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2018年1月14日 (日)

「嗚呼(ああ)」解説ページ

Dsc02034 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、40年程も昔の話。

上司のTさんが、
私に次のようなことを。

「お前、学者になる訳や無いんやから、
何もそこまでせんてもええんと違うか?
大概にしとけや。」と優しく諭す。

これは言葉を換えれば、以下のような類の
叱正(忠告?)になる。 

「よぉー、考えてみいや。

お前はもう、スペシャリストではないんぞ。
管理者なんやからな。

管理者としての仕事を
優先してやらんかい。

いつまで経っても、1つのことに
こだわっとる(夢中になっとる)ようじゃ、
その内、鼎かなえの軽重を問われることになるぞっ!」

つまり、「いつも、虫の目でばかり見ていると、
その内、足元をすくわれることになるぞ。

もっと、広く浅く、鳥の目で、全体を見渡すよう
心掛けんかい!」という教えになるが…。

 それ以来(その後)、40年を経た
今、ここの私は!

という話は、後段のお楽しみ。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の一章、
八佾はちいつ第三 第6章を篤とくと、ご覧あれ~。

 最初に、訓読(読下し文)を。

季氏きし、泰山たいざんに旅りょす。
、冉有ぜんゆうに謂いて曰わく、
なんじすくうこと能あたわざるか。
こたえて曰わく、能あたわず。
わく、
嗚呼ああ、曾すなわち泰山たいざんを林放りんぽうに如かずと
おもえる乎

 次に、現代訳を。

魯の大夫(家老)である季氏が、泰山の神を祭った。
孔子は弟子の冉有ぜんゆうを非難して言った。
「おまえは主人の非礼を救うことが出来ないのか?」
弟子の冉有ぜんゆうが答えた。「できません」と。
孔子が言った(先生がおっしゃいました)。
「ああ、お前は泰山の神が林放に及ばないと
いうのか!?」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

・季氏、れいの専横な家老の貴族である。

・泰山たいざんは山東さんとう省の名山であり、

また中国全体を通じても四岳ないしは
五額の一つである名山であるが、

当時は魯のくにの領内にあった。

・旅りょとは山をまつる祭りの名である。

・礼のおきてによれば、諸侯はそれぞれの
領内にある山川をまつることができるが、
家老はそれができない。

にもかかわらず、季氏は泰山を祭った。
れいの僣上沙汰である。

・子、冉有ぜんゆうに謂いて曰く、
汝救うこと能わざる与

冉有とは、孔子より二十九若い弟子
であり、そのころ季氏の執事であった。

おまえは主人に忠告して、主人を
非礼から救済しうる地位にあるのに、
おまえにはそれができないのか。

・弗ふつは不とおなじく否定の助字だが、
不より強い。

・冉有はこたえた。私はできません。

・それに対する孔子のさらなる言葉は、
嗚呼ああ、重い嘆息の言葉であり、
「論語」ではここだけに見える。

・林放とは、すなわち前の条詳しくはこちら 
「禮之本」解説ページ)で礼を問うた男である。

あの林放でさえも、礼の根本は何であるか
を考えあぐねて、私に質問した。

・泰山の神といえば、尊い存在であり、
礼の精神を心得ていられるにちがいない。

それに対してこの非礼を行わせながら、
おまえはだまっておれるのか。

泰山の神の方を林放よりも軽く評価して
いるのか。

・普通の発想ならば、曽すなわち季氏を
林放に如かずと謂おもえる乎

とでもいう風に、祭る主体の方を
比較の対象にもち出すであろうが、

祭られる客体である泰山をまっ正面から
ぶっつけたところが、この対話の強さで
ある。

<後略>

 う~ん、
「嗚呼ああ」とは、

「重い嘆息の言葉である」と
吉川博士はおっしゃるが…。

じゃあ、「嗚呼ああ」は、
「噫詳しくはこちら「天喪予」解説ページ)よりも、
重いのか?

吉川博士がおっしゃる
「重い嘆き」と「深刻な嘆き」の違いは、

「重大」と「致命的」なというほどの違いと
解釈して良いのであろうか…?

また、堯曰ぎょうえつ第二十に見える
「咨ああなんじしゅん」の

「咨(シ。ああ)」は、
どの程度の嘆きなのか?

