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2018年5月 6日 (日)

「斯人也而有斯疾也(このひとにしてしかもこのやまいあるや)」解説ページ

Dsc02716 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、かれこれ
30年程も昔の話。

当時、私が勤めていた企業に、
高校時代の同級生が訪ねて来た。

その彼の名を、仮に、S君とすれば、
彼、S君は所用で、私の勤め先を訪れ、
その足で、私のもとに。

ちなみにS君は、某大手企業に勤めており、
その当時は、営業所長という肩書であったが、
周りの人々からは、好まれていなかった。

 その彼、S君が私を訪ねて来て、
次のようなことを。

「T(親友の同級生名)が危ないんよ。
ガンで、もう長ごうないらしい。」

とS君は言い、次のように続ける。

「〇〇病院に入院しとるんやけど、
あんた、見舞いに行ちゃってくれや?」

と、私に懇願する様な
物言いを。

 そのS君とT君とは、
同郷の仲であったことや、

それに、後から知ったこと
ではあったが、

病の床についていたT君は、
某企業の所長、というか、子会社の社長で、
S君とは仕事上の繋がりがあった。

で、S君の話によれば、
「T君はS君の所に足繁く通っていた。」
というのであるが…。

異なる見方をすれば(下衆の勘繰りによれば?)、
それをいいことに、人の良いT君は
S君にたかられていた。

すなわち、T君は
S君に奢らされていた?

それとも、二人は持ちつ持たれつの仲で、
お互い、夜の街を楽しんでいた?

そのツケが、S君の身には及ばず、
人の良いT君の身体にのみ!?

「人生は不条理だ」と、
下世話にいうが…、

という話の続きは、
後段に。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の一章、
雍也ようや第六 第10章を篤とくと、ご覧あれ~。

 最初に、訓読(読下し文)を。

伯牛はくぎゅうまい有り。
れを問う。
まどより其の手を執りて、
わく、
れを亡ほろぼせせり。
めいなるかな。
の人ひとにして而しかも斯の疾まい
るや。
の人ひとにして而しかも斯の疾まい
るや。

 次に、現代訳を。

弟子の伯牛が重い病を患っていた。
先生(孔子)は伯牛を見舞われました。
そして先生は、窓から伯牛の手をとって、
次のように嘆息なさいました。
「天は、今、まさに、伯牛を召そうとしている。
これは、天命なのであろうか。
この仁徳者に、この疾あるとは。
この仁徳者に、この疾あるとは…。」

