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2023年3月25日 (土)

「喪致乎哀而止(もはあいをいたしてやむ)」解説ページ

17031801  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、30数年程も昔の話。

桜花爛漫の頃、病気療養中の母が、
病院で息を引き取った。

その3か月後には、母の後を追うかのように、
自宅で、父が亡くなった。

私は両親の死に目に会うことが出来なかったが、
亡父の臨終の際には、私の娘と愚妻が、その場に居合わせた。

その時の記憶が、幼い娘の心に深く刻まれたのか?
後日、「娘が言った」という次のような言葉を、
私はとある人から聞く機会があった。

「お嬢ちゃんが、『おじいちゃんが、のんの様になった』と
おっしゃっていたけど、お父様がお亡くなりになったんですか?」
と私に尋ねる声を。

 おっ、
そういえば!

という話の続きは後段にて。

 先ずは、『論語(吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「子張しちょう第十九の第14章」をご覧に。

 最初に、読み下し文を。

子游しゆうわく、
は哀あいを致いたして止む。

 次に、現代訳を。   

子游しゆうが、次のように言った。
「人の死には、悲しみをきわめつくすのみだ」と。

 続いて、吉川博士の解説を。

・「哀」の字は、親属の死にあたったときの、
儀礼なり心理をいい、

ことにふた親の死によるそれを中心にすること、
ここも他と同じである。

また「致」は、究極の意。

・喪は悲哀を究極まで推しつめれば、それでよろしい。

それがこの条の言葉の意味であるが、
古注と新注とでは、解釈が違っている。

・古注の孔安国こうあんこくは、「毀やつるるも性を滅せず」と、
「礼記らいき」の「喪服四制そうふくしせい」篇の語を引いて、
注とする。

心を悲哀で充たし、また衣食住も平常より程度をおとすが、
そのために、自己の生命をなくしてはならない、
そうした意味であって、

「礼記らいき」の原文をややくわしくあげると、
はじめは絶食いたのが、
「三日にして食しょくし」、

しばらくは頭も洗わないのが、「三月にして沐もくし」、
麻の粗末な着物を着ていたのが、一年たつと絹の冠に替える、

つまり「期にして練れん」するのは、
「毀うりょうるも性を滅せず」であり、

「死するものを以って生きたるものを傷つけざる也」。

・一方新注は、喪は悲哀の心理を究極すればそれでよろしい。
無用の文飾は不要である、とする。

 んっ、
吉川博士は次のようにおっしゃる。

・「哀」の字は、親属の死にあたったときの、云々。
・「致」は、究極の意。

じゃあ、
角川新字源』には、どのように?
と思い、検索してみた結果は以下の通り。

・【ソウ/も なりたち形声。 音符亡(人がかくれる意)と
音符噩ガクサウ(木の葉の落ちつくす意)とから成り、

人が死んでなくなる、ひいて、ものを失う、ほろびる意を
表わす。

意味②も。人が死んだとき、縁故者がある期間中、
特別な生活をして悲しみを表わす礼。

・【アイ/あわれ・あわれむ なりたち形声。
口と、音符衣イ→アイ(悲しみの声)とから成り、「かなしい」、
ひいて「あわれむ」意を表わす。

意味①かなしい(かなし)。かなしむ。かなしみ。

・【チ/いたす なりたち会意形声。
旧字は、音符夂(歩く)と、いたる意と音とを示す
シ→チとから成り、人を送りとどける、ひいて、物を送る意を
表わす。常用漢字は夂を攵ボクに書き誤った俗字による。

