「王者」解説ページ
誰が
一番強いのか!
果たして、真の王者は誰なのか!?
などという言葉を
あなたは耳にしたことがありません?
では、王者とチャンピオンは、
何がどう違うのでしょうか……。
先ずは、『論語中』 吉川幸次郎(著) 中国古典選4 朝日文庫
からの引用を主に始まる以下の「子路しろ第十三」 第12章を
篤とくとご覧あれ~♪
最初に訓読(読下し文)を。
子し曰いわく、
如もし王者おうじゃ有あらば、
必かならず世せいにして後のちに仁じんならん。
次に、その現代訳(意訳)を。
孔子が言った(先生のお言葉である)。
もし、真の王者(帝王)が出現すれば、
きっと30年のうちに、慈愛に満ちた世になるであろう。
続いて、この章の吉川博士の解説を
・王者の二字は、おうじゃ、と読むのが、よみくせである。
「論語」では、ここのみに見えるが、ややのちの、
「孟子」以降の文献では、完全な道徳者である
君主、したがって、世界全体の君主たるべき資格をもつ君主、という概念となり、「覇者」の概念と対立する。「論語」のここの二字が、そこまでつきつめた概念であるかどうかは、思想史家の研究をまたねばならないけれども、すでにほぼその方向の概念であるには相違ない。
古注の孔安国が、「命を受けて王たる者」といい、
新注が、「王者とは、聖人の命を受けて興るもの也」というのは、そうした完全な君主は、天の命令を受けて出現するという思想である。・さて章の意味は、もし王者が出現すれば、
きっと三十年のうちに「仁」すなわち最高の道徳社会となるであろう。それが普通の説であり、「世」の字を古注も新注も、
三十年の意味とする。
あたかも、one generationが三十年であるのと合致する。「説文解字」によれば、「世」の字形は、
そもそも三つの十の字を横にならべたものである。・仁斎の説は異なり、
「世」とは人間一生の意味であり、
王者はその一生のうちに、仁の世界を実現させる、
と説く。・第三説として、「世」とは世代相承の意であり、
王者も何代か継続してのちに、仁の世界になる、
とよむことも不可能ではないと思うが、
先儒にそうした説はないようである。
えっ、
なに!?
「世」とは、30年の意味で、
三つの十の字を横にならべたもの…?
う~ん、
それは初耳!
知らなかった…と、
『角川新字源』を見れば、以下のように。
【世】セイ・セ/よ [丗]古字 [卋]俗字
なりたち:十(I・十)を三つ合わせて、三十を意味した。(卅そう)と同じ。転じて三十年、一代、よのなかの意を表わす。
意味①よ。三十年間 〔論・子路〕「世而後仁」
また、タイトルの語句は「おうじゃ」、
それとも、「おうしゃ」…?
と、同書にて検索してみた結果は次の通り。
【王者】おうしゃ/おうじゃ ①天子。帝王。
②王道によって天下を治める君主。〔論・子路〕「如有王者、必世而後仁」 対義語:覇者はしゃ
う~ん、
もし、これらの知識を有する人あれば、
冒頭の「王者」という言葉は、「覇者」の間違いである!
と気づくのでは…?
さて、「プロ野球が終わったら、
な~んも楽しみがなくなった…。」
とおっしゃるAさん。
果たして、Aさんの一年は
終わったのでしょうか…。
では、Aさん!
大相撲九州場所の優勝者は、
白鵬なのでしょうか、それとも日馬富士なのでしょうか…。
あるいは、松山英機は
今年の賞金王に輝くのでしょうか。
また、今年のLPGAの賞金女王は
横峯さくらなのでしょうか、
森田理香子なのでしょうか…?
TV桟敷でスポーツを楽しむ
Aさんにとっては、あと少しの間、
楽しみが残されているはずなのですが…。
んんっ、ひょっとして…、
Aさんは巨人ファン!?
それで、今年の楽しみは
何もなくなった…?
では、あなたにお伺いします。
あなたが考える真の王者、
すなわち、心・技・体を兼ね備えた人は、
果たして、どこのどなたなのでしょう~(^^♪
« 歳寒(さいかん) | トップページ | 王者(おうじゃ) »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント