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2017年3月19日 (日)

「信義(しんぎ)」解説ページ

1610107 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、ときは昨年末で、
12月上旬のこと。

同級生のT君から、
以下のような話の電話が。

「S君(同級生)が、
今月中旬に、帰省するんで、
12日頃に、『3人で一杯やろう』と、
言いよるんやけど、(お前の都合は)どうや?」と。

で、私は次のように答える。 

「12日頃なぁー。

実は、今月の中旬には、
1つ予定が入っとるんやっ。

で、それが何日になるんか、
まだ決まってないんよ。

その予定とガッチンコせんかったら、
行ってもいいけど。」

すると、この私の返事に、不信感を抱いたのか、
それとも、「信義に悖もとる奴」と考えたのか?

彼、S君は、腹立たしさ紛れに、
以下のようなことばを。

「そんなあやふやな返事は、
わしは嫌やっ!

参加するのか、せんのか?
はっきりしてくれやっ!」

と、私に決断を迫る。

で、私は答える。

「ほう(そう)か。
じゃあ、不参加!」
と、躊躇なく答えた。

私の答えを聞いたS君は、
「わかった」とだけ言い残して、
電話を切った。

 ところが!

という話は、
後段のお楽しみ。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の一章、
学而がくじ第一 第13章を篤とくとご覧あれ~。

 最初に、訓読(読下し文)を。

有子ゆうしわく、
しん、義に近ちかづけば、
げんむべき也なり
きょう、礼れいに近ちかづけば、
恥辱ちじょくに遠とおざかる也なり
ること、其の親しんを失うしなわざれば、
た宗むねとすべき也なり

次に、現代訳を。

有若ゆうじゃく(孔子の弟子)が言った。
ことばと心とが一致して、正しい行動に結びつけば、
言葉通り履行できる。
慎重な態度・振る舞いは、礼のおきてに近ければ、
はずかしめから遠ざかる。
親しむ場合は、親しむ人を間違わなければ、
大いに尊敬できる。

 続いて、吉川博士の解説を。

・普通には、はじめにあげた和訓のように、
信、約束をたがえぬこと、
それは無条件に道徳でない。

それが、義ただしさに近づいた場合に、
はじめて約束の言葉が、吟味に堪え、
実行に堪える。

また、恭、うやうやしさ、ということは、
無条件に称揚されない。

礼のおきてに接近したうやうやしさである
場合に、はじめて恥辱から遠ざかり得る。

そのように、はじめの部分を、解する。

・しかしまた、別の読み方もできる。

信は義に近し、言復むべければなり。
恭は礼に近し、恥辱に遠ざかれなり。

つまり、信と恭とは、義そのもの
礼そのものではない。

しかしそれらに近いものではある。

何となれば、信であれば、
言葉はたよりになり、

恭であれば、恥辱を受ける危険が
少ないから。とそういう風にも読める。

・最後の句は、因、たよりにすべき
人間をえらぶのに、

当然親近すべき人間を見失わない
ものは、これもまた尊敬すべきである、

ということのようであるが、
具体的に何を意識しているか、
よくわわからぬ。

いんを姻いんの音通と見て、
縁組み先を適当に選択することだ、

という一説も、貴族政治の時代である
六朝りくちょう期にはあった。

 んっ、
吉川博士は、最後の句が、

「具体的に何を意識しているか、
よくわわからぬ」とおっしゃる。

じゃあ、宇野博士はどのように?

と『論語新釈』をみれば、
以下のような[解説]が。

この章は言行げんこう交際こうさいについて、
終わりを考え始めを謹つつしむべきことを
述べたのである。

この章は人の言行交際は
みなこれを始めに謹んでその終わりを
おもんぱかるべきものである。

そうでないと因循姑息いんじゅんこそくの間に
自失じしつして後悔するに至ることを言った
のである。(朱子)

 おっ、
遠慮と近憂!

