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2018年2月 4日 (日)

「祭如在(まつることいますがごとくす)」解説ページ

Dsc02419 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、先週の夕刻のこと。

私は仏飯とお茶湯を仏壇に供え、
蝋燭を灯して、線香に火をつけた。

そして、仏壇の前に正座して、
目線を上げ、ご先祖様に向かって、
心の中で次のように告げた。

「〇〇(私、筆者の名前)です。

お陰様で、今日、無事に帰ってきました。
ありがとうございました」と。

 すると、愚妻が!

という話は、
後段のお楽しみ。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の一章、
八佾はちいつ第三の第12章を篤とくと、ご覧あれ~。

 最初に、訓読(読下し文)を。

まつること在ますが如ごとくす。
かみを祭まつること、神かみますが如ごとくす。
わく、
れ祭まつりに与あずからざれば、
まつらざるが如ごとし。

 次に、現代訳を。

先祖のお祭りには先祖がそこに居られるようにし、
神々のお祭りには、神々がそこに居られるようにする。
先生(孔子)はおっしゃいました。
「私はお祭りに参加できなかったとき、
お祭りが無かったような気がする」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

はじめの二句は、子曰よりも前にあるから、
とにかく孔子の言葉ではないに
ちがいない。

それは孔子の行動を、
述べたものであって、

祭ること在いますが如くす、とは
先祖の法事をする場合には、
先祖がそこにいる如く敬虔に行い、

神を祭ること、神在ますが如くす、とは、
先祖の神霊以外の神を祭る場合にも、

神がそこに在ますが如くであるのが、
孔子の行動であり、

そうした態度をあらわす言葉として、

吾れ祭りに与あずからざれば、
祭らざるが如し、

なんか事故があって、法事なり
お祭りなりに参加できなかったときは、
法事やお祭りがすまなかったような
気がする、

といったとするのが、宋儒の説である。

うち、祭るとは先祖を祭るなり、
神を祭るとは外神を祭るなり、
というのは、何晏の古注にもとづいている。

<以下、割愛>

 んっ、
「祭る」とは、
「先祖の法事をする」こと?

と、思い(訝いぶかり)、『角川新字源』にて、
タイトルの語句を始め、
この一章に関する熟語を検索してみたものの、

その結果は、徒労に帰するのみで、
得たものといえば、疲労感のみ。

そこで、視点を変えて
「まつる」の同訓意義と

「与」の意味を検索した
結果は以下の通り。

まつる

 ‐【祭】さい 元来、人と神とがまじわり
 接する意。
 いけにえを供え、儀式としてするまつり。
 
 〔論・郷党〕「祭於公宿
 祭肉不三日

 
 ‐【祀】し 定まったまつり。五祀。七祀。

 ‐【祠】し 願いのかなった礼としてまつる。
 また、春のまつり。建物もいう。
 〔漢・武帝・秋風辞序〕「上行幸河東
 祠后土

・【ヨ/あたえる 意味二.①あずかる。
参加する。関係する。

 あれっ?
この辞書には

「与あずかる」=「参加する」
とは記されているものの、

「祭る」=「先祖の法事をする」こと
とは、記されていない。

また、仮に、「法事」であれば
「祭る」よりも、「祀る」の方が、
正解なのでは…。

だとすれば、日常の「お努め」や
「お給仕」であっても、「祭る」、

否、「祀る」といえる!?

という拡大解釈(手前勝手な論理や解釈)が
通用するのか、否か?

と、ググって見たところ、
以下のような記事(詳しくはこちら 外部のサイト「先祖を祀る」)が。

お仏壇は“わが生命(いのち)の
故郷(ふるさと)”である仏さま(ご本尊)を
おまつりするとともに、

現在の自分自身の存在のルーツである
今は亡き人 “ご先祖さま”に出会い
対話する場所でもあります。

ご本尊やご先祖(仏祖(ぶっそ)という)への
お給仕はお供養する人の敬虔な気持ちの
あらわれです。

夕方には、ロウソクとお線香をともし、
おリン(錀)を鳴らして合掌し、
一日の報告や無事の感謝を捧げます。

 あれっ?
この記事によれば、

仏壇は「ご本尊をおまつりする」所であり、
「ご先祖さまに出会い対話する場所」だと。

ならば、夕刻に、炊き立てのご飯を供え、
「ロウソクとお線香を灯して、お鈴(リン。錀)を鳴らし、

合掌して、感謝の心を伝え、一日の報告をする。」
という私の行為は、次のようになる。

「ご本尊をおまつり」した仏壇に
お給仕をして、対話をした」のみであり、
当該行為だけでは、お祭りとは言えない!

 ならば、
次のような事例は。

過ぎし日に、長兄から
以下のような電話が。

「次の日曜日に
おふくろの33回忌をするからな、
これが最後やから、お前も帰って来い!」と。

あのお祭(祀?)り、すなわち法事の時に、
私はおふくろと一体、どんな対話を
したのであろうか。

「〇〇(私、筆者の名前)です。
お陰様で、家族4人、
無事に暮らしています。
ありがとうございました。」

と、心の中でお礼を言ったのみで、

「わがまま放題の親父とは、
あの世でも口喧嘩をしながら、
楽しくお暮らしでしょうか?」

などいう対話を重ねた記憶は
私の頭の片隅にも無いが…。

あの時も、私は日常の
「お務め」の如く、

一方通行であったような
気がしてならない…。

 おぉー、
「お務め」といえば、
冒頭の続き。

私が打ち鳴らすお鈴(リン。錀)の音を
聞きつけた愚妻は、仏間に飛んで来た後、

正座をして、神妙な顔つきをし、
頭を垂れて合掌する。

 この愚妻の「お務め」の時間が
毎度、私よりも長い!

ということは、彼女は
私のご先祖様と対話を重ねている?

あるいは、彼女はご本尊様に向かって、
長々と願い事やら感謝の気持ち(真心)を
伝えているのであろうか…。

それとも、私に対する愚痴やら
不満の数々を告げて、

私が心を入れ替えるよう
祈って(お願いをして)いるのであろうか?

否、彼女に限って!

愚妻も私と同じように、
家内安全を祈っているに
違いない!!

 では、あなたにお伺いします。

あなたは毎日、、ご先祖様に向かって、
どんな対話を交わしていらっしゃるのでしょう。

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