「不患(ふかん)」解説ページ
とある日、私は社労士のYさんと
「視点を変える」というテーマにて、
対話を重ねていた。
そして、私が
次のように言えば…。
「この間、本を読んでいたら
面白いことが書いてあってなぁー。
『家は資産ではなくて負債だ』というんよ。
で、私は、『なるほど!』と
得心がいったたんやけどなぁ…」と。
この私の発言に対して、
負けず嫌いのYさんは、
間髪入れず、次のような反論を。
「それは家を持っている人が
言える言葉であって、
家を持っていない人にとっては
贅沢な悩みですよ。
家を持っている人と持っていない人の
大きな違い、それはステータスであり、
心のゆとりですよっ。
地位と心は、金では買えませんからねぇー。
羨ましい限りです」と。
あれっ、
これって、対話、
それとも議論!?
また、家は負債なのか、
それとも資産なのか?
などという小難しい話は、
とりあえず、先送り。
先ずは、『論語上』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の一章
(里仁りじん第四 第14章)を篤とくとご覧あれ~♪
最初に、訓読(読下し文)を。
子し曰いわく、
位くらい無なきを患うれえず、
立たつ所以ゆえんを患うりょう。
己おのれを知しること莫なきを患うれえず、
知しらるべきを為なすを求もとむる也なり。
次に、現代訳を。
孔子が言った(先生は以下のようにおっしゃった)。
「地位のないことを思い悩むな。
どうしたら地位が得られるのかを思い悩め。
自らの認知度が低いことを思い悩むな。
認知度が上がる行為・方法を探し求めよ」と。
続いて吉川博士の解説を。
地位のないことが悩みではない。
地位をうるだけの実力がないことこそ
悩みである。自分を認めてくれる人がないということは
悩みでない。
人から認められうべき行為をするように
心がけよ。つまり、人間には遇不遇があるが、
それは問題でない。あくまでも、
自己の実力に自信をもちうるように、
実力をつちかえ、というのであって、学而篇第一の、
子曰わく、人の己れを知らざるを患うれえず。
知られざるをこそ患うりょうるなり、また憲問篇第十四の、
子曰わく、人の己れを知らざるを患うれえず、
その能くせざるを患うりょうるなり、衛霊公篇第十五の、
子曰わく、君子は無能を病なやみとす、
人の己れを知らざるを病なやみとせず、と、同趣旨の言葉である。
新注に引いた程子の説に、「君子は
其の己れに在る者を求むるのみ」。なお、「立つ所以を患う」の立の字は、
地位を得ることであって、
位の字と立の字は、一つは人べんがあり、
一つは人べんがないが、近い意味の字である。
んんっ、
「立の字は、地位を得ること」だと
吉川博士はおっしゃる。
じゃあ、
『角川新字源』にはどのように?
と、【立】リツ・リュウ たつ・たてる を検索してみれば、
付録の「同訓意義」を見よと。
で、見た結果、以下のような
6つの「たつ・たてる(たつ)」が。
・【起】き・【興】きょう・【作】さく・さ
・【建】けん
・【豎・竪】しゅ・じゅ
・【樹】じゅ
・【植】しょく
・【立】りゅう・りつ しっかり立つ。
たおれないでいる。
位につく。つける。でき上がる。仕上げる。立身。立功。
他の5つの「たつ・たてる(たつ)」の意味については
転記を割愛したものの…。
「立の字は、地位を得ること」で、
納得!
すなわち、吉川博士の解説と、
『角川新字源』に記載の意味は一致。
次に、「患」、
すなわち「患うれえる」について。
吉川博士は「悩み」と訳しておられる。
では、同書(『角川新字源』)にはどのように?
と、見てみた結果は、以下の通り。
【患】カン(クワン) わずらう
[なりたち]形声。心と、音符串クワン(なやむ意→艱カン)
とから成り、思いなやむ、ひいて「わずらう」意を表わす。[意味]①うれえる(うれふ)。おもいなやむ「憂患」→付・同訓意義。
おっ、
ここも、付録の「同訓意義」を見よと。
で、見た結果は、以下の通り。
ここにも、6つの「うれえる(うれふ)」が。
前記の「立」同様、ここでも、「患」以外の
5つの「うれえる(うれふ)」については
その意味の転記を割愛。
・【患】かん 災難などにあって、それをなやみ心配する。
「憂」は心を主にし、「患」は事物を主とし、
「憂」は災難などに先立って苦労すること、
「患」は現実の災難に苦労すること。
〔論・顔淵〕「季康子患レ盗」・【愁】しゅう
・【恤・卹】じゅつ
・【戚】せき
・【閔・憫・愍】びん・みん
・【憂】ゆう
あれっ、
この辞書(『角川新字源』)では、
「患は事物を主とし、
現実の災難に苦労すること」と。
だとすれば、「患」は
「悩み」よりも、「患わずらい」!?
すなわち、「病気でぐずぐずしていること」。
つまり、「鬱」状態だという意味の方が…?
と考えた私は、「患」の現代訳について
「思い悩む」ことに…。
そこで、他の参考書(本)にはどのように?
と、『論語』 岩波文庫 金谷 治訳注を見れば、
「患」=「気にかける」と。
う~ん、
「患」とは、「なやむ」ことのか、
「わずらう」ことなのか、
それとも、「気にかける」意味なのか…?
などという患いや悩みは、さておき、
冒頭の続きを。
先ずは、対話と議論の違いについて。
・対話=ダイアログ(Dialogue=dialog)
・議論=ディスカッション(Discussion)
といえば、賢明なあなたには
その違いがお分かりかと!?
ちなみに、『On Daiarogu(ダイアログ)』
(デヴィッド・ボム著 英治出版)の表紙には
次のような記載が。
対立から共生へ、
議論から対話へ
つまり、対話とは、
「意味を共有」するためのものであり、
勝ち負けや優劣を争うものでもなく、
「人を説得する」ものでもない。
したがって、冒頭のYさんの発言に
言葉を付け加えるするとすれば、
以下のように。
「なるほど。
家は資産ではなく、負債ですか。
面白い見方・考え方ですねっ。」
と先ずは肯定の言葉を。
そして次に、以下のような言葉を。
「ですが、別の見方、
考え方もあるのでは?」と
前置きをした後に、
「家はステータスであり、
心のゆとり・余裕を生み育むものだ」
という「家の意味」についての持論を展開して、
共有する姿勢があれば、対話は続くのであるが…。
次に、家は資産か負債か?
これは、「貸借対照表」を
思い出していただければ、ご納得かと。
ちなみに、冒頭の本(著書)によれば、
以下のような類の記述が。
金を生むものが、資産であり、
金を生まないものは、全て負債である。
言葉を換えれば、
家は、ステータスであり、
心のゆとりを生み育む半面、患うれい、
すなわち頭痛の種であり、思い悩む元。
具体的に言えば、家はメンテナンス、
維持・管理費という費用や患うれいが
付きまとうものであり、いま、ここの
私にとっては負債以外の何物でもない!
でも、Yさんがおっしゃる通り、
「家はステータス(地位・身分)であり、
心のゆとり・余裕を生み育むものだ。」
という視点に立てば、不患うれえず!?
すなわち、患うれいなど、どこ吹く風、
つまり、患いとは無縁の生活、楽しみが…。
では、あなたにお伺いします。
あなたの患いを消し去る魔法があるとすれば、
それは誰のどんな杖や言葉なのでしょう!?
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