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2014年9月21日 (日)

「敬遠」解説ページ

1409011_2 画像は秋田の友人からのプレゼントです。

 さて、突然で恐縮ですが…。

あなたは「敬遠」という言葉に、
何を連想します?

 ちなみに、私は今を去ること22年前。

阪神甲子園球場にて行われた高校野球での、
松井秀喜選手(石川星陵高校)に対する
5打席連続、敬遠のフォアボールですが…。

 そこで、「敬遠」とは?
と『広辞苑』にて検索してみれば、次のように。

けいえん【敬遠】①うやまって近づかないこと。
②表面はうやまうような態度をして、実際は疎んじて親しくしないこと。
また、意識して人や物事を避けること。「先輩を敬遠する」「敬遠の四球」

 う~ん、
22年前の松井選手は、
うやまって、遠ざけられた?

それとも、意識して避けられたのであろうか…。

 さ~て、
どっち!?

と、二者択一を迫るその前に…。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫
からの引用を主に始まる、以下の「雍也ようや第六」 第22章を
とくとご覧あれ~♪

 最初に、訓読(読下し文)を。

樊遲はんちを問う。
わく、
たみの義を務つとめ、
鬼神きしんを敬けいして之れを遠とおざく。
と謂う可し。
じんを問う。
わく、
じんなる者ものは先ず難なやんで後のちに獲
じんと謂う可し。

 次に、現代訳を。

弟子の樊遲はんちが「知」について尋ねた。
孔子の答え。
「人としての正しい行いに精力を尽くし、
神霊を大切にしようという気持ちは持っても、近づかない。
それが『知』というものだよ」。

さらに、「仁」について樊遲はんちが尋ねた。
孔子の答え。
「仁の人は、難しいことを先にして、利益を後にする。
それが、『仁』というものだよ」と。

 続いて吉川博士の解説の一部を。

・弟子の樊遲はんちが、知とは何であるかを、
孔子にたずねた。
孔子はこたえた。「民の義を務めよ」、

古注の王粛の説は、
「民を化道する所以ゆえんの義みちを務めよ」であり、
それならば民とは人民であって、人民を感化
教導するについての道理ということになり、
為政者としての知を説いたことになるが、

新注では、「民も亦た人なり」とし、民の字を、ひろく
人間の意味にとるから、「民ひとの義みちを務めよ」、
ひろく漠然と人間の道理を大切にせよ、ということに
なる。

古注新注、かく民という字の意味する範囲に
ついて、広狭の違いがあるが、まず人間の道理を
大切にするのが、知者の資格であるとする点は、
一致する。

そうして、人間以上の存在としてある鬼神に
対しては、尊敬はささげるけれども、
「之れを遠ざく」、ある距離をおいた存在として
あつかう、それこそ知者の資格となるものである。

樊遲はさらにたずねた、仁とは何であるか。
それに対する孔子のこたえも、古注と新注で、
読み方がちがう。

古注の孔安国の説では、
「先ず労苦して、後に功を得」であり、
いろいろと骨を折ってから目的に到達する。

つまり安易な到達をきらう。
それが仁という道徳の資格であるとする。

いま、本文の読み方を、しばらくそれに従わせる。

新注は、「仁者」の二字を、「仁ある者」、仁の道徳を
もつ人間とし、「難きを先にして、獲ることを後にす」
とよみ、人がいやがって後まわしにする難しいこと
を、後まわしにせずに先にやる。

また人が利益のある事柄として、先にやりたがる
事柄を、後まわしにする。
それが仁の道徳者の資格であるとする。

<中略>

・この条で重要なのは、前半である。
孔子は鬼神の存在を否定する無神論者では
なかった。

しかし神よりも先ず人を、と考える
合理主義者であったことを、
「論語」の他のいくつかの条とともに、
この条は示す。

<後略>

 う~ん、
いくらか割愛したとはいえ、
この章についての吉川博士の解説は長い!

 そこで、新注の読みと解説が記されているという
『論語新釈』 宇野哲人(著) 講談社学術文庫の
[解説]を見れば、以下のように。

この章は仁と知とについて述べてある。

樊遲はんちが損得を考えたり、鬼神を信じてこれに迷ったりする欠点があったから、それを救うために告げられたものと思われる。

「民たみの義を務つとめ、鬼神きしんを敬けいして之これに遠とほざかる」のは、人道じんどうのようなまさに知るべき所を知って、鬼神のような知るべからざる者に惑まどわないのであるから、知である。

「難かたきを先さきにして、獲ることを後あとにする」のは、心が専もっぱら道理に従って私情を雑まじえていないのであるから、仁じんである。

 おっ、
これなら,分かりやすい!

人としての正しい行いに精力をつくして、
訳のわからないもの=「神秘的な霊的存在」、
すなわち、「知るべからざる者に惑わない」
それが知者としての資格である。

また、人としての正しい道に従い、
私情をまじえない。
それが仁者の資格である!

と読める。

 翻って、冒頭の5打席連続の四球を、
この論語の一章に照らし合わせれば…。

 明徳を明らかにして、義、すなわち,人としての
正しい道に、生徒を感化・教導する高校野球の監督は、
松井選手を鬼神と解して遠ざけた!?
「敬鬼神而遠之(鬼神きしんを敬けいして之れを遠とおざく)」

つまり、松井選手を人ではなく、鬼神、
すなわち「神秘的な霊的存在」と考えて、
5打席連続、敬遠の四球という選択肢を採用したのであろうか…?

 それとも、この監督は、ともかく「勝ちたい一心」で、
松井秀喜選手に対して、5打席連続、敬遠の四球を
指示・命令したのであろうか…?

 その結果、物議をかもしたこの一戦に関わった、
当時の関係者や選手のその後は…?

 閑話休題

 この一章に関する語句を
角川新字源』にて検索した結果は以下のとおり。

【敬遠】けいえん ①敬って遠ざける。
〔論・雍也〕「敬鬼神而遠之」
②表面は敬っているように見せかけて、
実はきらって遠ざける。うるさがって遠ざかる。

ちなみに、【敬遠】の意味②は、同書(『角川新字源』)によれば、
「日本語としてのみに用いる」ものであると。

【義務】ぎむ 人としてしなければならない務め。

【務】む 精力をひたすらそのことに用いる。
〔論・学而〕「君子務本」

【鬼神】きしん/きじん ①鬼は陰の神、神は陽の神。
②死んだ人、およびその霊魂。また、神秘的な霊的存在。

 再度、冒頭の松井選手に対して、
5打席連続、敬遠の四球を指示命令した
高校野球の監督の視点に立てば…。

「先ず難なやんで後のちに獲
すなわち、「先ず労苦して、後に功を得」
つまり、いろいろと悩んで、骨を折ってから
獲た1勝だったのであろうか…?

私には、どうしても、
「難かたきを先さきにして、獲ることを後あとにする」、
すなわち、難儀(労苦)して獲た1勝ではなく、
1勝を優先したがために、物議をかもしたように思えて
ならないのであるが…。

 では、あなたにお伺いします。

あなたが敬遠するのは、どんな人や存在(ものごと)です?

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