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2014年12月 8日 (月)

「威而不猛(いありてたけからず)」解説ページ

1410043 画像は秋田の友人からのプレゼントです。

 「今朝の朝礼は、
な~んか、物足りんかったけど…。
なんでやろう?」と、同僚のRさんが
私に尋ねる。

で、私はRさんに、
以下のように返す。

「えぇー、私も!
何か、物足りなさを感じたけど…。
なんでやろう?

話の内容や話すスピード?
それとも、話し方や話す人の態度やろうか…?」と。

すると、Rさんは即座に、
次のように。

「それらの全部やろっ!?

いつもの社長の話には
何か、ありがたみが感じられるけど…。

今日の常務の話には、
それがなかった。

何か、話の内容や話し方に、
重みや深みがないように、わしは感じたけど。

で、今朝は早よう出勤してきて
損をしたように、わしは感じた」と。

Rさんの言葉を受けて
私は以下のように返す。

「なるほど。
今朝の常務の話を聞いて
あんたは損をしたように感じたんよ。

それって、もしかして、話す人に威厳がないと、
話の内容や話し方にも重みや深みが感じられん!
ということ?」と。

すると、Rさんは、
「そうかも知れんなぁ―…」と。

 この話のやり取りを整理すれば…。

 話す人が違えば(社長から常務に変われば)、
その違いは、話す内容や話し方の違いに変わり、
その違いが、話の重みや深みの有無に変わる。

そして、この話の重みや深みの有無が、
聴く人にとっては、「損得」感情に変わる。

 では、その「重みや深み」とは!?

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 朝日文庫
からの引用を主に始まる、以下の「述而じゅつじ第七」 第37章を
とくとご覧あれ~♪

 最初に、訓読(読下し文)を。

は温おだやかにして而しかも厲はげし。
あって而しかも猛たけからず。
うやうやしくして而しかも安やすし。

 次に、現代訳を。

先生(孔子)は穏やか(温和)ではあるが、おごそかでもある。
いかめしさ(威厳)はあるが、荒々しくはない。
うやうやしい(礼儀正しい)けれど、窮屈ではない。

 続いて吉川博士の解説を。

・この条は、孔子の人格を、弟子が記載したもので
ある。もっとも、一本には「子曰わく、温おんにして
れいなれ」。

また、さらに一本には「君子は温にして厲なれ」と
なっていたといい、それならばともに、
人間の理想型を、孔子が説いた言葉となるが、
それらの本には、賛成者が少ない。

・三句とも、まんなかにはいった「而も」が示すよう
に、相異なるごとく見える要素の、釣合いの取れた
併存、それが中国では常に人間の理想とされる
のであって、孔子はまさにそうした人格であった
というのである。

・一一の語義は、説明するまでもないようであるが、
「温而厲」の「厲」の字には、やや問題がある。

新注は「厲」を「厳粛なり」と解し、「温而厲」は、
温和と厳粛という、二つの要素をかね備えていた
とするが、

徂徠は、のちの子張第十九の子夏の言葉、
「君子に三変有り、之れを望むときは儼然たり、
之れに即くときは温なり、其の言を聴くときは
はげし」を証拠として、「厲」はもっぱら、
言語のきびしさについていうとする。

また徂徠は、孔子は何よりも「礼楽」の体得者として
尊重されるべきであり、この条の批評も、それを
考慮すべきなのに、宋儒の新注はそこのところを
わきまえないといっているが、何にしても「恭而安」
とは、礼儀正しく謙遜であるけれども、
窮屈ではなく、おちついているという意味には
ちがいない。

 あれっ、
吉川博士は「一一の語義は、説明するまでもない」
と述べて、この章の現代訳を省略している。

また、「新注は『厲』を『厳粛なり』と解し、
『温而厲』は、温和と厳粛」だと、おっしゃる。

 そこで、『論語新釈』 宇野哲人(著) 講談社学術文庫を
開いてみれば…。以下のような文言が。

[語釈] ○厲はげし=厳粛で犯すべからざること。
〇猛たけし=威厳が度を過ぎてあらく烈はげしいこと。

さらに、同書(『論語新釈』)の[通釈]を見れば、
「温」は「温和」とある。

ならば、吉川博士がおっしゃる通り、新注によれば、
「温而厲」は、「温和と厳粛」という2つの要素になる。

 では、『角川新字源』には、どのように?
と、同書にてタイトルの語句他を検索すれば、以下のように。

【威而不猛】いありてたけからず 威厳はあるがあらあらしくはない。〔論・述而〕「子温而厲、威而不猛」

【温】おん 冷たすぎず熱すぎず、ちょうど感覚とぴったりするくらい。また、あたためる。温酒。
なお、おさらいする。温習。
性情がおだやか。温良。温厚。

【厲】れい きびしく、はげしいこと。
〔論・述而〕「子温而厲」

【烈】れつ 火勢のはげしく強い意から、
はげしくあらあらしいこと。酷烈
気力がはげしく、強く正しいこと。烈士。

【猛】ぼう/もう 「寛」の対。性質やようすの勢いがひどくて、人のあたりにくいこと。勇猛。

 ちなみに、「性情」とは、読んで字の如く、
「性質と心情」であり、「気だて。心ばえ」のことである。

また、温和とは、「人がらがおだやか」なこと。

 以上の知識をもとに、
冒頭の「重みと深み」についての話を整理(考察)すれば、
当該常務には、きびしさや、はげしさは感じられても、
穏やかさは感じられなかった。

また、「重みや深み」、
つまり、「威厳」となれば…。

当該常務は、周りの人々に対して、
「近寄りがたい印象を与える感じ」はあっても、
威光、すなわち「人におそれや尊敬を起こさせる力」
は感じられず、また「おごそか」さも感じられなかった。

では、猛々しい、
つまり、勇猛果敢な人なのかといえば…。

必ずしも、そうとはいえなかった。

当該常務の人となりを、
一言で表現するとすれば、「粗野」な人であった。

平たくいえば、当該常務は周りの人々に、
必ずしも、好感を持たれているとは言い難く、
嫌われがちな人であった。

つまり、「威而不猛いありてたけからず」という
人物ではなかった。

したがって、当該常務が発する言葉にも
重みや深みが感じられず、その話を聞いた
多くの人々は、「損をした」と感じたのである…。

 では、あなたにお伺いします。

あなたの周りにいる人々で、「威而不猛いありてたけからず」!
と思われる人を、一人あげるとすれば、どなたです?

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