孔子は
次のように言う。

「先々まで見通して深い考えがなければ、
必ず、近い内に心配事が起こる」。

すなわち、「人、遠き慮り無ければ、
必ず近き憂い有り」(詳しくはこちら 「遠慮」解説ページ )と。

 さて、冒頭の続き。

私の答えに対して、
T君は憤りを隠さず、

「わかった」とだけ言い残して、
電話を切った。

そのT君が、
再び、電話をかけて来た。

「日程が14日に決まったけど、
お前の都合は、どうや(参加するか、否か)?」と。

で、私は答える。

「この間、お前が、『わかった』と言うたんで、
わしはもう、別の用事を入れてしもうたけど…。

ほやから(だから)、出席できん。」と、
多少、けんもほろろ気味に…。

 
 この一連の経緯・やり取りを
いま、ここで考えれば、

T君のプライオリティ、
すなわち優先順位は、

「同級生が一番!」

つまり、何を差し置いても、
同級生との付き合いが、

一番優先される!

と、彼、T君は固く信じて
疑わなかった。

そしてそれは、「私(筆者)も同じ!」
と彼、T君は信じて、疑いをはさまなかった?

で、彼は、私に翻意させよう
気づきを与えようとして
何度も電話をかけてきた?

でも、私は先約を優先した。

それが私の信義、すなわち、

「いったん約束した事は、
時間がたって環境が変わっても、
その通りに実行すること。」(【新明解国語辞典】より)
であったから。

 が、かつて、
私たち同級生一同は、

「同級生ファースト!」

を、共に誓い合っていた仲、
間柄だったのかも知れない。

しかし、この時、私の頭の中には
そんな記憶は皆無であった。

 で、因果応報。

この私の態度、答えが
めぐり巡って吾身に!

というお話は、
次週のお楽しみ。

 では、あなたにお伺いします。

あなたが、「信義」を貫き通しているのは、
誰のどんな教えがあったからなのでしょうか?

  <<<   「信義」解説ぺーじ 附録   >>>

 吉川博士は、この一章の「語釈」について
以下のような言葉を当てておられる。

・信=約束をたがえぬこと
・義=ただしさ
・因=たよりにする
・亦=当然
・宗=尊敬

 次に、『論語新釈』(講談社学術文庫)を見れば、
以下のような[語釈]が。

○信しん=約束
○義=道理にかなったこと。
○復む=践み行うこと。
○恥辱ちじょく=傲慢な奴だとか、卑屈な奴だ
         とかいわれてはじをかくこと。
○因る=一時身を依せること。
○宗そう=尊ぶこと。

 では、『角川新字源』ではどのように?
と検索してみた結果は以下の通り。

・【信】[なりたち]会意。人と言(ことば)と
から成り、人のことばと心とが一致する、
「まこと」の意を表わす。

ちなみに、同書にて「まこと」の
「同訓意義」を見れば、以下のような記載が。

【信】しん 人のことばと行為が
くいちがわないこと。
ことばにうそいつわりがないこと。
〔論・学而〕「与朋友交而不信乎」

・【信義】しんぎ うそを言わず正しいことを
行うこと。

・【恥辱】ちじょく はじ。はずかしめ。不名誉。

・【因】イン よる よる(たよる。したしむ。したがう。もとづく。うけつぐ。つらなる。くっつく)。

・【亦】エキ。ヤク ③おおいに。やはり。なんと。文首・文中に用いる助字。

・【宗】シュウ。ソウ ⑥たっとぶ。むねとする。
「天下宗周」

 蛇足ついでに、「宗周」を同書(『角川新字源』)にて
検索した結果は、以下の通り。

【宗周】そうしゅう ①周代の国都。
天下のあおぎとうとぶところの意。
②周の国。

 私はこれらの結果を踏まえて、
本文のような現代訳(逐語訳・意訳?)を
記したのであるが…。

遠慮、すなわち遠き慮りが
足りなかったかも!?

否、知識と労力や費やす時間が
足りなかっただけの話なのかも…(反省)。

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