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2012年5月27日 (日)

「觚不觚(こ、こならず)」解説ページ

201205014hachirougata 画像は秋田の友人からのプレゼントです。

 「わし、お猪口で飲むと、酒の量が
わからんようになってしもうてなぁ…。
ノン・ブレーキーになってしまうんよ!」

「だから、下作(下品)なようやけど、
コップでもらおうわい!」とのたまうMさん。

 早速、仲居さんに次のようなリクエストを。

「おねえさん、すまんけど、
ちょっと、コップ持ってきてぇ~」

ということで、本日はお猪口の話!?

 早速、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の「雍也ようや第六」 第25章からの引用を主に、始まり、はじまりぃ~♪

 まずは、訓読です。

わく、
、觚ならず。
ならんや。觚ならんや。

 次に、その現代訳です。

孔子が言った(先生のお言葉である)。
「猪口が猪口でなくなった…。」
「今の猪口は、なにが猪口なものか!」。

 続いて、吉川博士の解説の一部です。

・觚とはさかずきの一種である。
古注に馬融の説を引いて、「觚は礼に用うる器なり、
一升のものを爵しゃくと曰い、
二升のものを觚と曰う」という。

二升入るさかずきといえば、大さかずきのようであるが、古代の二升は、徂徠の換算によれば、
日本の一合七勺八分であり、古代の薄い酒を盛るものとしては、小さかずきの方であった。

・「觚、觚ならず」とは、猪口が猪口でなくなっている、
というのであって、盃のことを猪口というからには、
酒はまさに寡少にのむべきであり、
すこしだけ飲むべきものなのにもかかわらず、
いまはみんなが大酒を飲む。

「觚ならんや、觚ならんや」、なにが猪口なものか、
といったとするのが、魏の王粛の説として、
皇侃の「義疏」に引くものである。

・觚という字の一番もとの意味は、
りょう、かど、であって、さかずきとしては、
四角なかどのあるさかずきであるが、
別にまた木を長六面体あるいは長八面体にけずりあげて、
子供の習字の道具にしたもの、すなわちいまの石版のようなもの、それも觚と呼ばれた。

「觚、觚ならず」とは、それをさし、
本来はかどのある道具の觚が、今は角がない。
おかしなことだといったのだという説をも、
朱子は一説としてあげる。

 おっ、
「觚不觚こ、こならず」とは、

・古注は、酒の量について、
・新注では、酒器の形の変遷を

孔子が嘆いたことばである
と吉川博士はおっしゃる。

 では、「角川新字源」にはどのように…?
同書にて検索した結果は以下の通り。

【觚不觚】ここならず 酒器の觚はかどがあるべきなのに、現在では正式の形を失ってかどがない、と孔子がなげいたことば。転じて、名ばかりで実のないことをいう。〔論・雍也〕「子曰、觚不觚、觚哉、觚哉」

【觚】コ 意味(形声。音符瓜クワ→コ、くぼむ意→洿
①さかずき。中国の量で二升(約0.38リットル)はいるさかずき。②かど。③四角。方形。④ふだ。古代、文字をしるすのに用いた木のふだ。⑤ひとり。同義語:孤

 さ~て、どちらを…?
と思案した末に、私が選択した現代訳は…。

 えっ、
「なんのこっちゃあ~。
意味がさっぱりわからん!」

「冒頭の話と、この論語の一章は、
どこが、どうつながるんや!」ですかぁ…?(汗;)

 はい、
では、コミュニケーションは飲みにケーション。

そのコミュニケーションは、質より量!

だとすれば、お互いに徳利を傾けながら、
猪口を用いて、何度も、さしつ、さされつ、
酒を酌み交わす方が…。

その方が、飲み会の実、つまり意思の疎通、
コミュニケーションの向上が期待できるのでは…?

と、こじつけをいえば、あなたは納得!
でしょうか…?

 では、あなたにお伺いします。

 あなたが、有名無実になったと思うこと、
すなわち、名ばかりで実がなくなった!
と思うことには何(どんなこと)がありますか?

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コメント

 安富歩という学者の本によると、一升は爵、二升は觚、三升は觶、四升は角、五升は散と言うそうです。それで、孔子は觚を使用する決まりになっている儀式の様子を見ていたところ、どう見ても觚と呼べないサイズの猪口を使用していたんですね。酒をいっぱい飲みたいならば、儀式の決まりを変更して、角や散を使いますと公言すれば良い。酒に酔って儀式どころでなくなるのは確かに愚かだが、名を歪めていないならばまだ許せる範疇です。にもかかわらず、「いや、これは觚だから」と言い張って、角や散のサイズの猪口を使用して、ベロベロに酔っ払って儀式どころではなくなっている。この状況が孔子には許せなかった、ということみたいです。
 私にとって身近な例を言えば、最底辺の高校や大学ですね。私は工業高校で非常勤講師をしていますが、はっきり言って、生徒の半数は中学生にも劣る学力しか有していません。そのため、私が担当している国語では漢検五級(あるいはもっと下)から学ばせないといけなかったり、数学の先生から聞いた話では分数の計算から教えないといけなかったり、という状況です。これは、「高校」という名を歪めていると思います。普通高校並の学力を持つ一部の生徒に対しても、中学生にも劣った状態のままでも高卒を名乗れてしまう卒業生に対しても、卒業生を雇う企業と社会に対しても、失礼だと思います。聞くところによると、Fラン大学では中一の英語からやり直しているそうです。高校では高校レベルの学問を教え、大学では大学レベルの学問を授ける。これが本来の在り方であるはずなのに、そうなっていないのですね。高校を名乗る以上は、中学の内容を修了したと断言できる生徒のみを入学させ、高校の内容としてふさわしいことを教えるべきです。それができないならば、専門学校だとか、工業中学校だとか、学問所だとか、実態にあった名称に変更すれば良い。私はそう思います。

 坂本龍さん、
長文のコメントとご教示ありがとうございました。

 私は「安富歩」教授という経済学者のお名前も、
また、「東大話法」という言葉も存じ上げませんでした(汗;)

ましてや『生きるための論語』という本の存在も!

 はい、五種の杯については坂本龍さんのおっしゃる通りです。
ちなみに、吉川博士の解説にも次のような言葉が。

漢人(びと)の「五経異義」に、「一升を爵と曰い、二升を觚と曰い、三升を觶(し)と曰い、四升を角と曰い、五升を散と曰う」と、 
 <中略> 
かつ、「五経異義」には、「觚(こ)は寡(か)なり、飲むこと当(まさ)に寡少なるべし」という。

 ところで、坂本龍さんのお嘆きは、
『大学』の8条目のうちの「格物・致知」、
すなわち生徒や学生の学力低下におありなのでしょうか…?

 それとも、「誠意・正心・修身」、すなわち徳行、
あるいは、「斉家・治国・平天下」、
つまり家庭や社会・行政などに対するご提言なのでしょうか…。

 はたまた、「必也正名乎」(論・子路第十三 第3章)、
すなわち「実態にあった名称に変更」を!
というご提案なのでしょうか…?

 いずれにしても、ありがとうございました。
坂本龍さんのお蔭で、私はまた1つ賢くなりました。

と同時に、私は「双方向コミュニケーション」媒体のありがたみと
有効性を感じることができました。

 感謝! 感謝 !!!
です。

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