と思い、『角川新字源』にて、
この3つの嘆息の意味を
検索してみた結果は以下の通り。

・【鳴】メイ なりたち]会意。鳥と口から成り、おんどりがときをつげてなく。ひいて「なく」意を表わす。

・【嗚呼・鳴乎・烏虖・於虖・烏乎・於乎】おこ ああ

・【噫】イ 意味](形声。音符意) ああ
あ。嘆息の声。驚嘆の声。

・【噫乎】【噫嘻】ああ 感嘆したり、嘆息したりする声。

・【咨】シ 意味](形声。音符次、とる意→資) ③ああ。感嘆の声。

 あれっ?
この辞書(『角川新字源』)によれば、

「嗚呼おこ ああ」も「噫」も「咨」も、
同じ「ああ」という嘆きの声であるようにしか、
私には思えないが…。

ちなみに、この辞書(『角川新字源』)の「助字解説」には
【烏】にも【於】にも、また【于】にも【嘻】にも、

ああ」という嘆息の意味が、
記されている。

 次に、「旅りょとは山をまつる祭りの名である。」
とおっしゃるので、同書(『角川新字源』)を見れば…。

【旅】リョ/たび 意味⑥まつり(祭)。
まつりを行なう。山神または上帝を、火をたいてまつる。

 また、「弗ふつは不とおなじく否定の助字だが、
不より強い。」とも吉川博士がおっしゃるので…。

【弗】ふつ ず。不とほぼ同じ。〔論・八佾〕
「女弗与、対曰、不能」

 う~ん、
「旅」についてはこの論語の一章は記されていないが、
意味は、吉川博士の解釈とほぼ同じである。

が、「弗」については、吉川博士の解説と、
この辞書とでは、解釈に多少の相違が。

 さらに、「冉有とは、孔子より二十九若い弟子であり、
そのころ季氏の執事であった。」ともおっしゃるので…。

【冉有】ぜんゆう →冉求。

【冉求】ぜんきゅう 春秋時代の魯ろの人。
字あざなは子有。孔門十哲のひとり。
季氏の宰(家老職)となる。

 あれっ、?
執事と家老職とでは、その意味が異なるように、
私には思えるが…。

じゃあ、冉有ぜんゆうは、
の家老職である季氏の家老職?

と混乱したところで、以下のような解釈を
自らに下して、一件落着。

・季氏(季孫子)は魯の大夫(家老)として
権力をふるった人物。

・冉有はその季氏の宰、すなわち官吏の長(家老職)と
なった人で、孔門十哲の中の一人。

 最後に、同じ「いう」であっても
「謂」は、「批評・非難の言葉である」と

吉川博士がおっしゃる言葉を
私は今まで信じて疑わなかったが…。

その吉川博士が、「謂おもえる」という
ルビを付しておられるので、

角川新字源』にてその意味を見てみた
結果は次の通り。

【謂】イ 意味③おもう。考える。
④おもえらく。考えるところでは。

 なるほど!
思い、考え無しでは、言う(発言する)ことも、
また、評価することなどもできるはずがない。

 やれやれ、
私は徒に、紙幅を汚して、
少しは賢くなったものの…。

「労多くして功無し」!

と徒労感のみを抱いていれば、
以下のような天の声が。

 「嗚呼ああ、おまえはホントに
『論語読みの論語知らず』やなぁ。

それに、あれほど言うてやっとるのに
未だにコレクター(収集)癖が直らんのかい!

情けない奴っちゃのぉー。

そんな小難しいことをしつこう言うてもやな、
誰も見やぁせんし、興味も示さんわいや。

そんなに重箱の隅ばかりつついて、
何の得になる?

そんなしょうもない事にこだわっとらんと、
この一章の要点を簡略に言わんかい。

例えばやな、

・組織おいては、『僭上沙汰はいかん!

それ(僭上沙汰)は、秩序の乱れを意味するし、
秩序の乱れは、組織の崩壊の始まりや』とな。

・それとやな、『仁に当たりては師にも譲らず』と
孔子が言うとるやないか。

礼も同じよ。

礼に外れた行為を戒めるのが、
忠臣の役目よの。

もっとも、お前も冉有ぜんゆうと同じで、
見て見ぬ振りをしとったし、
知っとても、知らん振りをしとったけどやな。

・それにしても、
『季氏きしを林放りんぽうに如かずと謂おもえる乎
と言わずにやな、

『泰山たいざんを林放りんぽうに如かずと謂おもえる乎
という孔子の言い方は、面白いのぉー。

おまえも少しは見習うたらどうや?

・また、この一条には、『主語が抜けとる。』
と、わしも思うし、お前が言うように

『女・汝・爾(なんじ)』を入れて
読んだ方がええかも知れんの。」

という天の声ならぬ、
かつての上司であったTさんの声が

黄泉の国から聞こえてきたようで…。

 では、あなたにお伺いします。

あなたは、いつ、どんな時に、
「嗚呼ああ」という嘆きの声を発するのでしょう?

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