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2018年6月 3日 (日)

「難乎免於今之世矣(かたいかな、いまのよにまぬがるること)」解説ページ

Dsc02907 画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、とある日、
娘が、私に言う。

「(私が)小さい頃、
お父さんは怖い人やった」と。

ということは、今は優しい人、
すなわち、私は好々爺になった?

否、娘は、私に対して、

自由にモノが言えるようになった。

すなわち、自由に、
自己主張ができる。

つまり、娘からみれば、私は
「言いたい時に、言いたいことが、
言える存在になった。」

ということであり、娘の成長に比例して、
私も成長した?

否、私が衰えたということ!?

そういえば、どこかの誰かが
次のようなことを。

「父の収入を上回った時、
私は『勝った』と思った。」

と、記している本を
私は見た記憶が…。

だとすれば!

という話の続きは、
後段のお楽しみ。

 先ずは、『論語』 吉川幸次郎(著) 中国古典選3 
朝日文庫からの引用を主に始まる、以下の一章、
雍也ようや第六 第16章を篤とくと、ご覧あれ~。

 最初に、訓読(読下し文)を。

わく、
祝鮀しゅくだの佞ねいりて、
しかも宋朝そうちょうの美らずば、
かたいかな、今いまの世に免まぬがるること。

次に、現代訳を。

先生(孔子)はおっしゃいました。
「祝鮀しゅくだのように弁舌がたち、
宋朝そうちょうのような美貌が無ければ、
今の世に生きのびるのは困難なことだ」と。

 続いて、吉川博士の解説の中から
その一部を要約し、割愛したものを
以下に転載。

・祝鮀しゅくだ、宋朝そうちょう
いずれも孔子の同時代人である。

・まず、祝鮀は、衛の霊公に仕えた人物で
あって、祝とは、祭祀の官を意味する。

その人物の「佞」とは、佞邪、おもねる、
という意味ではなく、古注に「口才也」
というように、雄弁の意味である。

・次に宋朝とは、宋の公子朝であって、
これは大変ないろおとこであった。

祝鮀の仕えた衛の霊公の夫人で、
南子なんしが、衛に嫁入るまえ、
まだ宋の姫君であったころ、

最初の恋人として愛したのが、
じつにこの宋朝であった。

・さて、この条全体の意味は、
なんともむつかしい世の中である。

祝鮀ほどの弁舌があり、その上に
宋朝ほどの美貌をもつのでない限り、

いまの世の中のおそろしさを免れ、
くぐりぬけて生きてゆくことはむつかしい。

・もっとも以上は、朱子の新注の読み方で
あり、古注では、「祝鮀の佞有らずして
宋朝の美有るは、今の世に免れ難し」、

つまり弁舌はなくて、美貌だけもっている
ものは、あぶない。

美貌の上に弁舌をかねそなえるもの
にして、はじめてやってゆける、とする。

<中略>

・「難い乎かな今の世に免るること」の免は、
古注に「今の世の害より免る」と説くように、

殺戮をも含めた迫害圧迫をいうのであろう
から、これまた大変きつい言葉であるが、

難乎免於今之世矣という原文は、

難、免、今、世、と実字、
すなわち意味の頂点をなす字と、

乎、於、之、矣、と助字、
すなわちリズムのためのそえ言葉とが、
たがいちがいになっている。

<後略>

 んっ、
吉川博士は、以下のようにおっしゃる。

・「佞とは、雄弁の意味である」。

・「難乎免於今之世矣かたいかな、いまのよにまぬがるること」とは、
「いまの世の中のおそろしさを免れ、
生きてゆくことはむつかしい」と。

じゃあ、『角川新字源』にはどのように?
と、検索してみたものの…。

・【佞】ネイ 意味①弁舌がたつ。口がうまい。
 〔論・公冶長〕「雍也仁而不佞」

・【難】なん 「易」の対。しにくい。

・【免】メン 意味②まぬかれる(まぬかる)
      ア.ぬけでる。にげる。のがれる。

それぞれの語句の意味は記載されているものの、
この一章についての記述には遭遇できず。
残念!

 また、同書(『角川新字源』)には

【祝佗】しゅくだ 人名。春秋時代、衛の人。
あざなは子魚。弁舌にひいでていた。
祝鮀しゅくだとも書く。

とはあるもの、「宋朝」についての
記載がない。

で、グリコ。
すなわち、お手上げ!!

とは思ったものの、そこはそれ
困った時の神頼みならぬ、
『論語新釈』頼み!

早速、手元の「講談社学術文庫」を開いて見れば、
以下のような[解説]が。

この章は世が衰おとろえて
人がみな諂諛てんゆを好み
美色を悦よろこぶのを
いたんだのである。

<中略>

直言を好まないで諂諛てんゆを好み、
徳を悦よろこばないで色を悦ぶのは
衰世すいせいの常である。

 おぉ~、
納得!!!

「祝鮀之佞しゅくだのねい」、「宋朝之美そうちょうのび」、
すなわち「佞」と「美」の両方が無ければ、

「今の世の中は躓つまずかずに、
生きてゆくのが難しい。」とは、

人間の本質、すなわち「仁」や「徳」とは縁遠い、
「佞」や「美」がもてはやされる世の中の現状を、

孔子が嘆いた(婉曲に)!
ということになるが…。

 じゃあ、
今の世、すなわち現代を生き抜くために
必要なものの、ナンバー1、ナンバー2は?

1にも、2にも、3にも、
お金!?

すなわち、冒頭の本の著者は、
「お金」、つまり金の力や使い方、

さらには、金儲けの大切さについて
吹聴しているようであるが…。

 翻って、娘が私にいった一言、
「小さい頃、お父さんは怖い人やった」とは、

経済的にも自立した今、娘は、
私(筆者)が「怖い存在ではなくなった」。

その背景には、人間としての本質よりも、
お金を始めとした枝葉末節な事柄で、

父親(私)を越えた!
と、娘は思ったのであろうか…。

 では、あなたにお伺いします。

現代を生き抜くために必要なものを
2つだけ挙げるとすれば、
いま、ここの、あなたは、何を選びます?

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