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2012年11月11日 (日)

「翕如・純如・噭如・繹如」解説ページ

1210162 画像は秋田の友人からのプレゼントです。

 賢明なご愛読者の皆様に申しあげます。
私のブログ記事は、まあ分かりやすいものです。

始めて起こすに、「翕如きゅうじょたり」。

 なんのこっちゃあ~…?
と訝いぶかるあなた!

先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫の「八佾はちいつ第三」 第23章からの引用を主に始まる以下の記事を篤とくとご覧あれ!

 <長文ご注意!>(^_^;)  附録もあるでよぉ~(^。^)  

 まずは、訓読です。

、魯の大師たいしに楽がくを語かたりて曰わく、
がくは其れ知るべき也なり
はじめて作こすに翕如きゅうじょたり。
れを従はなちて純如じゅんじょたり。
噭如きょうじょたり。繹如えきじょたり。
って成る。

 次に、その現代訳です。

孔子が魯の国の楽官の長に言った。
「音楽はわかりやすいものです。
最初は金属楽器が一斉になり、盛んです。
これを放つと、諸楽器がよく調和し、
はっきりとして、音が絶え間なく続きます。
こうして音楽はできあがります。」

 続いて、吉川博士の解説です。

・孔子のころの音楽が、いかようなものであったかは、今日よくわからない。

・孔子が魯の国の楽師のかしらに語った言葉によれば、それは、もりあがるような(翕如也)金属の打楽器の鳴奏によってはじまる。

やがて諸楽器の自由な参加によって(従之)かもし出される純粋な調和(純如也)

しかも諸楽器がそれぞれに受けもつパートの明晰さ(噭如也)、そうして連続と展開(繹如也)、

かくして音楽は完成する(以成)、
私は音楽をそう理解する、と孔子はいう。

・ここの従の字は、放縦自由を意味するときの縦の字と、同じである。

また、魯の大師に楽を語りて曰わく、の大師たいしとは、楽官の長であって、つまり雅楽頭うたのかみであるが、それには盲人が任用されるならわしであった。

<中略>

・この言葉によれば、当時の音楽は、いくつかの管楽器、いくつかの弦楽器、いくつかの打楽器をもつ、オーケストラであった。

それは詩が人間の行為の分裂の貴さを教えるのとは反対に、人間の行為の帰一の貴さを教えるところの、法則ある美の世界であった。

そうした純粋美の世界に遊ぶことが、孔子にとっては人間必須の任務である。

 う~ん、「純粋の美の世界に遊ぶ」…。

それが人間には必要であり、最も必要なつとめである!
と孔子(吉川博士?)はいうのであるが…。

 はたして、私の記事は
「純粋の美の世界に遊ぶこと」になっているのであろうか…?

という顚末は、<「翕如・純如・噭如・繹如」解説ページ 附録>を
ご覧いただきたく…。

 では、あなたにお尋ねします。

あなたはどんな純粋美の世界に遊んでいますか…?

   <「翕如・純如・噭如・繹如」解説ページ  附録>

 先ずは、タイトルほかの熟語について。

角川新字源』にて検索した結果は…。

【翕如】きゅうじょ 諸楽器の音がいっせいに整って起こるさま(朱子説)。
一説に、合奏のはじめに金属楽器をならすが、そのとき、他の楽器を鳴らす者がいっせいに用意を整えること(鄭玄じょうげん説〔論・八佾〕「始作翕如也、従之純如也」

【純如】じゅんじょ 和らぐさま。調和するさま。〔論・八佾〕「始作翕如也、従之純如也」

【繹如】えきじょ 音声が続いて絶えないさま。〔論・八佾〕

 ちなみに、「噭如きょうじょ」という熟語には、
同書にては遭遇できず。残念!

そこで、【噭】キョウ という語句を見ると次のような意味が…。

① さけぶ。大声を出す。②ほえる。③大声で泣く。④「清噭せいきょう」は、声が清らかにのびる。

 また、同書にて、【従】ショウ をみると、

・意味⑤ほしいまま〔礼・曲礼〕「欲不可従」
・意味⑥はなつ(放)〔論・八佾〕「従之純如也」

とあり、「ここの従の字は、放縦自由を意味するときの縦の字と、同じである」という吉川博士の言葉とは異なる…。

 う~ん、
いずれの解釈を…?

