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2017年7月30日 (日)

「人而無信(ひとにしてしんなくば)…」解説ページ

Dsc01886 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、つい、先日のこと。
友人のAさんが、私に、次のように。

「彼女が、『25日は女子会があるので、
23日にしてください』と、言いよるんで、
23日に変更したんよ」と。

で、私は以下のように答える。

「うん。
今朝、メールを見たんやけどなぁ…。

22日は、わし、『ふれあい』に
エントリーしとるんよっ。

で、頭を転がしよるんやけどなぁ…。」

すると、Aさんは、私の苦悩も何のその、
事も無げに、次のようなことを。

「ええやない。
2日続けて行ったら。」

で、私は答える。

「いやよっ。

年に4,5回行くか、行かんかの
ホームコースへ、月に3回も行くんは!

それに2日間も続けて行くというのはなぁー。
抵抗があるし、弱ったなぁ。どうしょう…。」

と、私が思案をしていれば、
突然、Aさんが次のように。

「彼女は100を切ったんやとっ!

わしらよりも、彼女の方が先に、
目標を達成してしもうたんやと。」

で、私は答える。

「そう。
よかったやない!
どこで?」

この私の問いに対して、
Aさんは次のように。

「知らん。
どこか知らんけど
100は切ったんやと」

で、私は以下のように。

「そう。
どこで100を切ったか
Aさんは聞かんかったん。

そうよな。

彼女は熱心なし、
回数行くけん、

その内、100は切るやろう!
と、ワシは考えとったんやけどなぁー。

彼女は23日もまた、
100を切るやろうな。」

と予測して、答えはしたものの、
私には22日の件の方が気懸かり。

 で、どうなった!?

それに、ここまでは、「信」のシの字も出てこんけど、
この枕と、タイトルの語句とは、どう繋がるんや!?

という疑問や質問の件くだりは、
後段のお楽しみ。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選4 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の一章、
「為政いせい第二」の第22章を篤とくと、ご覧あれ~。

 最初に、訓読(読下し文)を。

わく、
ひとにして信しんくば、
の可なることを知らざる也なり
大車たいしゃげいなく、
小車しょうしゃげつなくんば、
れ何なにを以ってか之れを行らん哉

次に、現代訳を。

先生(孔子)は次のようにおっしゃいました。
「人間でありながら、信(=真)のない人は
人間として、よいと認めるられるはずがない。
牛車の轅ながえと軛くびきとをつなぐ楔くさびが無く、
馬車の轅ながえの端の横木を止める楔くさびが無ければ、
どうやってこれらの車を進めることができようか(できるはずがない)!」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

信、すなわちその言語が信頼できる、
ということは、人間の人格を成立させる
基本である。

人間でありながら信がなく、
言語が信頼できないという人間は、

其可也(そのかなることをしらざるなり)、

人間としての可能性を見出すことが
できない。

人格の基本である信がないのだから、
いかに才能があっても、
その人格はくずれ去らざるを得ない。

比喩でいおう、
大車たいしゃすなわち牛の車に、輗くびき

すなわち車の柄の先にあって牛の首を
おさえる木、それがないとすれば、

また小車しょうしゃすなわち四頭立ての馬車
に、軏げつ、これは馬車のくびき、

それがないとすれば、牛車も馬車も、
どうして進めるか。

信がない人間の生活も、進行し得ない。

 んんっ?
「輗げい」も「軏げつ」も、
どちらも「くびき」?