意味①いたす。きわめる。きわめつくす。

 う~ん、
この字書には、吉川博士がおっしゃるようなお言葉を
目にすることは出来なかったが、
この「論語」の一章については、私なりに、よく理解できた。

 さらに、吉川博士は次のようなことを。

 一方新注は、喪は悲哀の心理を究極すればそれでよろしい。
無用の文飾は不要である、とする。

で、『論語新釈(宇野哲人 講談社学術文庫)を開いて見れば、
その[通釈]には、以下のような記述が。

子が父母ふぼの喪にいる時は哀痛あいつうの情を尽くしてその極に至るだけのことで文飾ぶんしょくを尚とうとばないのである。

 ちなみに「文飾」とは、
文も飾も、「かざり」という意味。

したがって、吉川博士がおっしゃる現代訳、
「喪は悲哀を究極まで推しつめれば、それでよろしい。」
と一致する。

やれ、やれ、
「ホッ」としたところで冒頭の続きを。

 さて、「おじいちゃんが、のんの様になった」と、
(私の)幼い娘から聞いたとある方は、

私の父が「最近、亡くなったのですか?」と、
私に尋ねる。

で、私は「はい、つい、先月前に」と答えた。
すると、彼女(とある方)は、次のようなことを。

「賢いお嬢ちゃんですね」と、おっしゃる。
で、私は「はい、ありがとうございます。」と答えたのであるが…。

その時(亡父の臨終の際に)、幼い娘と愚妻が、
嘆き悲しみ、泣き叫んだのか、否か? 
という言葉までは、聞くことが出来なかったが…。

 私の祖父の、最後の時(臨終の際)に、
たまたま、私は居合わせた。

その祖父が息を引き取った時、祖父の末娘に当たる私の叔母が、
次のように言って、嘆き悲しむ姿を私は目の当たりにした。

「お前わいのぉー。
もっと、長生きしてくれたら、あれもこれもしてやれたのぃー。
なんで、こんなに、早う逝くんぞぉー。あまりにも早過ぎらい。」
と言いながら、布団の上から亡骸にすがって号泣する姿を。

 では、あなたにお伺いします。

あなたは、「喪致乎哀而止もはあいをいたしてやむ」という言葉を
どのように解釈すれば、ストンと腑に落ちます?

2023年3月19日 (日)

仕学並長(しがくならびちょうず)

1308011  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、「仕学並長しがくならびちょうず」とは、
「役人としての才能と学問とが、ともにすぐれる」ことにて、

その出典が、「論語」(子張第十九 第13章)の一条、
「仕優則学つかえてゆうなればすなわちまなび
学優則仕まなんでゆうならばすなわちつこう」だと、
手元の『角川新字源』には記されている。

それを知ってか、否か?
否、ご存知であったであろう

私が学んだ高校の国語の教諭から、
授業中に次のようなお言葉(教え)が。

「学校を出た(卒業した)ら、
『もう、勉強はお終い!』じゃないぞっ。

少しでも、時間に余裕ができたら、自ら、学び始めなさい。
生涯、学び続けたら、より良い人生が送れるぞ」と。

 このお言葉(教え)が、私の頭の片隅に残っていたか、否か?
私は学校(高校)を出て、暫くして(20歳を過ぎて)から、
机と椅子を購入した。

そして毎日、仕事を終えた後、アパートの一室にて、
国家試験合格を目指して、学び始めた。

すると、後日(国家試験に合格した後)、
行きつけの喫茶店で出遇った女性(主婦の方)から、
次のような言葉が。

「そう、
お宅やった?

毎晩、遅くまで電気が点いて、机に向かっている姿が、
カーテン越しに見えたから、

『学生さんが住んでいるのかな?』と 私は思って見てたけど、
お宅やったん!」という(驚きの?)声が。

それで、一安心したのか?
私は目標を達成した後、就業後は遊び呆けていた。

そんない日々の「つけ(酬い)」が
数年後に回って来た。

 それから私は、地方都市に移住し、所帯を持って数年後に、
少し、時間に余裕ができたので、また、学び始めた。

すると、次第に良い人々に巡り合い、順風満帆かに思えた人生、
それも、「仕学並長しがくならびちょうず」ならざれば、

すなわち「勤め人としての才能と学問とが、
ともに優れて」いなければ、否、優れていればいるほど、
脚を掬すくいたがる輩(同僚)も。

でも、人間学を学んだ(つもりの)私にとっては、
「世の中や企業内には、そんな暇人も居る」と高を括って、
私は意に介さなかったが…。

 如何いかんせん、時代の流れに乗り遅れた私は
いつの間にか、ガラパゴス化していた。

それもこれも、時流を読めなかった?
否、重厚長大→軽薄短小への移り変わりに気付かず、

「新しいモノを学ぶ」ことを軽視しづけ、
自ら学ぶ姿勢を放棄して、他人(部下)任せにしていた
その「つけ」を私は払うことに。

で、私は「老害去るべし」という決断を、
自らに下したのであったが…。

 では、あなたにお伺いします。

あなたは、ガラパゴス化していません?

2023年3月12日 (日)

「仕学並長(しがくならびちょうず)」解説ページ

1310201  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、半世紀以上(60年近く)も
昔の話。

私は高等学校在学中に、以下のような
2つの言葉を耳にした記憶が。

1つ目は、私より1年先に、
中学校を卒業した先輩の話。

その彼が、中学校を卒業と同時に
就職をして社会人と成った。

そして学ぶ(学問を身に着ける)ことの大切さに気付き(痛感して)、
2年遅れで、高校に通い始めたという話を周りの人から耳にした。

そして2つ目は、私が当時通っていた高校の、
「国語」担当の教諭から、次のような言葉を授業中に聞いた記憶が。

「君たちが、社会に出て働き始めたら、
毎月、給料の1割を貯金する習慣を身に着けること。

そして少しでも、時間に余裕ができたら、
自主的に、勉強をする習慣づけをすること。

『学校を卒業したら、もう、勉強はお終い』じゃないぞっ。
一生学び続けること。それが、よい人生を送る助けになるからな」と。

 で、高校を卒業した私は!
という話の続きは後段にて。

 先ずは、『論語吉川幸次郎 中国古典選5 朝日文庫)の中から
抽出した「子張しちょう第十九 第13章」をご覧に。

 最初に、読み下し文を。

子夏しかわく、
つかえて優ゆうなれば則すなわち学まなび、
まなびて優ゆうなれば則すなわち仕つこう。

 次に、現代訳を。   

子夏しかは、次のように言った。
「役人になって、余裕ができたら学問をせよ。
学問をして、余裕ができたら役人になれ」と。

 続いて、吉川博士の解説の一部を。

・「士」とは役人となって奉仕すること。
「優」とは余裕ができること、「北野本」に「ゆたか」と訓ずる。

・役人として奉仕しながら、余裕ができたならば、学問をせよ。
それが前半の意味であって、

古注の馬融ばゆうは「行うて余力有らば、則ち以って文を学ぶ」
と、
学而第一(第6章)の言葉(行有余力、則以学文)を、
そのまま引いて、注とする。

・また学問をして余裕ができたならば、役人となれ。
それが後半の意味である。

・学問による自己の修養と、社会への奉仕と、この二つが
君子の責務であって、
いずれを先にするかは、
場合場合によって違うが、両者は並存しなければならない。

<以下 割愛>

 んっ、
吉川博士は、次のようにおっしゃる。

「仕」とは役人となって奉仕すること。
「優」とは余裕ができること。

じゃあ、
角川新字源』には、どのように?
と思い、検索してみた結果は以下の通り。

・【なりたち会意形声。 士(官職に従事する者)に
人を増し加えて、
名詞の士と区別し、おもに動詞として用いる。

意味①つかえる(つかふ)同義語:事。
㋐官職につく。役人になる。

ゆたか
【優】ゆう 「劣」の対で、余力のある意。
ゆったりとして、こせこせしない。

 おっ、
吉川博士の解説と略ほぼ同じ。

「ホッ」と胸を撫で下ろして、
その左(の熟語)を見れば、次のような四字熟語が。

仕学(學)並(竝)長】しがくならびちょうず 役人としての才能と
学問とがともにすぐれる。
〔論・子張〕「仕優則学、学優則仕」

 あれっ、
この辞書によれば、当該四字熟語は、
「論語」のこの一章が出典だと記されている。

でも、吉川博士の解説中には記されていない。
しかし、吉川博士は、以下のように述べておられる。

学問による自己の修養と、
社会への奉仕とは、並存しなければならない。

これ(吉川博士の解説)は、この四字熟語を意図(意識)しての
事なのかな? と、私は考えたが…。

 さて、冒頭の続き。

私が高校を卒業した1965年は、祭り(オリンピック)が終わった
後の景気後退期に入っていたのか、

東証一部上場企業の山陽特殊製鋼が倒産した。
そして内定が決まっていた同級生のT君が、
その煽あおりを受けた。

そして、その煽あおり(景気後退の影響)は、
私が就職する予定の企業にも及んだ。

早い話が、私の内定が決まっていた企業も、
倒産した。

で、私は「都会に出たら、何とかなる!」
という甘い思い(若気の至り)で、職を転々とすることに…。

そして(都会に出てから10年を過ぎて)、地方に移り住み、
やっと、日の目を見る機会に恵まれた。

それもこれも、
学んだ為!?

否、良い人々に巡り会えた結果!
だと、私は考えているが…。

 良い人々に巡り会えて、
少し、心に余裕ができたのを機に、
私は、少しだけ、学び始めた。

すると、それを機に、
次第に学び続けざるを得ない環境に置かれることに…。

この現象(サイクル)を「仕学並長しがくならびちょうず」、

すなわち「「仕優則学つかえてゆうなればすなわちまなび
学優則仕まなんでゆうなればすなわちつこう」というサイクル?

斯様かように、人生の歯車は、好転し始めれば、回り続ける。
でも、それが何かの拍子で、逆転し始めれば…、
という話の続きは、次の機会にて。

 では、企業人としての「才能と学問とが、ともに優れている」
あなたに、お伺いします。

あなたは、社会人としての「才能と学問」にも、
ともに優れています?

