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2017年1月22日 (日)

「可得而聞也(えてきくべきなり)」解説ページ

1610101 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、「難しいことを言うても、
皆(社員)は、わからんけんのぉー。

その難しいことでも、言わんといけん時にゃあ、
わしは、極力、優しゅう言いよるんやけどのぉ…。

それでも、『社長の話は分からん』ちゅうて、
皆(社員)が言いよるらしいんやけどの、

お前、どう思う?」

と、オーナー社長のTさんが、
私に尋ねる。

で、私は以下のように答える。

「社長のお話は、過去の経験や
体験からのものですから、

私にとってはありがたいもの以外の
何物でもありませんが…。」と。

すると、T社長は、
次のようにおっしゃる!

という話の続きは
後段のお楽しみ。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の一章
(公冶長こうやちょう第五 第13章)を篤とくとご覧あれ~♪

 最初に、訓読(読下し文)を。

子貢しこうわく、
夫子ふうしの文章ぶんしょうは、
て聞くべき也なり
夫子ふうしの性せいと天道てんどうとを言うは、
て聞くべからざる也なり

 次に、現代訳を。

弟子の子貢が言った。
先生(孔子)の文章(威儀・文辞)を、
我々、弟子は聞くことが出来る。
でも、先生(孔子)が性(人間の本性)と、
天道(自然の原理)についてお話されるのを、
我々、弟子は、聞くことが出来ない。

 続いて、吉川博士の解説を。

・はなはだ有名な章である。

ことに孔子の学問は、がんらい即物的で
あり、抽象的でも思弁的でもなかった
と主張する学者たち、

すなわち清朝の学者たちが、
もっともしばしば引く章である。

・子貢がいった。
先生の文章を、
われわれは、聞くことができる。

しかし、人間性と、宇宙の法則についての、
先生の議論は、聞くことができない。

・文章の二字で、子貢が何を
意味したかは、じつはよくわからないが、

具体的な行動としてあらわれた
文化的な意図を、ひろく指すものであり、

いまわれわれがこの二字を使うときの、
狭義の意味、すなわち言語文化という
だけの意味ではなく、

礼、楽、という文化的な行為を、
ひろく二字の中に含むと思われる。

・性すなわち人間性の問題は、
孟子以後の儒学の、
好んで問題とするところである。

しかし、「論語」の中で、
それに関する議論は、

「性は相近く、習いは相遠し」というのが、

下論の陽貨篇第十七に、ただ一つのもの
としてある(詳しくはこちら「性相近也、習相遠也」解説ページ

また天の字は、よりしばしばあらわれるが、

やはり陽貨篇に、「天何をか言うや、
しかも四時行われ、百物生ず」という
遠慮深い言及が、

「天道」の性質についての
唯一のものであるように思われる
詳しくはこちら「言不盡意」解説ページ)

 う~ん、
吉川博士は、

「性」とは、「人間性」のことで、
「天道」とは「宇宙の法則」のことだとおっしゃる。

では、『角川新字源』にはどのように?
と検索してみた結果は以下の通り。

・【性】せい [なりたち]会意形声。 心と生まれながらの意と音とを示す生セイ/シャウとから成り、人に生まれながら備わっている心の意を表わす。

・【天道】てんどう ①天の道。自然の原理。
同義語:天理。②天の運行

 ちなみに、「人間性」という語句を
『広辞苑』にて検索した結果は次の通り。

にんげんせい【人間性】人間としての本性。人間らしさ。

 また、「文章」とは、「言語文化という意味」と、
「礼、楽、という文化的な行為を含む」と
吉川博士はおっしゃる。

では、『角川新字源』にはどのように?

【文章】ぶんしょう ①あや。もよう。かざり。

②礼楽(礼節と音楽)や制度など、国の文化を形成しているもの。
(論・泰伯)「煥乎其有文章

③内にある徳が外にあらわれたもの。
威儀・文辞など。
〔論・公冶長〕「夫子之文章、可得而聞也」

④文字を連ねて一つのまとまった意味を
述べたもの。

 あれっ?
「文章」についての意味(解釈)が、

この辞書(『角川新字源』)と
吉川博士の解説とでは異なる。

ちなみに、「性」とは、
「人間性」=「人間らしさ」であり、

「天道」とは、
「宇宙の法則」=「天の道。自然の原理」にて、
疑いをはさむ余地は塵ほどもないが…。

さ~て、
どっちが正解!?

などと戸惑いながら思案を重ねていれば、
冒頭のT社長は、きっと、次のようにおっしゃる。

「お前、学者になるわけやないんやからな、
そんなこと、どうでも、ええんと違うか?

そんな暇(時間)があるんやったら、
もっと、銭になるようなことや、
会社のことを少しでも考えんかい!」と…。

 さて、冒頭の続き。

「そうよっ。皆が、
『社長は将来のことについての話は、一切せん』。

『社長の口から、中期・長期ビジョンについての話を
我々は聞くことができん』と皆(社員)が言うけどやな、

お前、よぉー考えてみぃー。

この不確かな時代に、
3年、5年先がわかるか、見えるか?

お前、読めるか!?

仮に、中期・長期ビジョンをつくってやで、
3年、5年、10年先になってから、

『あの時、間違うとった。見誤った!』
なんちゅうことを、お前、言えるか?

わしゃあ、そんなことは、よう言わん!

だから、わしゃ、皆(社員)にも
『中期・長期ビジョンをつくれ』
などということは、よう言わん」と。

 これが、周りの人々(経営者)からは、
「Tさんは先見の明がある人」と評されていた

T社長自身の口から、
私が直接お聞きした生の声であったが…。

 いま、ここで、私が考えるには、

T社長は、過去の歴史に徴して、
先を読み、行動をしていた人!?

 そのT社長が、1度だけ、
次のような言葉をもって
見えない先の話、

すなわち、将来の話をされたのを
私はこの耳で、聞いた記憶が…。

それは、バブルがはじけた四半世紀、
すなわち、25年程も昔の話。

「お前、これ(今度)は、従来のような不況、
すなわち、単なる景気の谷やないけんの。

構造不況の問題やから、
回復には長い時間を要するぞぉー」と。

 では、あなたにお伺いします。

いま、あなたが、上司の口から聞きたいのは、
過去の話、それとも将来についての話? 

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