では、『角川新字源』にはどのように?
と検索してみた結果は次の通り。

・【輗】ゲイ 形声。音符兒ジ→ゲイ
つなぐ意→繋ケイ

①ながえの端。大きな車のながえとくびきとをつなぐくさび。〔論・為政〕「大車無輗」

②ながえの端の横木。くびき。

・【軏】ゲツ/ゴツ 形声。音符兀ゴツ
くさびの意→楔セツ)よこがみ。

小車のながえの端の横木を止めるくさび。
大車では輗げいといい、小車では軏という。

 う~ん、
この検索結果から見る限りにおいては、

「輗げい」も「軏げつ」も、
「くびき」ではなくて、
「楔くさび」のようであるが…。

だとすれば、あくまでも個人的な解釈ではあるが、
以下のようになる。

この「楔くさび」が無くては、
小車も大車も動かすことが出来ない。

人間も同様に、「信」が無ければ
どうにもこうにもならない。

行き場所も、住む所も、働く所もなくなり、
生活の基盤が成り立たたなくなる。

すなわち、「信」がなければ、
人間として存立しなくなる。

 かように、重要な「信」とは?

と、『角川新字源』にて検索した結果は
以下の通り。

・【信】シン 会意。
人と、言(ことば)とから成り、

人のことばと心とが一致する、
「まこと」の意を表わす。

意味一.まこと。真実。誠実。
〔論・学而〕「与朋友交而不信乎」→付・同訓異義。

参考までに、付録の「同訓意義」を見れば、
8項目もの「まこと」が。

その8項目もの「まこと」の中から、
「信」の意味のみを、以下に転載することに。

・【信】しん 人のことばと行為が
くいちがわないこと。

ことばにうそいつわりがないこと。
〔論・学而〕「与朋友交而不信乎」

 また、「くびき」と「ながえ」を

手元の『新明解国語辞典』にて
検索した結果は以下の通り。

くびき【軛】〔「頸木クビキ」の意〕
車の轅(ナガエ)の先に取り付ける横木。

牛馬の頸にあてて車を引かせる。

(広義では、自由な思考・行動を束縛するものの意にも用いられる。例「圧政のくびき」

ながえ【轅】馬車・牛車(ギッシャ)の前方に
平行に長くつき出た二本の棒。

その先に「軛クビキ」を渡し、
馬・牛に車を引かせる。

 これらのツール(道具。軛&轅)を
図示すれば、一目瞭然!

簡単に理解し易いものを、
私にはその技量も才能も、また時間もなく…、

などという言い訳はさておき。

 牛や馬と、車とを繋ぐツールが無ければ、
車を目的地まで進めることができない。

一方、人間も、人間らしく生きようと思えば、
「信」は欠かすことの出来ない重要なものであるが、

あちら立てれば、こちら立たず!
は、世の常、人の常。

などという余計な一言はさておき、

 冒頭の続きを。

22日と23日の両日に、
私がホームコースへ行けば、

両立、すなわち、あちらも、こちも立ち、
ノー・プロブレム。

何の心配も、問題もない。

で、私は已む無く、
その両立の腹積もりをしたものの、

以下のような思い・考え・記憶が、
私の頭の片隅を過った。

「んっ、
22日は、Sさん(最近、急接近した
お隣地区の年長者の方)も、

確か、都合で、『不参加』だと
おっしゃっておられたけど…。

じゃあ、Sさんがもし、幹事のOさんに、
22日は私(筆者)も『行く(エントリーする)』と、
言って(連絡して)おられなければ…。

その可能性に賭けよう!」

と思っていた翌日、とある場所にて
Sさんとお会いする機会に恵まれた。

私の顔を見た(存在を認知した)Sさんは
自ら、私の方に近寄り、次のような問いを。

「来月の『ふれあい』はどうする?」

で、私が冒頭のような事情をお話ししたところ、
Sさんは快く、次のように。

「そう。
わかった。

無理せんでもええんよ。

行けるとき(都合がいいとき)に
参加してくれたら、それでええんよ。」

と優しく、微笑みながら、
言ってくださったものの…。

私の人格、
それも、人として欠かすことのできない「信」、

すなわち「まこと」が、Sさんの心の中では
少し、崩れた・揺らいだかも…?

 では、あなたにお伺いします。

あなたは、「信」、すなわち「まこと」について、
どのように考え、位置づけていらっしゃいますか?

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