リンク集

« 将命(めいをおこなう)者 | トップページ | 三仁(さんじん) »

2016年2月 7日 (日)

「三仁(さんじん)」解説ページ

1510032 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、某上場企業の営業部長
Oさんがおっしゃるには…。

「この業界の、中小企業には、
必ずと言っていいほど、「三羽烏」とか、
「四天王」と呼ばれる人々が居るもんですがぁ…。
お宅も例外ではありませんなぁー。

でも、お宅には「大番頭」さんが 

いらっしゃいますから、格別ですねぇー。」

と、Oさんは言いながら、
覗き込むように私の顔を見る。

このOさんの顔の表情は
私に何らかのコメント要求している?
と感じた私は次のように。

「ほぉー、『三羽烏』に『四天王』。
それに、『大番頭』ですかぁ~。

それらの人々は、全員、
『仁者』なのでしょうねっ!?」とは、

私は聞き返さなかった。

その理由は!?
というその前に…。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選5 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の
「微子びし第十八」第1章を篤とくとご覧あれ~♪

 最初に、訓読(読下し文)を。

微子びしは之れを去り、
箕子きしは之れが奴と為り、
比干ひかんは諌いさめて死す。
孔子こうしわく、
いんに三仁さんじんり。

 次に、現代訳を。

いんの国の忠臣の一人、微子びしは国を去り、
同じく、箕子きしは狂人のまねをして身を守り、
比干ひかんは紂ちゅう王の暴虐をいさめて殺された。
孔子は言った。
「殷いんの国には3人の仁者がいた」と
同一評価をした。

 続いて吉川博士の解説を。

・殷いん王朝が、その最後の皇帝
ちゅうの暴政のために、
周王朝にほろぼされたのは、

孔子より600年前、BC1100年ごろの
事件であるが、殷王朝滅亡まぎわの、
三人の賢人についての、
孔子の批評である。

・第一は紂の兄である微子。「微」は
国名であり、「子」は爵位と解されている。

かれは殷の国都の朝歌ちょうか
すなわちただいまの河南省の淇県で、
弟の紂が淫乱をほしいままにするのを
諌めたが、ききいれない。

それで「之れを去る」、
地位を棄てて亡命した。
そのときの言葉を記録したのが、
「書経」の「微子」篇である。

のち周の武王が紂を亡ぼすと、
周に帰順し、前王朝の後裔として、
そうのくにの始祖となった。

・第二は紂の伯父筋にあたる箕子。
やはり「箕」は国名、「子」は爵位とされる。

「箕子」も、甥の紂を諌めたが無駄であった
ので、にせきちがいとなり、いやしい奴隷の
格好をした。

のち周の武王によって、朝鮮に封じられる。

・第三は比干。これは諫言の結果、
紂に殺された。

「史記」の「殷本紀」にいう、
「比干曰わく、人臣たる者は、死を以って
争わざるを得ず。乃ち強く紂を諌む。

紂怒りて曰わく、吾れ聞く、
聖人の心には七つの竅あな有りと。
比干を剖きて其の心を観る」。

また「史記」の「宋そう世家せいか」にも、
同様の記載がある。

・三人の忠臣、あるいは生命を犠牲にし、
あるいはしなかった。

しかし孔子は、いずれも仁者であると
評価した。

古注の何晏に「仁者は人を愛す。
三人の行いは異なるに、而も同じく
仁と称するは、其の俱ともに、乱を憂い、
民を寧やすんずるを在むねとするを
以ってなり」。

 さて、「『仁者は人を愛す』と、
の何晏かあんはいうのであるが…。

冒頭の「三羽烏」とか「四天王」と称された人々は、
果たして、周りの人々を愛したのであろうか…?

 ちなみに、この一章の「仁者」とは、
『論語新釈』(宇野哲人 著)によれば、
「忠君愛国」、すなわち「君を愛し国を憂うる至誠の人」
を指すというのであるが…。

では、「三羽烏」とか「四天王」などと呼ばれる人々は、
以下のような人々だったのあろうか!?