2023年3月 4日 (土)

洒掃(さいそう)

Dsc05450  画像は秋田の友人からの
プレゼントです。

 さて、小一年程前の
ある日のこと。

玄関のチャイムが鳴るので、
「誰かいな?」と思いながら出てみれば、

「〇〇建託ですが、未利用の土地はありませんか?」
と、応対に出た私に尋ねる。

で、「私が有りません」と応えれば、
「はい、そうですか」と言って、即、帰らないのが、
営業パースンの習わし(教え?)。

暫し(2~3分間)、受け答えをした後、
私は「これ幸い」と思い、市道を挟んだ向かい側の
「ゴミ置き場」を指さし、以下のように。

「あのゴミ置き場、なんとかなりませんかねぇー。
朝、起きて見れば、しょっちゅうと言っていいほど、
生ごみが道路上に散乱しているんですけどねぇー。」
と、切り出した。

すると、驚くなかれ、彼(セールスパーソン)の口からは、
次のような返事が。

「あれは、管理部の管轄ですから」と、
のたまう。

この答えに唖然とした私は、以下のように返す。

「管理部といっても、同じ会社のフロアにいるのでしょ?
○○建託さんの名前に傷がつきません?」と、尋ねれば、

彼は一瞬、「困った(やられた)」という顔をした後、
次のように言い残して、引き上げた。

「わかりました。
管理部に言っておきます」と。

で、私は「これも、営業パースンの常套語」と思い、
期待もしていなかったのであるが…。

 それが、2Wほど前のとある日、
当該ゴミ置き場を改修する男性の姿が、
散歩から帰宅した私の目に映った。

で、私は作業中の彼に、
次のように尋ねた。

「朝、起きてみれば、道路に生ごみが散乱しているのですが、
ここの住人がすることでしょうかね?」と。

すると、彼(作業中の男性)は、
次のように答える。

「ここの住民もやけど、自転車で通行する人間が、
放り投げて行くんよ。

それを猫が来て、食い散らして行くけん、猫が入らんように、
こうやって(網を張り、重りをぶら下げて)、蓋をしたんよ。」
という。

で、私は、次のような
余計な言葉(お世話)を。

「そうですか。
ここの住人だけでなく、通行人も放り投げて行くんですか。
そしてそれ(生ゴミ)を猫があさるのですか。

ちなみに、生ゴミをあさるのは猫だけはでなく、
カラスも突いていますし、猫と烏が餌(生ごみ)の
奪い合いをしていますけどね」と。

すると、彼は以下のようなことを。

「烏も?
それで、こうやって蓋をしたんよ」と言い、
私に実演して見せる。

それを見た私は、またまた余計な一言を。

「そうですか。蓋を。
ところで、その(蓋の)丁番側はどうするんです?」
と尋ねた。

すると、彼は車の方に向かい、車中をひと探しした後、
帰って来て、以下のように答える。

「持って来とったんやけどなぁ…。
見当たらんかったけど、ここに鉄筋を入れて、
それをこうやって押さえて…。」と言い、実演して見せる。

で、その話を聞いた私は、
またまた、次のような余計な一言を。

「そうですか。鉄筋を。
鉄筋は重いですし、撓むけん、
SUSのパイプの方が良いのでは?」と。

すると、彼は次のように。

「金さえ出しゃあ、何とでもなるんやけど、
金も出さずに、『ああせえー、こうせー』いうんやけん、
たまらんわい。」という泣き言(本音)を。

その声(泣き言)を聞いた
私の頭の中には、次の言葉が。

「金がないからこそ、知恵が出るんじゃやない?
よぉー、出来とるやない。」と思った(気づいた)ものの、
口には出さなかった。

 それから、1Wほど後、散歩から帰宅した私の目には、
くだんの、作業中の男性の姿が。

私は、軽く挨拶をした後、少し作業を見て、
それから、次のような余計な一言を。

「これで、道路にゴミが散乱することは、
無くなりますかね?」と、尋ねた。

すると、彼は、「それは、モラルの問題よ。モラルの!」
と、気色ばんで答える。

で、私は、「そうですか。モラルの問題ですかねぇー」
と、応えたが、その言葉の裏には、以下のような持論が。

ならば、「そのモラルハザードが起らない
仕組み(システム)づくりが必要ではないか。」
と私は考えた。

ルールを守るのは、人として当たり前の事であり、
始めの一歩であるが、それさえも守れないのであれば、

それが守れるような仕組み、
システムを構築する必要がある。

それは、突き詰めれば、教育の問題でもあり、
営利主義の結果でもあるが、

道路脇の目につく場所に、目立つゴミ置き場がある故に、
通行人がゴミを放り投げるのであり、

一方、住人はゴミ出しをするのに、遠回りした上に、
手間がかかる故に、手抜きをする?

そのように考えれば、営利第一主義から、
住人や地域住民のためを思った(考えた)システムに
改修する必要がある! と私は考えたのであるが…。

 ちなみに、「洒掃さいそう」とは、
「水を撒いて埃を静めた後、掃き掃除すること」であるが、
雨上がりの路上に、生ごみが散らかっている道路を

車が通行すれば、掃き掃除をして、片付けようにも、
生ごみは接着剤で貼り付けたかのように、
頑として動こうとはしない…。

 では、あなたにお伺いします。

あなたは、ルールが守れない原因・要因を
何だとお考えです?

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