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2016年7月 9日 (土)

「不怍(はじず)」解説ページ

Dsc00722 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 Aさんは、私のためにと、
以下のようならぶれた~を。

「昨日一緒にラウンドしたシングルさんから、
私(Aさん)は『80切りも夢ではない。』
と言われました。

だから、Nさん(筆者)も
早く、90切りして下さい」と。

 このAさんからのらぶれた~は、
Aさん自身の自慢話とも思われるし…、
私への励ましともとれる。

その一方では、「コミットメント(約束)が
空手形に終わらないようにねっ!」

と、私に約束の履行を
迫るものでもあるが…。

 その約束とは!?

今を去ること、
3年程も前の秋のこと。

とあるゴルフ場からの帰り道、
車中にて私は上機嫌で、
次のように宣言した。

「次は90を切る」!

すると、Aさんは即座に、
以下のような言葉を用いて否定する。

「それは無理!

若い内ならまだしも、
歳が歳やからなぁ」と。

で、私は以下のように返す。

「ほぉーかなぁ…。

たとえ、知らないことを知る。
すなわち、何ぼ,新たな知識や技術を習得しても、
体力の衰えには、追いつかん!?」

と、言えば、Aさんは「我が意を得たり!」
と言わんばかりに、以下のように肯定する。

「年齢とともに、体が硬くなってきて、筋力は衰え、
飛距離も落ちてきて、スコアは悪くなる一方よ」と。

つまり、Aさんは古希を迎えようかという歳にもなれば
「年齢とスコアは反比例しない」と主張する。

で、私は以下のように答える。

「でも、それ(90切り)を目標にせんことには
これからの人生、何の面白みも、
楽しみもないやろっ!?

たとえ、今年は無理でも、
来年には!

もし、来年が無理なら
再来年。

すなわち、3年後までには、
90を切ろうわい!」

と、約束(宣言)した。

すると、Aさんは!
という話は後段のお楽しみ。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選4 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の
「憲問けんもん第十四」 第21章を篤とくとご覧あれ~♪

 最初に、訓読(読下し文)を。

わく、
れ言げんの怍じざるは、
すなわち之れを為すや難かたし。

 次に、現代訳を。

孔子が言った(先生がおっしゃいました)
「大口をたたいて(大言・広言して)恥じないのは、
実行が困難であることを知っているからだよ。
(だから、やり切る・目標を達成するためには、
あえて、宣言して、努力・尽力をするのだよ)」と。

 続いて吉川博士の解説を。

・「怍」は古注の馬融の説に、
「慙ずる也」。すなわち慚の字であり、
ざんと怍さくは同子音である。

・新注に、言の慙じざるとは、いわゆる
「大言不慙」であって、臆面もない広言を
吐くことと解し、そうした広言にかぎって、
実行はむつかしい意とする。

しかし、私は、新注の解釈に不安をもつ。
そのような消極的批判の言葉で
あるのであろうか。

私は古注にしたがいたい。

・はじ、ためろうことなく、きっぱりと
いいきれるのは、その実行に際しての
困難を知りながら、困難を押しきって
やり切るだけの、充実した自信が
あるからである。

古注は、そういう風に読める。

「内に其の実有れば、
則ち之れを言いて慙じず、
其の実を積む者は、
之れを為すこと難し」。

さきの顔淵第十二に、
司馬牛が仁を問うたのにこたえて、
「之れを為すこと難し、之れを言いて
訒する無きを得んや」(詳しくはこちら
「其言也訒(そのげんやじん)」解説ページ)

と参照すべき条であると、思う。

 んんっ?
ということは…。

冒頭のAさんにしてみれば、
私の「90切り」宣言は、

「大言壮語」、
すなわち、ホラ吹き!?

それとも、「大言不慙」、
広言して(大口をたたいて)慙じず。

つまり、「大風呂敷を広げて、
じない男!」だと、
Aさんは解釈した?

それとも、「ゴルフの恐ろしさを
知らん男やなぁ…」と呆れた?

で、Aさんは開いた口が塞がらなかったものの、
意味ありげな声と顔の表情で一言、
次のように答えた。

「楽しみにしとこうわい」。

 そして、いま、ここ、3年後に、
Aさんはメールにて、私にカラ手形の
決済をリクエストしてきた…?

 「仰あおいでは天に愧じず、
しては人に怍じず」とは、

『孟子』の一節にして、
「自己修養の極致」だというが…。

私が広言して怍じないのは、
かように、周囲の人々からの励まし(催促)や
情報提供が期待できるからでもある。

が、何よりも、自分自身のため!

つまり、日本人は「恥の文化」だとか、
「恥を知る」人種だというので、

周りの人々に宣言(広言)すれば、
目標の達成に向けての糧にもなり、
活力にもつながる。

言葉を換えれば、日本人は、
「恥を知る人間」である。

だから、恥をかかないように
努力・尽力するのが日本人の本質だという。

 じゃあ、
その「はじ」とは!?

と、『角川新字源』の「同訓意義」を見れば、
かくも豊富に、「はじ」の語句が…。

はじる(はづ)/はずかしめる(はづかしむ)

・【愧・媿】き 自動詞。自分の見苦しいのを
人に対しはずかしく思う。
軽く用い「慙愧ざんき」と連用する。
〔孟・尽心〕「仰不於天

・【怍】さく 自動詞。自分のしぞこないなどを、
心にはっと思い、顔色の変わること。
軽く用いる。〔孟・尽心〕「俯不於人

・【慙・慚】さん/ざん 自動詞。面目を失い、
はずかしい。軽く用いる

・【忸】じく 【怩】じ 「忸怩」と連用し、
顔にはじる色のあるさま。

・【恧】じく 自動詞。心にはずかしく、おそれいる。

・【羞】しゅう おもはゆく思う。羞悪之心。

・【辱】じょく 「栄」の対。他動詞。はずかしめる。不名誉なめにあわす、あわされる。

・【恥】ち 自分の悪い点を認めてはじいる。また、人にはじをかかす。

 んんっ、
「軽く用いる」!?

それ故に?
金銭等にまつわる問題で、
釈明会見をする人々は、

衣食足りても「栄辱」を知らない人なのか、
「羞恥心」が限りなく「0」に近い人なのか、

・「慙愧ざんきに堪えない」とか、
・「忸怩じくじたる思い」だとかいう語句を
臆面もなく、「軽く用いる」。

さては、彼らは、前出の
『孟子』の言葉をご存知ない!?

 ちなみに、前出の「愧」「怍さく」の出典、
すわわち、〔孟・尽心〕、つまり『孟子』 の
「尽心章句上」 20章はこちら(「三楽」解説ページ)

 では、あなたにお伺いします。

あなたは広言派、それとも慎重派?
その訳、すなわち理由は…?

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