オーナー社長を愛し、企業の現状や行く末を案じて、
日々、社業進展のために尽力する真心の人々!

否、彼らは、わしがワシがの、我の人々であり、
互いに競争心ならぬ、敵対心を抱き、隙あらば! 
と、腹に一物も荷物(二物)も有る
スタンドプレーヤーではなかったのか!?

つまり、彼らは仁者と呼ぶには
相応しくない人々だと、私は感じていた。

で、私はあえて、冒頭のような愚問を、
発しなかったのであるが…。

もし、冒頭のような問いかけを行っていたならば、
Oさんからはどんな答えが返ってきたのであろうか…、
残念 !!!。

 ちなみに、『角川新字源』にてタイトルの熟語と
3人の仁者を検索した結果は以下の通り。

・【三仁】さんじん いんの三人の賢人。
微子・箕子きし・比干。
〔論・微子〕「殷有三仁焉」

・【微子】びし ①人名。名は啓、または開。
いんの忠臣。
ちゅう王の庶兄(めかけ腹の兄)で、
しばしば紂王をいさめたが聞き入れられず、国を去った。

のち、周の武王に、殷の後裔こうえいとして
そうに封ほうじられた。→三仁

②養い子。養子。③「論語」の編名。

・【箕子】きし 殷の紂ちゅう王の一族。
箕は、封ほうじられた国名。
紂王をいさめたが聞き入れられず、
狂人のまねをして身を保った。

武王が紂王をほろぼしたとき、
箕子をむかえて天地の大法を問い、
箕子は「洪範」を教えた。

武王は箕子を朝鮮に封じた。
孔子は、微子・比干とならんで
殷の三仁のひとりとしている。

・【箕子之明夷】きしのめいやぶる 箕子の明知が
きずつく意で、箕子は殷の紂王を
いさめたが聞き入れられなかったので、
自分の明知をわざときずつけ、狂人のまね
をして政界から身をかくしたことをいう。
他の解釈もある。〔易・明夷〕

・【比干】ひかん 殷の紂ちゅう王のおじ。
紂王の暴虐をいさめ、むねを裂かれて
殺された。

箕子きし・微子と合せて殷の三仁と
いわれる。

 あれっ?
3人(三仁さんじん)共に、
君主(紂ちゅう)とは、縁戚関係!

 では、冒頭の「三羽烏」とか「四天王」などと
称された人々は、全員がオーナー社長と
親戚関係であったのかといえば…、

私の知る限りにおいては
NO!である。

 また、かつての私の上司、Tさんは
以下のように説き、予防線を張る。

「『人臣たる者は、死を以って争わざるを得ず』
と比干ひかんはいうけどな、お前、あんなもん
真に受けたら大事になるぞっ!

第一、オーナー社長を諌めるのは、
親戚関係のの特権でもあり、
役目やからな。

身内でも親戚でもでない人々や社員が
そんなことをしたら、お前どうなると思う?

煙たがられ・疎まれるのが
関の山よ。

ほやからな、そんなボロの上司には
愛想を尽かして、さっさと次の職場を探す!

それが賢明な社員のすることよ。

わしはそう思うけどな、
お前どう思う?」と。

 最後に、冒頭のOさんは、
「三羽烏」とか「四天王」という言葉を
それぞれ、3人の、あるいは4人のすぐれた人々
という意味で使っていた。

が、この言葉は時と場合によっては、
誤用されたり、悪い意味にも…?

 では、あなたにお伺いします。

あなたの周りに存在する「四天王」や「三羽烏」は
「三仁」や「四仁」と呼ぶに相応しい人々でしょうか!?

« 将命(めいをおこなう)者 | トップページ | 三仁(さんじん) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「三仁(さんじん)」解説ページ:

« 将命(めいをおこなう)者 | トップページ | 三仁(さんじん) »

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