えた。
「君子がそこに住めば、むさくるしさなどあるものか!」と。

 続いて、吉川博士の解説の一部です。

・古注には馬融ばゆうを引いて、「九夷とは東方の夷に九種有るなり」といい、新注の鄭注もおなじ。

皇侃の「義疏」には、その九種を列挙して、一に玄菟げんと、二に楽浪らくろう、そして八に倭人わじんすなわち日本人という。

何にしても九夷とは、東方の未開地域である。

・孔子がいっそのことそこへ行きたいという意向を漏らしたのは、まえの公冶長第五の、「道行なわれず、桴いかだに乗りて、海に浮かばん」(詳しくはこちら)
と同じ思念であって、鄭玄の注には、世の中にいや気がさして、こういったとする。

するとある弟子が、それを聞いて、いった。
「陋如之何」。

「陋」とは、物理的な条件からも、心理的な条件からも、むさくるしいことである。そこへいらっしゃるのはよいとして、そのむさくるしさにどう対処されますか。

孔子はこたえた。
君子がそこに住めば、むさくるしさは消えてなくなる。
何のむさくるしさがあるものか。

 おっ、
「陋」とは、「むさくるしい」こと!?

 では、「むさくるしい」とは…?
『広辞苑』にてその意味を検索してみることに。

むさくるしい [形] ごちゃごちゃときたならしい。だらしなく不潔である。

 う~ん
私がイメージする「陋」とは、チト異なる!

 ではではと、『角川新字源』にて「なりたち」とその「意味」を
調べてみることに。

【陋】ロウ 「なりたち」山間のせまい所、転じて「いやしい」意を表わす。
「意味」①せまい。場所がせまい。心・知識がせまい。

 ちなみに、意味②を見ると、「いやしい」とあり、
その詳細は付録の「同訓異義を見よ」と。

で、素直な(?)私はその手間も厭わず従順に!(笑)
その結果は、以下のとおり。

【陋】ろう 行きづまり、せまいこと。場所や心のせまいこと。いやしくきたないこと。

 お~おぉー、
これなら納得!

 また、タイトルの語句を同書から転載すれば、次の通り。

【九夷】きゅうい 東方の九種の異民族。古代の多くの異民族の総称。〔論・子罕〕「子欲居九夷」

 う~ん、
かつて、1年間ほど私が寝起きした山中は、
蝶や華が乱舞する繁華街(市内)の東側であったか、否か…?

と地理を確認したその結果は、

おぉ~、
まさしく東側!

 じゃあ~、そこには「九夷」きゅうい、つまり九種の異民族が住み、
そこはむさくるしいところであったか…?

という話と、冒頭の続きは紙幅(字数?)の都合で
次回のお楽しみ!

 では、あなたにお伺いします。

 あなたは「都会を離れて田舎に居を移そうか…?」
と何度考えました?

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