 続いて、吉川博士の解説を。

・伯牛とは、弟子の、姓は冉ぜん
名は耕こう、の字あざなである。

先進篇第十一で、徳行にすぐれた弟子
四人をかぞえるうちの、やはり一人である
が、「論語」に見えるのは、そことここだけ
である。

・「疾まい有り」、古注の包咸の説に、
「悪疾有りしなり」。

そうして「悪疾」とは、癩病であったと、
さらに解説されている。

・「子之れを問う」、
孔子が、かれの病を見舞ったのである。

・「牖まどより其の手を執る」、
包咸の説に、「牛、悪疾有るゆえに、
人に見うを欲せず、故に孔子は
牖より其の手を執りしなり」。

<中略>

・伯牛は、先生が見舞いに来たというので、
ベッドを、寝室の南がわに窓よりに移した
のであり、

孔子は伯牛の病気が病気であるので、
へやに入ることを遠慮し、

堂にとどまったまま、壁の南がわから、
まどごしに、その手だけを執にぎったと
いうのである。

・そうして孔子はいった、
「亡之」、この二字は、難解である。

新注にもとづく後藤点によれば、
「之れを亡ほろぼせり」、

古注にもとづく清原家の点によれば、
「亡なん」、

どちらも、「もうだめだ」と、
いったことになる。

<中略>

・「命なるかな」、命の字は、ここでは
あきらかに運命の不可解さを意味する。

また「矣」も「夫」も、「かな」であって、
深い感動の際にいい足される助字である。

・「斯の人にして而しかも斯の疾まい有るや」、人間に与えられた天分、才能、

またそれにもとづく希望と環境との、
食い違いを示すのが、而の字である。

そうして、この言葉が二度繰り返されて、
終っている。

<後略>

 んっ、
吉川博士は、「矣」と「夫」と、「而」という
助字の意味について、以下のような解説を。

・「矣」も「夫」も、「かな」であって、
深い感動の際にいい足される
助字である。

・「斯の人にして而しかも斯の疾まい有るや」、人間に与えられた天分、才能、

またそれにもとづく希望と環境との、
食い違いを示すのが、而の字である。

 じゃあ、『角川新字源』にはどのように?
と、検索してみた結果は以下の通り。

【矣】イ 意味②句の中間に置いたり、
他の助字と連用して、詠嘆の意を
表わす。→付・助字解説。

【夫】フ フウ/おっと 意味③句末の助字。
 ア. かな。感嘆の意を表わす。
 イ. 。疑問の意を表わす。→付・助字
   解説。

 おっ、
論語には、「命矣夫めいなるかな」、
すなわち「矣」と「夫」を連用して、
詠嘆の意を表わしている。

なるほど、納得!

それでも、同書(『角川新字源』)付録の
「助字解説」を見よ、というので…。

【矣】い 訓読では読まない。
完了・既定の句末詞。
断定をも表わす。〔史・項羽記〕「此迫レリ矣」

【夫】ふ かな。 詠嘆。〔論・子罕〕「逝者
斯夫かな。不昼夜

 う~ん、
この辞書(『角川新字源』)によれば、
「矣」には、「かな」という意味が見当たらない。

また、「夫」には、「かな」の意味はあるが、
付録の「助字解説」には、

」の意味についての記述がなく
かな」他、5つの意味が記されているが…。

誤植、それとも吉川博士の勇み足?

などと、疑問や疑念は残るものの、
委細構わず、「而」の字を見てみれば…。

【而】じ しかうしてしかもしかるにしか
るを
などと読み、また、而の前の語に、
テ・ドモなどの送りがなをつけて読むこともある。

 おぉ~、
納得。

「而の前の語に」は、
「斯の人にして」とあり、
「テ」をつけて、読まれている。

でも、私には「而」の前の
「也」が気にかかる。

で、「也」の「助字解説」を見てみれば、
なり。②。③

という意味やその用例が記載されている。
でも、この一章についての記述はない。

が、「而」の丁度右側には、
「斯」の字があり、次のような意味が。

【斯】し これこここの。此と同じ。
ここにすなわちとも読む。
則・乃だいと同義。
〔論・述而〕「我欲仁、斯仁至矣」
如斯かくのごとし

 う~ん、
ここにも、この一章についての
記載や記述は見当たらない。

 では、では、と「斯」の意味を
同書(『角川新字源』)にて検索してみれば
次のような記載が。

【斯】シ 意味②この
〔論・雍也〕「斯人而有斯疾也」

 おぉ~、
あった!!

と、喜んだのも束の間。
次のような疑問が。

あれっ?
この辞書には、
「斯人也」の「也」が無い。

そこで、他の参考書にはどのように?
と以下の3冊を見てみれば、すべて(三冊とも)
「斯人也而有斯疾也」」となっているが…、誤植?

・『論語』 金谷 治訳注 岩波文庫
・『論語新釈』 宇野哲人 講談社学術文庫
・『論語現代に生きる中国の知恵』 貝塚茂樹 講談社現代新書

などと、細々した小難しい話を
長々と綴ってきたものの…。

これらのことは一切忘れて、
忘れることのできない
冒頭の続きを。

 さて、その日の夕方、
私は仕事を早く切り上げ、
T君を見舞いに行けば、

彼、T君は、ベッドに臥せったまま
次のような言葉を。

「おー、
N(私。筆者の姓)か。

しんどい。
もう、いかんぞ。
なんとかしてくれや。」

と、哀願するように言う。

この声を聞き、T君の顔を見た私は、
次のように返すのが、精一杯。

「大丈夫よっ!
おまえは、何んも悪いことを
しとらんのやから。」

と、私は咄嗟に、
一般的な慰めの言葉を発したのであるが…。

この言葉の裏には、
次のような意味を込めた(つもり)。

「あの嫌われ者のSは元気で、
お人好しのおまえが、
不治の病に罹るとはなぁ…。

俗に、「憎まれっ子世に憚る。」とか、
「いい人ほど早死にする。」
というけどやな、

人の世はあまりにも不条理やないか。
何とかならんのか!?」

という嘆息、否、願望と憤り、
そして怨み、哀れみを…。

それから、1か月も経たぬ間に、
私は、彼、T君の訃報を聞くことに…。

 では、あなたにお伺いします。

余命幾ばくも無い友人を見舞ったとき、
あなたは、友に、どんな言葉を掛けます?

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