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2016年12月 4日 (日)

「力不足者(ちからのたらざるもの)」解説ページ

1610146 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 半世紀程も前、すなわち私が
成人式を迎えた頃の話。

夕暮れ時に、私は一人で、
軽乗用車を運転して、
勤務先から発注元企業に向かっていた。

その道中で、目的地に降りる道を
間違えたことに気付いた私は、
慌てて、ハンドルを左に切った。 

すると、タイヤは本線とランプウエーを
識別するために設置されていた(と思われる)
拳大ほどの敷設(突起)物に乗り上げた。

その後、車は何度か
バウンドして、敢え無く横転!

この光景を目の当たりにした
後続車のドライバーが!

という続きは、
後段のお楽しみ。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の一章
(里仁りじん第四 第6章)を篤とくとご覧あれ~♪

 最初に、訓読(読下し文)を。

わく、
れ未まだ仁じんを好このむ者もの
不仁ふじんを悪にくむ者ものを見ず。
じんを好このむ者ものは、
って之れに尚くおうる無し。
不仁ふじんを悪にくむ者ものは、
れ仁じんを為すなり。
不仁者ふじんしゃをして其の身
くわえしめず。
く一日いちにちも其の力ちから
じんに用もちいること有らん乎
れ未まだ力ちからの足らざる者もの
ず。
けだし之れ有らん。
れ未まだ之れを見ざる也なり

 次に、現代訳を。

孔子が言った(先生がおっしゃいました)。
「私はまだ、仁を好む人にも、
不仁を憎む人にも会ったことがない。
仁を好む人は、
それに越したことはない(それが一番だ)が、
不仁を憎む人も
仁を行う人である。
なんとなれば、不仁者を遠ざけて我が身に
危害を加えさせないからだ。
たとえ1日でも、その力を
仁の行為に注ごうと努めた人がいたとして、
その力が足りないという人を、
私はまだ見たことがない。
思うに(多分)、そのような人がいるかも知れないが、
私はまだそのような人に会ったことがない」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

