リンク集

« 不遷怒(いかりをうつさず) | トップページ | 天喪予(てんわれをほろぼせり) »

2015年9月 6日 (日)

「天喪予(てんわれをほろぼせり)」解説ページ

1508011 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、40年程も昔の話。

すなわち、20代も終わりの頃、
私には次のように思えた時(瞬間)があった。

「あぁー、済んだ。
これで、俺の人生も終わりやなぁ…」と。

 その訳は!?

と結論を急ぐその前に、

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選4 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の
「先進せんしん第十一」 第9章を篤とくとご覧あれ~♪

 最初に、訓読(読下し文)を。

顔淵がんえんす。
わく、
、天てんれを喪ほろぼせり、
てんれを喪ほろぼせり。

 次に、現代訳を。

最愛の弟子、顔回が亡くなった。
孔子が言った(先生がおっしゃいました)。
「あぁー、天は私を亡ぼした
天は私を亡ぼした」と。

 続いて吉川博士の解説を。

<前略>

・「顔淵死す。子曰わく、噫」、
日本音は「イ」、ただいまのペキン音は
yiの一声、於其反であるこの字は、
そのときの孔子の嘆息の声を、
そにままにうつす。

孔子はこの深刻な感嘆詞を発してのち、
天は私を破滅させた、そうくりかえして
二度いった。

古注に包咸ほうかんの説を引いて、
「再び之れを言う者は、
痛惜の甚だしきなり」。

・孔子のかなしみを、
すぐ耳のそばで聞くごとくである。

顔淵こそは、孔子のもっとも信頼する
弟子であった。

かれの死は、たんに顔淵その人の、
肉体と精神の喪失であるばかりでなく、
孔子自身の喪失であり、破滅であると、
嘆息されている。

・なぜ孔子自身の破滅でもあると、
嘆息したか。

学問の後継者がなくなったのをなげいた。
それが新注の説であるが、
この場合は、むしろ皇侃の「義疏」なり、
徂徠の「徴」が説くように、

政治に対しても、
はげしい抱負をもった孔子が、
その絶対に必要とする協力者を、
うしなった嘆きであるとする説をも
顧慮してよい。

以下割愛

 吉川博士は、この短い一章に対して、
5頁程もの解説を付しておられる。

その訳(主張)は、概略以下の通り、

「顔淵の死が、天の意思であると、
されていることである。
これは、人間の善意の保護者であるべき
天への信頼の、動揺である。」と述べた後で、

「この書物(論語)は、
もとより理想主義の書物である。
しかし、人間の運命に対する意識を、
一方では、するどくもっている。

すなわち、この書物が、中国の諸古典のうち、
もっとも含蓄のある書物としてある理由であり、
原因である。」と結んでおられるが…。

 さて、冒頭の続き。

 私が「あぁー、済んだ。
これで、俺の人生も終わりやなぁ…」
と、悲痛にくれたのは、

「人間の善意の保護者であるべき
天への信頼の、動揺」だったのであろうか…?

それとも、「あの時、あのようにしていたら…」
という「たら・れば」の後悔!
だったのであろうか…?

何はともあれ、
私は、「これで、私の人生は終わった」と感じた、
すなわち、心の奥の方で、そのように嘆いた
記憶がいまだに残っている。

 その訳(理由・要因)は、
車vs車の正面衝突事故!
ではあったが…。

なぜ、私はこの瞬間に、
「これで私の人生は終わった」
と感じたのであろうか…?

 この事象(事実?)を、もう少し詳しく説明すれば、
それ(事故)は終戦記念日のできごとであった。

私は祖母と叔母の2人を乗せて近くの慰霊塔まで
戦死した叔父のお参りに行く運転手役を
買って出た、否、仰せつかった。

 私は愛車、すなわち自分の車で行く
腹積もりであったが…。

叔父が「わしの車で行け」と言うので、
何故か、私は叔父の高級車を運転して行くことに…。

 事故はその途中で
起こった(起こした?)。

田舎の狭い道で、
対向車と離合できるか、否か?

と思われるような県道にて、
車vs車の正面衝突!

相手の車は前部が大破!
が、こちらの車は軽微な損傷程度。

で、相手は
私が「道路の真中を走っていた。
それが事故の原因だ」と、おっしゃる。

 では、私が「済んだ」と
感じた(思った)わけは…。

・その相手の剣幕に押された?
・大破した相手の車を見てのショックから?
・高齢の祖母や叔母のショック・後遺症を考えて?
・自らの車を運転して行かなかった後悔?
・「事故を起こした」という事実に動揺した?
・損害費用や相手の後遺症が気になった?
・「天への信頼の、動揺であった」?

 いずれにしても、その理由は
いまだ(永遠?)に、定かではないものの…。

一時的に、私は「済んだ(終わった)」、
「天は予れを亡ぼせり」と感じた。

にもかかわらず、叔父が現地・現場に来て、
現物(現実)を見た瞬間、

「相手の方に非がある」と主張して、
相手との話し合いの結果、
両者痛み分けにて決着!

 ところが後日、相手側から、
私の勤め先に、次のような電話が。

「あの時は、オジサンの主張に屈したけれど、
私の方に分がある」と私におっしゃる。

が、その時点では、一時的なショックから
解き放たれた私は次のように。

「その話はもう済んだことです。
もし、疑義があるならば、叔父に」
と木で鼻をくくったような応対を…。

 ちなみに、タイトルの語句を
角川新字源』にて検索した結果は次の通り。

【喪】ソウ も ②ほろびる(ほろぶ)。ほろぼす。
〔論・先進〕「天喪予」→付・同訓異義。

 んっ、
付録の同訓異義を見よというので…。

ほろびる(ほろぶ)。ほろぼす」を見たところ、
以下のような相違が。

【喪】そう 「得」の対。意味は「亡」と同じ。
あったものをなくす。なくなる。
したがって、「うしなう」とも読む。

【泯】びん みん 「滅」の意。
つきて消えなくなる。

【亡】ぼう 「存」の対。あるものがなくなる。
逃亡。
「滅」と同じ場合もあるが、ものはあれども、
それが、どこかへ行ってしまったという意味がある点で「滅」と異なる。

【滅】めつ あとかたもなくなり、消滅する。
火が消えるように、ものがなくなる。

 おっ、
これ(この同訓異義)を見る限りにおいては…。

「喪失であり、破滅である」と
おっしゃる吉川博士の解説よりも、
「亡ほろぼした」とする
私の現代訳の方が適切!?(笑)

 では、あなたにお伺いします。

あなたが、「天喪てんわれをほろぼせり」と嘆いたのは、
どんな事実を目の当たりにした時でしたか?

« 不遷怒(いかりをうつさず) | トップページ | 天喪予(てんわれをほろぼせり) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「天喪予(てんわれをほろぼせり)」解説ページ:

« 不遷怒(いかりをうつさず) | トップページ | 天喪予(てんわれをほろぼせり) »

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