と思案の末に、『論語』 金谷 治 訳注(岩波文庫)を見ると
次のように。

・訓読:「これを従はなちて純如たり」
・現代訳:「それを放つと〔諸楽器が〕よく調和し」

 また、朱子の「解釈(注釈)によった」と記されている
『論語新釈』 宇野哲人 講談社学術文庫を見れば、
以下のような[語釈]が。

○大師たいし=音楽を掌つかさどる役人の長。
○作す=楽を初めて奏すること。
○翕如きゅうじょ=音律の備わること。
○従はなつ=縦つ、思うままに十分の音を出すこと。
○純如じゅんじょ=音の調和すること。
○噭如きょうじょ=明らかなこと。
○繹如えきじょ=相続いて絶えないこと。
○成る=楽の一段を「成」というけれども、ここでは「成る」と解してよい。

 う~ん、
これら4氏(吉川幸次郎・金谷 治・宇野哲人・小川環樹〈『角川新字源』の編者〉博士)の解釈(解説)を眺めてみた私の感想(主観)は…。

1. 吉川幸次郎(著)『論語』 朝日文庫が、
私にとっては一番面白い。

2. 次に、金谷治(訳注)『論語』岩波文庫が簡潔で
私には分かりやすい。

3. 『論語新釈』 宇野哲人 講談社学術文庫は、
読下し文・漢文はもちろん、[通釈][語釈][解説]とあり、
私には捨てがたいし、興味をそそられる!

4. 『角川新字源』に至っては、語句の「なりたち」「意味」にはじまり、
熟語とその出典までが記載されており、私は重宝している。

したがって、いずれも甲乙つけがたい!

 ちなみに私は、「気づきと体験あれこれ」のブログ記事を
書くにあたっては、1→4→2→3の順に書籍を購入して、
参照・参考にしているのであるが…。

 んんっ、
これって、もしかしてぇー…。

「翕如きゅうじょ」「純如じゅんじょ」「噭如きょうじょ」「繹如えきじょ」也なり
って成る!?

と考えた私は、前出の『論語』 金谷治(訳注) 岩波文庫から、
当該一章の現代訳を拝借して、私のブログ記事と
この記事の冒頭部分(書き出し)の意味を説明することに…。

 先ずは、『論語』 金谷治(訳注) 岩波文庫の現代訳から。

音楽はまあ分かりやすいものです。
起こしはじめは〔金属の打楽器で〕盛んです。
それを放つと〔諸楽器が〕よく調和し、
はっきりし、ずっと続いていって、
そうして一節が終わります。

 次に、私のブログ記事とこの記事の書き出し(冒頭部分)について。

私のブログ記事は、まあ分かりやすいものです。

起こしはじめは、『論語』上・中・下 吉川幸次郎(著) 
朝日文庫の3巻です。

その中から一章を選択すれば、
角川新字源』にて、調和(一致)する熟語を検索し、

『論語』 金谷 治(訳注) 岩波文庫や『論語新釈』 宇野哲人 
講談社学術文庫などを見て、よく調和、一致しているかなどを調べ、

すっきり(明確に、はっきり)してから、その論語の一章の解説の後に、私の気づきと体験談が続いていきます。

こうして私のブログ記事はできあがります。

お粗末!(汗;)

というのは、これ(この行為)が果たして…。

「人間の行為の分裂の貴さを教え」たり、
「人間の行為の帰一の貴さを教えるところの、法則ある美の世界」であるかといえば…?

大いに疑問である!

したがって、「人間必須の任務である」
とはいい難いし、言えない!?

では、何といえば…。

今流行の言葉を借用すれば
アンチエイジング!

これをポジティブ(肯定的)な言葉で表現するとすれば、
「六十化す」

そして、ネガティブ(否定的)な言葉に換言すると…。

ボケ防止、認知症予防!
かな…?(汗;)

ちなみに、あなたにはネガティブな言葉とポジティブな言葉の
どちらがフィット(ぴったり)します?

などと、言葉の世界に遊び、
その妙味に触れるのも、
また私の楽しみ、
すなわち、一興であり、一驚!

つまり、「気づきと体験あれこれ」の
1つになるのであるが…。

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