・この章のはじめの部分は、
私にはよくわからないものを含んでいるが、
しばらく字を追って説けば、

我れ未まだ見ず、我未見、とは、
私はまだお目にかかったことがない、
ということである。

いかなる人物に
あったことがないかといえば、

一つは仁を好む人間、
また一つには不仁を悪にくむ人間。

この二つは
たいへん価値をもつ人間であるが、

価値をもつ人間であるだけに、
まだあったことがない。

うち仁を好む人間は、
以って之れに尚くおうる無き、

つまり注文のつけようのない、
最上の価値である。

また不仁を悪む人間も、
それは仁の道徳を行為するもの
であるといえる。

何となれば、不仁者をはねつけて、
不仁者の害毒を、自己の身の上に、
加えさせないからである。

以上、ことばの表面の意味をひろうだけで
あるが、以下はややよく理解しうる。

もし、能く、ただ一日の間だけでも、
仁の行為に努力しようというものがあれば、

それだけの力量にさえ不足する人間は
いない。

それだけの力量さえ持たないという
人間を、自分はまだ見たことがない。

つまり仁の行為は、
やろうと思えばだれだってできる。

できないはずはない、
という強い断定であるが、

蓋し之れ有らん、
我れ未まだ之れを見ざるなり、
という最後の二句は、

いや、そうした人間も、
あるいはいるかも知れない、

しかし少なくとも私は、
まだ会ったことがないと、

まず人間の多多様性に思いをはせて、
一度下した断定をゆるめるように
見せながら、

実は、自分にとっては何よりも
信頼しうる自分自身の知見の範囲で、

さらに断定を強めるという、
含みの多い、いいかたで終わっている。

・なお、この条では、主格の「われ」が、
すべて我であり、吾でない。

 んっ?
「尚くおうる無き」とは、
「最上の価値」だと、吉川博士はおっしゃる。

では、『角川新字源』にはどのように?
と検索してみた結果は…。

【尚】しょう 意味②くわえる。同義語:上。
ア. 上に重ねる。かざる。
イ. こえる。凌駕りょうがする。

また、【尚】しょう の「意味③」を見ると、
「たっとぶ(尊)」とあり、
付録の「同訓意義」を見よ、
と記されている。

で、「たっとぶとうとい(たふとし)」の
「同訓意義」を見れば…、以下の5つの漢字が。

・【貴】

・【崇】しゅう/すう

・【尚】しょう 「上」とは音と意味が通じる。

・【上】じょう/しょう 「かみ」と読む字で、
かみにするということ。上へあげる、

上席におくなど、みなとうとぶことで、
そういう意味でのとうとぶ意。

とうとい意はない。

・【尊】そん

※「貴」「崇」「尊」の意味は、割愛。

 おぉー、
納得!

「尚くおうる無き」とは、
「上がない」ということ。

すなわち、「最上の価値」だと
おっしゃる吉川博士の解説と、
この辞書(『角川新字源』)に記載の意味は合致。

 次に、「蓋有之矣(蓋けだし之れ有らん)」。

吉川博士は、この4文字を
次のように訳しておられる。

「いや、そうした人間も、
あるいはいるかも知れない」と。

じゃあ、「蓋けだし」とは、「いや」?
それとも、「あるいは……かも知れない」?

などと私は思いながら、
角川新字源』を開いてみれば…。

【蓋】一.ガイ  二.コウ
意味④けだし 

ア. 思うに。不確かなことを推定するときに用いる助字
イ. たぶん。思うに。だいたいの見当で
述べる。

う~ん、「蓋然性がいぜんせい=蓋然率がいぜんりつ」といえば、
「プロパビリティー(probability)」、すなわち「見込み」、
「ありそうな事柄」、「確率」という意味であるが…。

「蓋けだし」とは、「不確かさの確率」。
言葉を換えれば、「ありそうな事柄の推定」。

したがって、「あるいは、そうした人もいるかも知れない」
という吉川博士の解説にも、納得(肯うなずく)。

 さて、一安心したところで、
冒頭の続き。

「後続車のドライバーが」、
とった行動とは!?

横転した私の車を横目で見ながら、
過ぎ去って行った車は、皆無であった。

全員(全車のドライバーが)、
停車して、車から降りてきた。

そして横転した車の中に閉じ込められている
私を見て、彼らは口々に、次のような一言を。

「大丈夫か!?」
「ケガはないか!?」
「おっ、生きとるやないけっ。
よかった、よかった、よかったなぁ」と。

 「命あっての物種」!
すなわち、「命、之れに尚くおうる無し」!
とおっしゃるが…。

当時の私の頭の中には、
この時ばかりは、命よりも車のこと、

すなわち、車に大きな傷を負わせたことと、
帰社後に、その顛末、すなわち一部始終を
オーナー社長に報告して謝罪することの方が…。

そんな私の浅はかな思いとは無関係に、
彼らの中の一人が、私の無事を確認した後、
次のようにおっしゃる。

「車を起こしてやれやっ」。

この一言に共鳴したかのように、
数人の人々が、声を揃えて、
「せぇーのー」という掛け声を。

すると、道路上に横転していた車は、
数回、左右に揺れた後、4本のタイヤが
無事、路面に接地した。

そして、キーを回せば、
横転した車のエンジンは
何事もなかったかのように
軽快に鳴り響く。

お礼もそこそこに、
「気を付けて行きぃやぁ」
という声を背中に受けた私は

発注元企業へと
車を走らせる…。

 この間、数分間の
出来事ではあったが…。

誰一人として、
次のような一言を発する人は居なかった。

「わしは色男やさかい、力が無いでのぉー。
そやさかい、よう力をかさんわい。」

などと、力不足を理由に、
協力を惜しむ人は誰もいなかった。

「蓋だし之れ有らん」。

いや、あるいは停車した車から降りて来て、
事の一部始終を傍観していた人も、
いるにはいたかもしれない。

が、当時、すなわち半世紀前の、
大阪を始めとした関西の人々との
交わりの中で、

私はそのような人々、すなわち傍観者や
非協力的な人々に会った記憶がない。

 では、あなたにお伺いします。

「力不足」を理由に、協力を惜しんだ人が、
あなたの周りには、過去に、何人いました?

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